袖振り合うも
映画『PAST LIVES -再会-』を観た。今もじんわりと余韻が続いている。
アカデミー脚本賞にノミネートされた作品だけに、セリフのうまさはいわずもがな。俳優の演技も音楽も、しっとりとして最高に心地良かった。
個人的には絵作り(カメラワーク)が本当にうまいなぁと思った。
冒頭のシーン、賛否が分かれるようだけれど、ここで3人の関係を説明しきっていた。深夜のバーで語り合う、1人の女と2人の男。誰と誰がカップルなのか、他人は彼らの関係を「推測」する。そんな中、主人公のノラは「私たちの関係がわかる?」といった風にカメラ目線で微笑んでみせる。
人によってはこの微笑み、蛇足と思うかもしれない。しかしノラにまっすぐ微笑まれたことで、私たち観客は彼らの物語に引きずり込まれることになる。
このシーン以降も、映像は終始さりげなくてスタイリッシュ。
12歳のときに離れることになり、24歳になったノラと幼なじみのヘソンがそれぞれ住むのは、NYとソウル。カメラはこれぞNY、これぞソウルな「わかりやすい場所」を映さない。でも、決して広くはないであろうノラのアパートの部屋のあちこちにNYらしさがあるし、ヘソンが通う大学から見えるソウルの街並みや、失恋した友人をなぐさめる男ばかりの飲み会にこそ、韓国の日常が垣間見える。ふたりの距離と生活文化の隔たりを説明するのには十分だ。
36歳になったノラとヘソンが再会し、観光するのは「ザ・NY」な場所。街を歩く彼らの周囲にはなぜかカップルばかり。特に、自由の女神へ向かうフェリーでは、ともするとノラとヘソンもカップルに見える。けれど、そうではない。ノラにはアーサーという夫がいるからだ。冒頭のシーンにもリンクする「カップルのようだけれど違う、2人の関係」は、NYの観光地という非日常な場所の中で、残酷なまでにクリアに浮かび上がる。
ラスト10分の映像が白眉。この10分のために、物語があるのではないかと思ったほど。
ヘソンを見送るノラ。映像はノラの家から平行に、左に向かって流れていく。見送った後、家に戻るノラを追って画面は右へ戻っていく。過去(ヘソン)から現在(アーサー)に戻るかのような、ノラの足取りがとても印象的だった。
映像のほかにもうひとつ、心を掴まれたのは「イニョン(縁)」という概念。「袖振り合うも他生の縁」という言葉が日本にもある。前世からのつながりがあり、来世もどこかで巡り合うのであろうふたり。よしながふみさんの漫画『環と周』を思い出す(この映画が好きな人には、ぜひこちらも読んで欲しい)。今世で結ばれなくても、きっとまた、会える。違う愛の形で結ばれる。
NY、ソウル、そして大好きだった幼なじみと最愛の夫。ノラを構成するピースそれぞれがノスタルジックかつロマンティックな手触りだったのは、監督自身の出自や体験がモチーフになっている作品だからか。
ノラの物語は、もしかしたら特別でもなんでもなく、私たちのこれまでの人生(過去世含む)に起きた、またはこれから起きうる物語なのかもしれない。