読書:ドンジョアン有馬晴信 宮本次人
岡本大八事件の真相にせまるとのことで。有馬晴信が気になって読んでみた。晴信を知ってる人なら、ドンジョアン??何?と思うはず。彼の洗礼名はプロタジオで、フロイスの日本史でもずっとドン・プロタジオなのにいきなりジョアンて。その理由(チースリクの説明)もちゃんと本に書いてあった。
内容は晴信の生涯、岡本大八事件の真相と、後半は武士道などの観点から晴信の行動の考察。晴信本人の絵と言われていた、山梨にある十字架を持った虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)像や島原のキリシタン墓碑についても書いてある。
晴信について、当時近くにいた宣教師たちは当然絶賛。でもその後フランスで出たイエズス会士が書いた本では晴信は悪人扱い。貿易など利益のために受洗した動機、キリシタンなのに側室がいたこと、そして「政治上で色々問題があった」ことなどがマイナス面なようだ。ただ戦後、キリシタン史は見直されてきたらしくチースリク、結城了悟、両司祭は、当時ほどでなくても晴信を評価。禁教令下でも晴信は全くひるまずイエズス会やキリシタンを命懸けで守ってきたし、処刑前の最期の様子を読む限り、動機はどうあれ熱心なキリシタンになったのは間違い無い。
晴信の最後の様子はこちらにも詳しく書いてありました。
本題の岡本大八事件。
これはマードレ・デ・デウス号(別名:ノッサ・セニョーラ・ダ・グラサ号)の事件と連動していることもあって、登場人物がそれぞれ色々な思惑があるのでとても複雑。まあ真実がわかることなんてないだろうけど、鍋島藩、ドミニコ会、フランシスコ会の記録からこの事件の違う見方が見えてくる。
大八の詐欺によって晴信が連座ということになっているが、実際この話を持ちかけたのは晴信。晴信は鍋島藩の領土になっている藤津を欲しがった。なぜ晴信の旧領でもない藤津なのか。それはドミニコ会が藤津で活動していたから、対立するドミニコ会の活動地域を自分の勢力圏にいれたいイエズス会に、晴信はすべて従うことにしたのでは、と著者。
ちなみに「クアトロラガッツィ」でも、この大八事件は少しだけのっていて、同じ鍋島藩やフランシスコ会などの資料から、やはり黒幕はイエズス会ではないか?となっている。ただ、クアトロラガッツィには、デウス号の積荷が全部沈んだため、生糸貿易で費用をまかなってきたイエズス会が大打撃をおった・・とあり、そのほうがそれぞれの行動等、まだ納得いきそうだけど、この本でデウス号の積荷に関してまた新たな別の事実が判明したのでますます難解になってきた。
それにしても、対立する会を妨害したいため、最終的に晴信の息子 暗殺計画までいくのも謎だし、イエズス会側からしても妨害のために結局最後のキリシタン大名・有馬晴信を失い、さらに江戸の大禁教令につながるなんて、そこまでヘマするかな。まあ徳川からしたらイギリス・オランダが現れてもはやポルトガルは必要なくなってきている中で、貿易や長崎の件で何かと絡んでくるイエズス会は無用になって理由はともかく追放の機会を狙ってただろうけれど。
いずれにせよ、晴信ってフロイスの日本史なんか読むと、(当然だけど)人間らしいところが見え隠れしてお調子者のイメージというかなんだか嫌いになれない。新たな資料が見つかれば、またこうやって本になっていって欲しいと思います