ディズニープリンセスと私
幼少期から「プリンセスヲタク」だった私
わたしは、小さい頃からディズニープリンセスが大好きで、小さい頃はディズニーの年パスを持っていた親の友人にプリンセスのイベントに連れて行ってもらったり、プリンセスの子ども向け雑誌を毎月親に買ってもらい、ドレスを着て「なりきりプリンセス」というコーナーに応募しようとしたこともあるぐらい、「ガチヲタ」だった。
大人になった今でも、写真のように「プリンセスバウンド」という、プリンセスのキャラクターをイメージしたコーディネートでディズニーのパークに行ったり、プリンセスのカチューシャを集めていたり、変わらず好きなのには変わりない。
だけど、大人になって、幼少期とは違う視点で
「ディズニープリンセス」というものを見た時に、なぜこんなにわたしが大人になってもプリンセスたちに惹かれるのか、理由が最近すごくよく分かった。
それは、簡単に言うと
「所々わたしと重なる部分があるから」だ。
そう、プリンセス達の映画でのストーリーや
個人個人の境遇などを改めて見た時に
「これ、あの時の自分っぽいな」とか逆に
「これは今の自分だ」と感じることが結構あったのだ。
アナ雪エルサと重なる私の中学時代
特に自分を象徴していると感じる「アナと雪の女王」の「エルサ」について語る。
エルサは、ディズニープリンセスの中でも
1番自分に近いものを持っているように感じる。
自分の生まれ持った力を隠さずに生きていたことで、妹を傷つけてしまい、そのことが深いトラウマとなって、エルサは自分の力を封印しながら10年以上過ごしてきた、しかし、あることをきっかけに自分の力がバレてしまい、城から抜け出してしまう。
そこから、当時社会現象にもなっていた
「レット・イット・ゴー」が歌われるシーンになり、エルサは自分の力を隠すことをやめて、ありのままで生きる決意をしていた。
この一連の背景はまさに、「中学生の頃の自分」と全く同じで、自分そのものだと感じる。
わたしも本来の社交的で正義感が強い自分でいたことで、小学5年になってすぐいじめにあい、周囲の大人も自分の訴えに耳を傾けてもらえなかった。
このことが大きな心の傷となり、学区外の中学に入学したわたしは、本来の自分を封印し、周りからいじめられないように、目をつけられないように、疎まれないように、本当の自分とは全く違う「口数の少ない目立たない地味な子ども」を必死に演じ続けて中学に通っていた。
正直、常に本当の自分を押し殺し
いかに周りから疎まれないか?を考えながら学校生活を送っていたため、当時のわたしは常に緊張状態だったが、それでも、本当の自分を出してまたいじめられるよりは、辛い思いをするよりは、全然「マシ」だった。
いや、今思えば、「マシ」だと思うことで本音に蓋をして、なんとかキャラを維持していたのかもしれない。
しかし、そんな生活にも限界が訪れる。
それが「中学3年生の夏休み明け」だ。
夏休みが明けて最初の登校日、いつも通りに学校に行ってホームルームが終わり、下校しようと昇降口に向かっていた時のこと、
突然、お腹に鋭い針が何本もグサッと刺さったような、今までに感じたことのない激痛が14歳のわたしを襲った。
「痛いっ...痛い...!!!」
あまりの激痛にわたしはその場で立てなくなり、うずくまってしまった。
幸いなことに、保健室のすぐそばだったことと、近くにいた同級生が気づき、保健室にわたしを入れてくれて1時間近く休んで帰宅した。
だが、その後も頻繁にお腹に何かが刺さったような痛みが出るようになり、なかなか治らないため、親と病院に行ったところ、「帯状疱疹」だと診断された。
帯状疱疹は、ストレスや疲労から高齢者が主にかかる疾患と言われていたため、当時のわたしの年齢での発症はかなり珍しかったらしく
医者にも「この歳でこれになるのは、よほどのストレス負荷がかかっていないとまずならない。思い当たることはない??」
と、ハッキリ言われた。
ストレスなんて、絶対に学校で自分のキャラを作り続けていたことに決まってる...!
そう心の中では分かっていたものの、こんな状態になっても当時のわたしは
「やり直すと決めたのに..!これじゃダメなのに!!」
と、自分を責め続け、お腹の痛みがあるにも関わらず、わたしは1週間学校に行き、1週間休むという生活を1ヶ月近く繰り返していた。
明らかに今思えば「限界を超えている」と分かるのだが、当時のわたしはそれだけ「いじめられないように」必死だったのだと思う。
自分をいじめてきた加害者に負けたくない!という「プライド」もあったのかもしれない。
だけど、そんな生活を続けていた10月半ば、二学期制の学校だったため、その日は後期の始業式があったのだが、わたしは始業式に遅刻をしてしまった。
しかし、この「遅刻」が、自分を作り続ける生活から抜け出す一歩になったのだ。
遅刻をしてしまったことで、わたしは学年主任の先生に「なぜ体調管理ができないのか?甘えじゃないのか?」と、お説教を喰らった。
そこでわたしは我に返った。
「そうだ。こんなにわたしは心も体もボロボロになっているのに、何で未だに自分を作り続けて無理をしようとしているんだろう? このままこれを続けていたら、わたしは本当の自分を見失ってしまうじゃないか」
そう、お説教を喰らったことで気づき、わたしは決めた。
「嫌われない自分を作ることはもう今日で最後にしよう。もう、やめよう。これからは、自分を隠さずに生きていける、わたしらしくありのままでいられる場所を探すんだ。」
この日を境に、わたしは自分を守るために、「学校にはもう行かない」とキッパリ決め、卒業式まで中学には一切行かなかった。
プリンセスは、私がなりたい「人間像」
長くなってしまったが、このように、わたし自身も、素の自分でいたことで傷ついたトラウマから、本来持っている自分の力や素質、そして素の自分さえも封印し、必死にキャラを作っていた経験があるからこそ
今は「誰がなんと言おうと、わたしはわたしだ。」「ありのままのわたしを知ってもらいたい」と、強く思っているし、それを自分のモットーにして生きている。
そういうところから、エルサを見ていると本当に自分と重なるし、好感をすごく持てるのだ。
エルサ以外にも、シンデレラのように、様々な逆境がありながらも、自分の夢に向かって努力や行動をし続けたことや、人に対して真っ直ぐに向き合い続けたことで、それが結果に繋がっていたり、ラプンツェルのように、周りの大人の言うことが全てだと思いつつも、モヤモヤしたり、葛藤する気持ちもすごくよく分かる。
ジャスミンなんかも、周りから、見た目も地位もある王子と結婚しろと言われていたけれど、王子ではないアラジンを自分自身で選んだ。
外見や学歴、収入などの目に見える肩書きだけで人を判断することは絶対したくないし、自分自身もそれで嫌な思いをしてきたからこそ、恋愛では、周りの風潮に惑わされず、相手の中身や頑張っていることを知ったうえで、自分自身がいいと思った方を選ぶスタイルなこと、そこもすごく自分と重なる。
まとまりがないのだが、プリンセス達は
わたしの考えや生きてきた境遇や背景が重なる部分がたくさんあり、わたしがなりたい「人間像」なのだ。
まだまだ程遠いかもしれないが、プリンセス達のように、ありのままの自分を信じられて、相手の幸せも無条件に信じられる、そんな女性にわたしも近づけるように頑張ろうと思う。