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瀬戸内の離島で天日塩づくりに魅了された元ラジオディレクター【やりたいことの見つけ方】

「自分の中で確信の持てる直感」に従って、導かれるように人生を決断した経験はあるだろうか。振り返ると、1年半前に私が小豆島しょうどしまへ移住を決めた時も、そんな自分の直感を疑うことなく、流れに乗って決めたように思う。

この記事の主役は、東京のど真ん中のラジオ局で番組制作をしていた元ラジオディレクター。彼は、取材で訪れた瀬戸内の離島、豊島てしまに惹かれ、翌々月には妻と共に移住。さらにその2年後、自身の直感に従って塩ハウスをつくり、天日塩づくりを始めた。

今回は、そんな1組のご夫妻の移住と塩づくりにまつわるストーリーをシェアしたい。

◆プロフィール

門脇 湖(かどわき ひろし)
てしま天日塩ファーム 塩守しおもり

門脇 まゆみ(かどわき まゆみ)
てしま天日塩ファーム 運営

活動エリア: 豊島てしま・家浦地区(香川県土庄町とのしょうちょう
移住時期: 2014年
移住前の居住地: 東京都

瀬戸内の離島、豊島てしまで塩づくり

小豆島からフェリーで約30分の豊島。東に唐櫃からと、西に家浦いえうら、南に甲生こうの3つの地区がある。この中の家浦地区のさらに僻地にある神子ヶ浜(みこがはま)に塩ハウスを構える「てしま天日塩ファーム」を営むのが、門脇さんご夫妻だ。

てしま天日塩ファーム
「塩守」の湖さんと妻まゆみさん

海水の質、日の当たり方、風向き、海の様子など、「天日塩づくりは場所が7割」と言われるほど、場所に左右される塩づくり。塩づくりに魅せられた夫・湖さんは、半年ほどかけて豊島の海沿いを1箇所ずつ調査。天日塩づくりに最適な場所として塩ハウスを建てることに決めたのが、ここ、家浦の神子ヶ浜みこがはま

離島らしい雰囲気が魅力の豊島
そんな島の中の僻地にあるのが神子ヶ浜

施設は、島の大工さんに依頼。
湖さんが大工さんの作業を手伝って、二人で完成させた。

湖さん あの頃は毎日大工仕事をしていたから、塩づくりを始めようとしているのか、大工になろうとしているのかわからないくらいだった。(笑)

島の大工さんと一緒に建てた塩ハウス
木箱は全て湖さんとまゆみさんの手作り

今年で6年目を迎えた「てしま天日塩ファーム」
今では島内外から注文が入るようになったが、ここに至るまでにはドラマがあった。

流下式塩田りゅうかしきえんでん

塩ハウスの隣にそびえ立つ流下式塩田りゅうかしきえんでん。ゆるやかに傾斜のついた地盤にゆっくりと海水を流し、太陽の熱と風の力で水分を蒸発させ、塩分濃度を上げる方式の塩田だが、作りたて当初は木やコンクリートの灰汁あくが出るため、10ヶ月ほど空回ししておかなければならない。流下式塩田が使えない1年目、湖さんは海水から塩づくりを始めた。

この施設が完成した翌日、てしま天日塩ファームを開業。後述するが、この時点で湖さんが塩づくりを現場で学んだ期間は、実質2週間。この1年目に「自主練」と称して、来る日も来る日も塩を作って、天日塩づくりの基礎を身につけた。

取材中のワンシーン
塩づくりを楽しむ湖さんの思いが伝わってくる

冒頭でも触れたように、天日塩づくりは場所や気候に左右される。別の場所で修業をしたとしても、自然環境の条件が異なれば、そこと同じ塩は作れないので、結局、その場所に合った塩づくりを自分自身で見つけなければならないという。

湖さんはこう振り返る。

湖さん 僕の場合は、誰かのもとで何年も修業するよりも、数ヶ月間、自分一人でもがきながらやった方が身になるタイプだから、逆にそれがよかったのかもしれない。

また、こんなお話も聞かせてくださった。

湖さん 僕が塩づくりを始めたのは、47歳。これが20代の頃だったら、何年もかけて修業しても良かったのかもしれないけれど、自分の場合はそんな呑気に修業している場合じゃない。ロケットスタートを切らないと死んでしまう!と思った。(笑)

島の人たちが猛反対!その理由は?

手やヘラを使って塩水を混ぜていく
真夏の塩ハウスの室温50℃超えは珍しいことでないのだとか

豊島での塩づくりを決めた湖さん。その決意は固かったが、地元の人たちからは猛反対されたという。

まゆみさん「お前の旦那、大丈夫か?」と会う人会う人に心配されて。(笑)

湖さん 塩づくりの準備をしていた1年間は、側から見たら僕は無職だから。「奥さんはよく働くのに、旦那さんは・・・ねぇ。って。「塩なんかで食べていける訳ないんだから、バカなこと言ってないで真面目に働きなさい。」って散々言われて。(笑)

地元の人たちが門脇夫妻の塩づくりにこんなにも強く反対したのには、大きな理由があった。40年以上に渡り問題となっていた、豊島で起こった日本最大級の産業廃棄物不法投棄事件だ。

まゆみさん「産廃問題のことがあるから、豊島でつくった塩なんて売れない」って、そういう話もされたし・・・。

湖さん 島の人たちは産廃のことをかなり気にしていて、「売る時に、豊島の塩って言わない方がいいぞ。」って言ってた人もいた。

気にかけてくださる地元のみなさんの声を受け、湖さんは自身で環境省が定めている27項目の水質調査を実施した(検査表はWebサイトで公開)結果、キレイな海水であったことが確認でき、その結果に安心いただけたのか、以降、島のみなさんからの反対の声はなくなったという。

塩守しおもりがつくる天日塩

1年目の春頃から、島のマルシェなどで試験的に塩の販売を開始し、2年目を迎えた頃から本格的に販売を始めた「てしま天日塩ファーム」。

当初は、島のマルシェで島の人たちや観光客の購入がメインだったが、徐々に物産展や他地域のショップなどでも取り扱いが決まり、いまではWebサイト経由で日本全国から注文が入るように。また、門脇夫妻の作る塩は、土庄町とのしょうちょうのふるさと納税返礼品としても人気が高いという。

豊島完全天日塩 夏塩(粗粒)と冬塩(細粒) | 【公式】香川県土庄町(とのしょうちょう)ふるさと納税サイト|瀬戸内海に浮かぶ小豆島の北西部に位置する土庄町は、人々を魅了する美しい自然や、ギネスに認定された世界一狭い海峡「土渕海峡」、潮の満ち干きで現れたり消えたりする不思議な砂の道「エンジェルロード」、壺井栄の名作「二十四の瞳」の平和の群像などの観光スポットが数多くあり、ドラマや映画のロケ地にもなっています。 豊島の豊かな海水を汲み上げ、火入れを一切せず太陽と風の力だけでじっくりと時間をかけて作った完全天日、夏の日差しを浴びて育つ furusato-tonosho.furusato-basic.com

最初に私が取材に伺ったのは2022年初め、まだ冬の寒さが厳しい頃。
自然環境によって変化する天日塩は、時期によって塩のできるスピードや粒の大きさ、味も異なる。

冬場は2ヶ月ほど、夏場は1ヶ月ほどの時間をかけて、塩水からゆっくりとつくられる天日塩。冬の時期にはキメの細かい塩が、また、夏には粒の粗い塩ができるという。

冬の取材時に撮らせていただいた冬の塩
同じく夏の取材時に撮らせていただいた夏の塩

湖さんが生み出す数々の塩の中で、私がとても気に入っているちょっと珍しい塩がある。

まずは、塩づくりの過程で塩水に浮いてくるこの膜のような塊をご覧いただきたい。

塩水の表面に膜のように浮かんでいる塊
これがフレーク状の塩になる

通常であれば、この塊はもっと脆くて崩れやすいのだが、この場所の自然環境では、しっかりとした大きなフレーク状の塩になる。

豊島の自然現象から生まれたフレーク状の塩「しおの花」
肉・魚料理にパラパラとかけると見た目も味も抜群

木箱に張った塩水を手でかき混ぜ、底に溜まった塩を中央に集めていく。これを1日に何度も繰り返すことで天日塩はつくられる。

塩を攪拌するとき、ヘラを使う人も多いというが、湖さんは基本的に手を使ってかき混ぜている。敢えて手でかき混ぜるのは、水温、粒の細かさなど、得られる情報量が圧倒的に多いからだそう。

塩ハウスの中には、足元や木箱のフチなど、あちこちに塩が溜まっている。これは天日塩を作り続けるうちに自然と作られたもの。この塩たちが、塩づくりに最適な環境を創り出してくれるという。

立ち上げ当初はまゆみさんも塩づくりの現場に出ていたが、現在は注文件数が増えてきたこともあり、湖さんが塩づくりに専念、まゆみさんがパッケージングする前の塩の中の不純物を丁寧に取り除いたり、パッケージの布を切って縫った手作りの袋に塩を詰めて発送している。

やさしいデザインが特徴のパッケージのアイデアは湖さんが、それをデザインで形にしてくださるデザイナーは、同じく豊島へ移住して来られた夫婦パフォーマンスユニットusaginingen(ウサギニンゲン)平井絵美さん。また、完成した天日塩にレモンの果汁を少しずつ染み込ませながら、さらに天日で干して作る「レモンの塩」は、豊島の農園で無農薬で育てている豊島レモンさんのレモンを使用。

湖さんの生み出す天日塩のように、プロダクトの細部にまで豊島の素敵なエッセンスが混ざり合っている。

真冬は極寒、真夏は極暑の塩ハウス

塩ハウスの天井
陽の光がたっぷり降り注ぐ仕様で造られている

昨年の高知の塩職人、田野屋銀象さんの記事でもご紹介したが、塩づくりの作業は自然と隣り合わせ。特に、極寒の真冬、極暑の真夏の作業風景は「世界一過酷な職場」とテレビ放映されたこともあるのだとか。

地中海を思わせる温暖な瀬戸内海に浮かぶ豊島も、冬は極寒、夏は極暑の中での作業が待っている。夏の取材当日も、とにかく日差しが痛かったことを今でも鮮明に覚えている。

しかし、何事も楽しんでしまう湖さん。
この日も作業の合間に「ちょっと海で冷やしてくる」と、おもむろに海へ。

瀬戸内海にぷかぷかと浮かびながら体を冷やす湖さん
この休憩スタイル、塩守界ではおそらく湖さんだけ!?

塩のルーツである海に浸かり、空を仰ぎながら、この日もせっせと塩づくりに励む湖さんであった。(笑)

ラジオの取材で全国各地へ

ここで、門脇夫妻が移住に至った経緯に触れてみる。

20代の頃の湖さんは、レストラン勤務を経て、東京でクラブのプロデュースや立ち上げ、運営に従事。自身でイベント企画やDJをすることもあったという。クラブプロデュース業から離れた27歳、湖さんはバックパッカーとして世界中を旅したが、その後、縁あって、30歳を目前にした湖さんが就いた新たな仕事、それがラジオ番組の制作ディレクターだった。

様々な番組制作を経験した後、湖さんが制作に関わることとなったのが、TOKYO FMをはじめとする全国FM36局で12年に渡って放送された朝の人気ラジオ番組「Honda Smile Mission」

この番組が、湖さんと豊島を出逢わせるきっかけとなる。

HONDAの車で全国47都道府県を1年かけて1周しながら、地域のこと、地域で頑張る人にフォーカスした取材がコンセプトの番組。当時の湖さんは全国各地を飛び回るこの仕事で、番組ディレクターとして携わった5年の間に日本を5周したという。

日本中を駆け巡り、職人さん、農家さん、地域おこし協力隊など、取材を重ねるにつれ、湖さんの胸にある思いが生まれる。

「いままで何の疑問も感じずに東京で暮らしていたけど、何で東京にいなきゃいけないんだろう?」

全国を回る取材の中で、田舎の中でも特に島暮らしに心惹かれた湖さんは、積極的に取材先として離島をピックアップ。瀬戸内海の小豆島、豊島、直島を巡った取材でも、島の暮らしや島にはどんな仕事があるのかなど、現地の声を聞いた。

「小豆島は移住者も多く受け入れているし、仕事も住居もそれなりにある。豊島は、いい島だけれど、仕事も住める家もない。」と島民から聞くことができたものの、取材は正月明け早々。島内を歩いてもほとんど人がおらず、現地のことはほとんど何もわからなかったと湖さんは当時を振り返る。

この取材で巡った瀬戸内海の3つの離島の中で、湖さんが最も「島っぽさ」を感じたのが、滞在4時間で駆け足で取材をした豊島。しかし、この時に豊島に特別ビビッときたわけではなかった。

縁を引き寄せた、空き時間のスマホ検索

豊島と比べて人口も移住者も多い小豆島

「そういえば小豆島に仕事があるって言ってたなぁ。どんな仕事があるんだろう?」東京へ戻った湖さん。バスの待ち時間にふと、島の取材で聞いた話が頭に浮かんだ。

スマホで「小豆島 求人」と検索してみると、一番最初に出てきたのが、島のとあるレストランのマネージャー募集だった。

このレストラン、小豆島ではなく豊島にあるのだが、小豆島のほぼ半分と豊島は、私の住む香川県土庄町とのしょうちょうの行政管轄。こうした情報のエリア分けでは、小豆島と豊島が同じ区分にされることが多い。この時、小豆島で検索したのに豊島の求人情報が表示されたのはそうした理由からだ。

求人情報をよくよく見ていくと、それは湖さんが「島っぽくていいなぁ」と感じた離島、豊島のレストラン。その場ですぐに電話して、まだ募集があるか聞くと、オーナーが2週間後に東京に行くので、そこでオーナーと会ってほしいと言われた。2週間後、東京駅のスタバでオーナーと会い、そこでトントン拍子で翌月から豊島での仕事が決定。

当時、湖さんが番組制作をしていたTOKYO FM(エフエム東京)は、東京駅を背にして皇居のお堀を歩いた反対側の半蔵門はんぞうもんにある。東京駅でレストランオーナーとの話を終えた湖さんは、その足でTOKYO FMへ向かい、翌月で仕事から離れて豊島へ行くことを伝え、その直後にまゆみさんに電話でその旨を伝えたという。

出発前の1ヶ月はとにかく引っ越し準備が大変だった、と、まゆみさんは当時を振り返る。

まゆみさん 豊島は離島なので、(引っ越しを)お願いできる業者も限られていたから大変で。ラジオの仕事やクラブDJもしていたから、CDやレコードなんかも山ほどあって。時間がなかったから、結局そのまま持ってきました。

湖さん まだそのダンボールの中、見てない・・・。(笑)
(引っ越しは)僕が先にこっちに来て2〜3日後に荷物が届く、みたいなところでお願いしたんだけど。確か貨物列車で岡山かどこかまで来て、そこから車で運んでフェリーに乗せる、みたいな方法で。

東京から瀬戸内海の離島への引っ越しは私も経験したが、まず東京から四国まで行ってもらえる引っ越し業者が限られる。そこから離島となると、さらに限定される。日本へ帰国早々で家具を持っていなかった私でさえ、ウン十万の引っ越し見積が届いて驚愕したのを覚えている。

前述の通り、翌月に引っ越して豊島で働きはじめた湖さん。その行動力を尊敬すると共に、短期間で引っ越しをコンプリートしてしまったまゆみさんの臨機応変さにも拍手!である。

「離島の中の離島」、豊島へ移住

豊島の棚田と瀬戸内海

東京で生まれ育った私が小豆島へすんなり移住を決められたのは、離島の割には利便性が良さそうだったから。しかし、豊島は違う。小豆島で島暮らしをしている私から見ても、「THE 離島」な環境、それが豊島だ。

より具体的に言うと、豊島にはコンビニもスーパーもドラッグストアもない。小さな診療所はあるが、病院もない。買い物は週に一度、島外へ買い出しに行くか、若い人たちはAmazonで買い物する。豊島は、「離島の中の離島」なのである。

生まれは広島、首都圏で生まれ育ち生活してきた湖さんと、都会と自然のバランスが絶妙で、どこへ移動するにも30分から1時間ほどの利便性の良さが人気の東京・町田市で生まれ育った、妻・まゆみさん。移住直前は、三軒茶屋(渋谷から近く、飲食店も多い、芸能関係者も多く住むような人気エリア)に住んでいた門脇さんご夫妻。「都会の中心」と言っても過言ではないこの街に住みながらも、まゆみさんはこんなことを感じていたという。

まゆみさん (湖さんが)仕事で日本中あちこち行っているのを見ていて、なんとなくそのうち東京を離れる日が来るのかなぁって。小さい頃に、海や山の近くに住む親戚の元へ行った時にそこの暮らしを見ていたから、豊島で暮らすことにもそこまで抵抗はなかったですね。

思い立ったが吉日!塩守しおもりへの道

瀬戸内海に面した場所に構えた塩ハウス
真夏のハウスの室温は50℃を軽く超えるという

豊島へ移住して2年が経った頃、湖さんがレストランの仕事を辞める運びとなる。しかし、「豊島で暮らしていきたい」、その思いは固まっていた。

農業なども視野に入れながら、湖さんは豊島で暮らしていくための次の仕事を考えた。その中で、湖さんにある閃きが浮かぶ。

「海水ならタダだし、いくら取っても怒られなさそうだなぁ。」

湖さん 豊島で塩づくりをしている人もいなかったし、それまで塩に興味を持ったことすらなかったから、塩の知識もゼロだった。「天日塩」だから海水を天日に当てて乾かしていくだけだし、そんなに大きな設備もいらないし、お金をかけずに気軽に始められるんじゃないかと思ったんだけど、フタを開けたらとんでもない金額がかかることがわかって。でも、もうその時には塩(作り)をやりたいって思ってたから。

思い立ったら即行動!の湖さん、今度は起業者向けの補助金や助成金を調べ始めた。ここでも豊島移住と同様に、驚くほど順調に話が進み、見事、補助金申請の審査を通過。補助金の申請結果を待つ間、同時進行で塩づくりの現場を回ることに。

小豆島移住前に私が取材させていただいた高知県・土佐市の塩職人、田野屋たのや銀象ぎんぞうさんの師匠、田野屋塩二郎えんじろうさんの修業先である高知県・黒潮町「土佐の塩丸」の二代目、吉田拓丸さん小豆島「塩屋波花堂」の蒲敏樹さんなど、塩づくりの現場で話を伺ううちに、日に日に塩づくりの世界にのめり込んでいき、「これをやりたい」という思いが強くなっていった

高知県の塩職人、田野屋たのや銀象ぎんぞうさんの取材記事

完全天日塩づくりで有名な「土佐の塩丸」吉田拓丸さんの元で2週間、塩づくりの基礎を教わり、その後の塩づくりで困った時には吉田さんの元へ電話で相談にも乗ってもらったが、豊島での塩づくりは基本的に湖さんお一人。試行錯誤しながら塩づくりを突き詰めていった。

変化を楽しめるパートナーがそばに

笑顔が素敵な門脇さんご夫妻
(2022年1月撮影)

湖さんがレストランの仕事を辞め、塩づくりの準備を始めたその頃、島内で別の仕事をしていたまゆみさん。パートナーが塩づくりに挑戦したいと聞いた時、どう思ったのか。

まゆみさん 塩づくりを始めるって私が両親に話をした時、両親がすごく応援してくれて。それを見て、私も応援しなきゃなって応援することにしたんだけど。でも、後々、その時のことを聞いたら「いや、お前が応援してたから応援したんだよ?」って、実はお互いに勘違いしていたことがわかって。(笑)

湖さん 最初の第一歩を踏み出す時は自分の直感で動くことが多いんだけど、豊島に来る時も塩づくりを始める時も、”流れや勢いに乗って”と言ってしまえばそうなんだけれど、自分の中ではちゃんと確信があって。最初の一歩は自分の直感に従うことが多いかな。「自分が次に行く場所はここなんだ」って豊島に来て、塩づくりを始める時も「俺、塩やるんだ・・・でもこれ、絶対成功するパターンだな」っていうような確信が自分の中にはあったんだけど。でも、直感で一歩足を踏み出したら、そこからは調べたり勉強したり、とことん準備するよ。

まゆみさん 決めたらずっと頭の中でそのことばっかり考えるくらい、成功までの道筋を立てる人で。期日までに書類も山のように作らなきゃいけないし、塩の設備を作るのに設計士さんも呼んだりしていて、全てが同時に進んでいたから、すごく大変だったと思う。

湖さん 直感に従って一歩踏み出すことはすごく大事。でも、直感を信じて一歩踏み出したら、そこからはしっかりと地道に努力して、一歩ずつ自分の力で進んでいかなきゃならないと思うんだよね。

–––豊島移住、そして、塩づくり。
「思い立ったら即行動」、ストイックに突き詰めていく湖さんと、その流れに乗って、共に進んでくれるパートナーまゆみさん。終始、笑みが溢れるお二人の取材であったが、ポップなエピソードの裏には様々な努力が積み上げられてきたと私は思う。

ときに直感を信じて踏み出してみること、しんどいと思うか楽しんでみるかは自分次第であることを、この取材で改めて気付くことができた。

▼メディア取材記事

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Posted by SAYULOG on Sunday, July 24, 2022

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