ところで、愛ってなんですか? [第9回]
私はこの街に生まれたのではない。
この街の海をまだ見たことがないし(あの少年との約束をまだ果たしていなかった。私はいつもそうだ)、通りの名前も、駅の名前も、自分が使うところだけをようやく、といった感じで覚えているだけだ。だからたまに違う道を選ぶと驚いてしまう。この道とこの道はこんなところで交わっていたのか、と。
生まれた街ではそうではなかった。地名は景色と結びつき、駅と街は頭の中で重層的に繋がっていた。地図は外側にあるのではない、私の内側にあったのだ。
親のことを思い出すときには、その地図が自然と開かれる。母と行ったデパート。地下鉄がポイントを過ぎるときには車内の電気が一瞬消えた。父と行った川辺の公園。遠くに踏切の警笛が鳴っていた。
いまでもそこに辿り着ける。目を閉じたまま。
ドアのベルがゆるく鳴る。バンドのライブか何かで買ったらしいロゴの入ったTシャツから、柔らかく白い腕が伸びている。シャツは体のサイズよりだいぶ大きいようだ。髪を後ろで無造作に縛って、日焼け止めを塗った顔は薄紫に光っている。彼女は、よいしょ、と椅子に腰掛けた。
「もうすぐ、私、母親になるんです」
「それは素敵なこと。ね?」
「待ち望んでいた赤ちゃんです。だけど、母親になるということが、素直に言えば、怖い。こんな気持ちになることが申し訳なくて。誰に対して申し訳ないのかもわからない。もしかしたら自分に対して、なのかも」
そう言って彼女は膨らんだお腹に手を置いた。
親になること。喜びの大きさに比例するように、その怖さはあるだろう。人生をすっかり変えてしまうものとの出会い、自分の中にもうひとつの命があることへの畏怖。
まだお腹の中にいて私が私になる前、父でも母でもなかった頃の父と母。それはみんなが〈未満〉であった頃。まだ若く、未来はあまりに膨大であった。母や父は、私になんと呼びかけてくれていたのだろう。会う前から、私に会いたいと思ってくれていたふたりの声を、小さな小さな耳で確かに聞いていたはずなのに、覚えていない。その声をいま聞きたい。
励ましてくれるとか、慰めてくれるとか、そういうことじゃなくていい。声で抱きしめてくれるような、そんな日が確かにあったこと。そのことが、この不安や喜びが私だけのものではないと、教えてくれるような気がする。
赤ちゃんが生まれれば、それまでの日常を思い出せないくらい目まぐるしい毎日が始まる。朝から夜まで、寝ている間も耳をそばだてて、子どものことを考え、世話をし続ける。終わりはなく、他のことを考える余裕もない。抱いて、ミルクをやり、頭を撫で、鼻を拭き、涙を拭く。ずっと躰のどこかが触れ合っている。そんな日々に、どこまでが自分でどこまでが子か、そんな境界線もなくなってしまうようだ。
「子」「われ」「子を抱き」のリフレインには、子育ての忙しさや混沌と同時に、恍惚も含まれている気がする。私が赤ちゃんになったみたい。私が赤ちゃんに抱かれてあやされているみたい。そんな恍惚。
「赤ちゃんに抱かれてるって思えば、安心して眠れるかもしれません。お腹の中にいる今だって」
「構えなくていい。子供と一緒に夢中になって生きて、ゆっくり大人になればいいんじゃないかな」
彼女は頷いたまま静かな笑顔でお腹を撫でた。それからずっと撫で続けている。沈黙とは、つまり時間のことだった。
「あなたがさっき怖いって言ったその怖さは、それだけではないってことね」
「それこそ境界線のないような怖さで、どのくらい愛せばいいのか、愛しすぎてしまうような気もするんです」
親と子の愛はときに過剰さをもって現れる。生まれたばかりの時、子は無力なのだから、力の限りの愛は、絶対的に必要な庇護であったのだ。時が経ち、子どもが成長するにつれて、その愛は苦しさをもたらすものになるかもしれない。力のかぎりであることはわかる。それが愛だということも。だから余計に怖いのだ。
苦くなるまで煮詰められた麦茶は、愛の濃度そのものだ。
「苦すぎると言えること。言い合えること。それができればいいのだけど」
そのとき、からんとドアのベルが鳴った。私より彼女が先に声を出す。
「どうして? どうしたの?」
「雨、降りそうだったから」ドアに立つ男は、そう言って笑いながら、傘を高く掲げた。片方の眉をあげて、彼女に続けて私にも会釈をする。大きめのメガネをかけて、湿気のせいだろうか、髪は緩くカーブしている。
私は彼にもお揃いのコップを差し出して、冷たくした水道水をたっぷり入れた。「よかったら一緒に座ってください。ちょうどよかった」
両親が出会わなければ、子はこの世に存在することはなかった。その奇跡のような出会い。とても細く、歩くのがやっとの平均台で、こちらからは母が、あちらからは父が歩いてくる。平均台に他の道はないのだから、出会うことが運命だった、とも言える。平均台は落ちやすいのだから、出会うことは偶然だった、とも言える。そんな平均台に寝そべり、目を閉じてみる。もう一度生まれ直すみたいに。ああ、ここが始まりだった。そう思う時、生まれる前から、生まれることが決まっていたみたいに思える。
群青が海のように眩しい。すべての命の始まりも海だった。
「僕たちは、中学で出会いました。2年の時です。そのときにはもう決まっていたのかな」
そう言って、隣の大きなお腹を撫でた。二人の手が重なる。
「この歌を、どんな日にも思い出して。いいことがあった日にも、辛い日にも」
口から一気に溢れでたような短歌。子への願いであり、自分自身への祈りでもあるようだ。そのままのおまえを受け止めるためには、親自身もまた、そのままでなくてはならないから。そんなにいい親でなくていい。そんな気持ちでいればいい。
***
「予定日は、来月の末です」
「もう名前は決まってるの?」
「今日教えてもらった短歌の中から、一文字もらおうかな」
「それはきっと素敵な名前になる。ゆっくりふたりで考えて」
夕暮れの雨は、窓の外を油彩画に変えた。ふたりはビニール傘の端と端を重ねながら歩いてゆく。
親と子の間には長い年月が横たわることになるだろう。ずっと先の未来を信じること。そこに愛が光っているような気がした。
いつか、親は年老いる。
入院して、目がよく見えなくなった父が、それでもテレビを見続けるのは、騒がしく愛おしいこの世界と繋がっていることの証明だからだ。それならいっぱい買ってあげる。この世への通行手形のようなテレビカードを。
いつかそんなふうに、子が親を愛してくれたら。
ずっとずっと遠い。でもその未来まで、平均台は続いてゆく。
***
〈BAR愛について〉の看板を仕舞う。
私も今、平均台の上を歩いているんだろうか。私だけではない、ひとりひとりの人間がそれぞれの平均台を。
いつもより慎重にまっすぐに歩いて、コンセントを抜いた。看板の電気が消えると、街灯の明るさが際立った。月は見えなかったけれど、きっとそこにある。
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