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ところで、愛ってなんですか? [第13回]
デビュー歌集『夜にあやまってくれ』から現在にいたるまで一貫して「愛」を詠みつづけてきた歌人・鈴木晴香さんが、愛の悩みに対してさまざまな短歌を紹介します。月一回更新予定です。バックナンバーはこちら
この街にも一年という時が流れた。時間の進み方は、どの場所にあっても等しいようだ。だから、年が改まる頃になると、雪深い町でも海に囲まれた島でも、みな示し合わせたようにもみの木を片付け、扉に飾り付けをし、大きな皿を出してきて魚や肉を盛ったりする。
私たちは偶然、365日に一度公転する星に住むことになった。
だけどどうだろう。生まれ落ちたのが火星であれば、公転は687日に一度であったのだ。冥王星なら90520日に一度。そこでは新年というものを見られるほうが珍しく、住人は誰もみな一歳に満たない年齢を生き続けることになる。町はずれに住むカレンダー職人には、90520日に一度だけ、とてつもなく大きな仕事が舞い込んでくる。その日のために、師匠から弟子へ、弟子から孫弟子へと活字とインクが受け継がれてゆく。
そうだよね?と、天文学者に訊いたら、冥王星は冥王星で地球の公転や自転とは違う単位のカレンダーが作られるんだよ。という答えが返ってくる。
なんだ。そういうものか。
それでも、冥王星の分厚いカレンダーがめくられる音を憧れのように想像してしまう。最後の一枚に描かれる絵を、想像してしまう。
今夜も〈Bar 愛について〉の扉が開く。日向より日陰の方があたたかいような奇妙な昼が唐突に終わり、夜が駆け込んできた。そして、今日のお客さんもまた、夜と同じ早さで店に走り込んできたのだった。覚悟を決めてというより、熱狂に急き立てられるように。
羽織っているのは、襟に白のラインの入った紺色のブレザー。坂の上にある高校のものだ。ブレザーの内側から紺色のセーターの袖を手の甲まで引っ張り出している。大きな黒目をくるくると動かして店の隅々を見回してから、私をまっすぐに見た。
「この人が好きで好きで仕方ないんです。これって、ただの憧れなのかな。好きなのに、好きでいるのにだんだん疲れてきちゃって、意味わかんないですよね」
彼女は鞄に提げているフォトケースをひっくり返して、ぐいっとこちらに見せてくれる。陶器のように白く滑らかな顔。甘いピンク色の唇。こちらを向いて離さない目がそこにある。
「歌ったり、踊ったり、笑ったりする、どの瞬間も逃したくない。彼の一言一言がぜんぶ大切で、たまらなくて、頭の中が沸騰しそう」
アイドルへの抑えきれない憧れ。そもそも、憧れとはなんだろうか。手の届かないものを思う心。振り向いて欲しいと願いながら、一方通行であり続けることを希求する、相反する祈り。それも、ひとつの愛なのだろうか。
鹿よわたしの聖なる鹿よ焦がれつつ名づけることも追うこともせず
光る毛並み、天に向く角、艶やかな茶色の目。森に現れたその鹿を見ているものは、今、他には誰もいない。じっと目を合わせる。ああ、神の使いのように美しい。こんなにも心を捕らえられながら、それでも私はその鹿に名を与えることも、追うこともしなかった。そうすればたちまち聖なるものは損なわれ、憧れは消えると知っていたから。
憧れとは何か。「せず」に宿る意思こそ、そのひとつの答えではないか。
「遠くから、汚さないように見ていたい心が私にもあります」
「だけど届けられない思いは、どんどん熱を持ってしまうんじゃない?」
義兄とみる「イージーライダー」ちらちらと眠った姉の頬を照らせば
姉と、義理の兄と、ソファに並んで映画を見ている。姉が眠ってしまった今、私と義理の兄だけが、その映画の続きの中にいる。血の繋がっていない年上の兄。姉と恋をした人物。憧れと、嫉妬にも似た気持ち。あるいは、本物の恋の予感。止めようと思っても、映画も現実も進み続けてしまう。「イージーライダー」の主人公たちは自由を求めて走り続け、やがては破滅へと向かう。私たちも同じだろうか。
姉の頬に炎の影のように揺れる光。それが次の瞬間強くまたたいて、姉の目を覚ましてしまうかもしれない。ぎりぎりのところを走り続ける危うい均衡が、この歌を美しくする。
「こんなにも距離の近い憧れだったら、憧れと好きは、もっとわからなくなっちゃう」
「そのアイドルを近くで見たり、会ったりしたことはあるの?」
「一度だけ、コンサートに行ったことがあります。すごかった。もうすごかった。この目で見たの。見て私の目、これが証拠」
憧れは加速する。愛は加熱する。均衡は今にも破れてしまいそうだ。
消火器を抱いていないと青空に落ちてゆきそう 見ていてほしい
このままここに立っていたら、青空に落ちていってしまう。それほどの引力を持った青空。必要なのは碇。だけど、重ければなんだっていいわけではない。いつだって火を消せる消火器を、青に突き刺さる赤色を抱いていなければ。
憧れに熱狂するときの心も、そうだろう。引き留めるための重しがなければ、心が燃えて気球のように舞い上がってしまう。火を消せるものを持っていなければ、心はすぐに燃え尽きてしまう。
こんな私の炎を、見ていてほしい。好きになってくれなくても、愛してくれなくてもいい。遠くからでいい。見ていてほしい。
「みんなきらきらのペンライトを持っていくのは、見ていてほしい、って合図なのかも。見ていてほしい。私が生きてここにいて、好きでいることを」
「憧れは、いまあなたが生きるための道標。そうね?」
彼女は深く、何度も頷く。頷きながら、苦しそうな目をこちらに向けた。
憧れる気持ちには、光と影がある。道標を与えてくれる一方で、そこに届かない自分を曝け出してしまう。
海を見よ その平らかさたよりなさ 僕はかたちを持ってしまった
海。それは、陸とはまったく違う。たゆたい、満ちては引き、決して一つの場所にとどまらない。どこまで行っても掴みどころのない姿に、僕は哀しいほど憧れる。僕は肉体を持ってしまったから。この躰の内側から逃れることができないから。泣いたりする目や、叫んでしまう口や、空腹を訴える内臓を持ってしまった。この海の飛沫のように、離れたりくっついたり、混ざり合うことができない。その宿命と共に、生きなければならない。
この歌の「僕」は人間だけではないような気がする。鳥も、雪も、陸も、かたちを持ってしまったものすべて、その欲深さを嘆いているんだろう。
「憧れる気持ちって、自分の裏返しなのかも。自分にないものに、圧倒されるような」
ポケツトをガムやシヨコラの色紙でいつぱいにしてたくるしみもあり
カラフルなガムやショコラの包み紙。愛おしくて、大切なきらきらたち。捨てないでおいたその紙でポケットが膨らんでゆくのは、もちろん喜びだったはずだ。だけどどうしてだろう。膨らめば膨らむほど、心がひりひりと苦しい。
すべてが幻影だと、気づいてしまったから。ポケットに手を入れると、かさかさと乾いた音が鳴る。手を握るとき、私は何を掴んでいるのか?
そんなくるしみを知った今、わたしたちはそのポケットになにを入れたらいいんだろう。
「わたしのポケット、からっぽだよ」彼女ははにかむ。
そうか、必要なのはからっぽかもしれない。
空のポケットに手を突っ込んでみる。指先が、自分のお腹や太ももに触れる。そこにわたしのかたちがある。
海は、形を持っているわたしに憧れているかもしれない。
私も、誰かの道標であったのだ。
「憧れることに疲れたら、ポケット越しに触れてみて。あなた自身に。」
***
「憧れの喜びも苦しみも私のものだと思う。憧れよう、と思って始めたわけじゃないし、やめようってやめられるわけではないですよね。彼のどこに憧れているのかをもう一度考えてみる。そうすれば、自分のこともきっとわかるんだよね?」
「優等生みたいに答えるのね」
「優等生だもん」
彼女は鞄に提げたぬいぐるみを揺らしながらドアを抜けて行った。それも、アイドルを模ったものだ。優等生の彼女に憧れている子も、きっとクラスにはいるだろう。彼女がそれに気づいていないだけで。
看板のコードを引っ張る。
私がかつて憧れていた人の幻が、ひかりの奥に浮かんだ。時計の時間は正確に進んでも、私の内側に止まったままの時計が置き忘れられていたらしい。
一度消した看板をもう一度光らせる。もう、幻は見えなかった。
ポケットに深く手を突っ込んで、店へと戻る。
からっぽだ。空っぽがここにある。
鈴木晴香(すずき・はるか)
1982年東京都生まれ。歌人。慶應義塾大学文学部卒業。2011年、雑誌「ダ・ヴィンチ」『短歌ください』への投稿をきっかけに作歌を始める。歌集『夜にあやまってくれ』(書肆侃侃房)、『心がめあて』(左右社)、木下龍也との共著『荻窪メリーゴーランド』(太田出版)。2019年パリ短歌イベント短歌賞にて在フランス日本国大使館賞受賞。塔短歌会編集委員。京都大学芸術と科学リエゾンライトユニット、『西瓜』同人。現代歌人集会理事。
【書籍化のお知らせ】
本連載は今回が最終回となります。書き下ろしを加え、今夏に書籍化を予定しております。どうぞお楽しみに!