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海外から日本へ一時帰国のはずの私が、東京から小豆島へ移住した7つの理由
人生における数々の選択を、自分で選ぶって難しい。
もちろん他人には私やあなたの代わりにその時間を生きることはできないのだから、結局のところ自分の生き方は自身で決めるしかないのだ。
しかしながら、未来がわからないからこそ、その時々の生き方や選択に責任を持つのも怖い。怖すぎるから、出来ることならいっそ誰かに決めてもらいたい。そんな風に思う場面だってきっとある。
「不可抗力」であったり、ときに自然の流れに身を任せてなんとなく進んだ道に見えたとしても、結局のところそれって「自分がそう決めた」から存在する過去であり、現在なのである。
一時帰国のきっかけ
2014年から昨年11月までの約7年ほど、私は海外に住んでいた。オーストラリア、トルコ、中でも6年という最も長い期間拠点としていたのは、日本の隣りにある台湾だ。それだけ長く生活してきたので、私の基盤は全て台湾にあったし、今回の帰国は、当初、母の退院を機に「退院後、母の生活と昨今の状況が落ち着くまでの半年程の一時帰国」の予定であった。しかし、当初の帰国予定時期に発生したハプニングにより、そういう訳にもいかなくなった。
※上記の記事以降、色々とアップデートがあるのだが、正直な話をすると、全てのSNSにおいて、私自身がクリエイティブなアウトプットができるようなメンタルや状況ではなかったので、また追々続きを書いていこうと思う。
帰国長期化に出した答えは「地方移住」
記事の標題だけ見ると、また何とも突拍子もないことを言い出した、と思う人もいるかもしれない。しかし、実際のところ「ノリで地方移住しちゃいました!」とかいう軽々しいものではないのだ。
これまでの人生において、私は物事を直感で決めてきたことも多かった。側から見ればとても自由そうで、フットワークが軽すぎると言えるので、あまり深く考えてなさそうに映ることもある。実際、私のことをよく知らない人にはそうした誤解を与えることもあったし、理解を得られず、ひとり傷ついたこともあった。けれど、名曲セロリの歌詞ではないけれど「育ってきた環境が違うから」この世界の全ての人に、自分の全部を理解して、味方になってもらおう、というのは到底無理な話らしい。
本記事では、私がこの夏に東京から香川県の瀬戸内海に浮かぶ700以上の島のひとつ、小豆島の人口約1.3万人弱(2021/4/1現在)の小さな町、土庄町へ移住した理由についてシェアしたい。「知りたい」とか「ヒントにしたい」と思ってくださる誰かのためになるのなら。そんな気持ちで「こんな生き方もあるよ」というひとつの例として、自分の経験をシェアしたいと思う。
1.東京以外に住むという選択肢
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私が東京から小豆島の土庄町へ、いわゆる「Iターン」をしたのは今年2021年の7月初めのことだった。それまでの数ヶ月間は、台湾へ戻るまでの暫定滞在先として池袋周辺のマンスリーマンションを借りていた。最寄駅からのアクセスも建物の設備も良く、池袋までタクシーでも行ける距離で、本来であれば外食にもショッピングにも利便性に長けた立地。また、母の入院する病院と母の自宅の間くらいに位置する場所でもあったので、とても気に入っていた。
欠点は、家賃がいいお値段すぎたこと、この遠出を控えざるを得ない昨今は、近所の商店街も隣駅の池袋駅周辺も人が多すぎたこと。母の病院への行き来と買い出し以外はほぼ外出せず、打ち合わせも人と話すのもほぼオンライン。しかし、母が再入院することとなり、しばらく日本にいることを決めた時、この先もここに住み続けるのかを考えることとなる。
東京にいて自宅に籠るくらいなら、他の場所でもいいのでは?
幸い、私の仕事はネットがあればどこでも出来る。ネット環境さえ安定していれば場所に囚われる必要はない。
自分の生まれ育った街なので、東京は好き。ただ、私は海外へ出るまで東京以外に住んだことがほぼ無く、他の地域を知らない。これを機に、いっそ馴染みのない土地を知るのも楽しいのでは?と閃いたのだ。
2.小豆島とトルコの不思議な共通点
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2019年9月〜11月の丸3ヶ月。その2ヶ月後から世界がこんな事態に陥るなんて誰ひとりとして想像もしていなかったその頃、私は仕事でトルコ共和国最大の都市イスタンブールに住んでいた。
トルコ語はろくに話せなかった。また、当時の私は撮影や仕事に関しても非常に準備不足だったと思うし、スキルも伴っておらず、大変なこともたくさんあった。
▼トルコで撮影した動画
動画に登場するホテルのブッフェにオリーブがたくさん並んでいることから、トルコ人のオリーブ好きな様子がわかります。
観光客としてではなく、現地で3ヶ月間生活をさせていただいたことで、ケバブやトルコアイス、イスラム教国家らしい、という断片的な情報しか知らなかったトルコのリアルを、良い意味でたくさん知ることができた。とにかくごはんと街が肌にあう。悲しいことに「中東」とだけ耳にすると、誤解やネガティブなイメージが強いここ20年だが、トルコにはアジアに生まれ育った私たちが味わったことのない素敵なもの、また、街を歩くだけで垣間見えるこの地に刻まれた歴史や文化に溢れる魅力いっぱいな場所。機会があればぜひ一生に一度は足を運んでいただきたい。叶うなら、私はもう一度ゆっくりと住みたいくらいトルコが大好きだ。
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イスタンブールの中心地には、アジア側とヨーロッパ側を隔てるボスポラス海峡という、広い川のような穏やかな海峡があり、そこを無数のフェリーが往来している。イスタンブールの人々にとって、この海峡とフェリーは通勤通学、買い物など、生活の一部。幼い頃に観たジブリ映画『魔女の宅急便』に憧れた私にとって、この「海×フェリー×生活」と、終始陸地を眺め続けながらフェリーで移動するという不思議な感じが私のお気に入り。
初めて小豆島を訪れる際に乗ったフェリーから眺めた、美しい空と穏やかな瀬戸内海、そこに浮かぶ島々、往来するフェリーの優雅な様。それはまるでイスタンブールのボスポラス海峡でフェリーに乗っているかのような感覚だった。
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さらにもうひとつ、わかりやすい共通点がある。小豆島もトルコも食材が豊富で、とりわけ、オリーブの産地として有名であること(小豆島は別名「オリーブの島」と呼ばれている)。
トルコがオリーブの産地であることは残念ながら日本ではあまりよく知られていないが、エーゲ海と地中海を有するトルコの気候は瀬戸内海と同じく温暖でオリーブ作りにとても適しているのは、トルコの近隣諸国においては有名な話。トルコ人は朝ごはんにチーズを食べる習慣もあり、チーズあるところにオリーブあり、なのだ。
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3.島暮らし初心者向けの土庄町
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小豆島は、海、山、川、あらゆる自然で溢れている。この小豆島には、島で最もフェリーの便数が多い小豆島の玄関口「土庄港」や、潮の満ち引きで小さな島へ渡ることのできる観光スポット『エンジェルロード』、多くの宿泊施設の他、コンビニや大型スーパー、ドラッグストア、ホームセンターなど生活に便利なショップが集中しており、私のような島暮らしデビューしたばかりの人間にも比較的馴染みやすい土庄町と、映画『二十四の瞳』『八日目の蝉』、実写版『魔女の宅急便』のロケ地や、美しい紅葉で有名な寒霞渓など観光スポットが集中する「小豆島町」がある。
なお、私の住む土庄町は、小豆島の以外にも、瀬戸内国際芸術祭では多くのゲストが訪れるという豊島美術館や美しい棚田が一面に広がる「豊島」と、島の人口よりもオリーブ牛の数の方が圧倒的に多いとテレビで話題になった「小豊島」という2つの離島も有している。これらの離島はみなさんの想像する「島」という感じで、私の住む地域よりもさらに大自然に囲まれた環境だ。
私が初めて小豆島を訪れた際に滞在したのは、ADDress小豆島A邸。前述のあまりの便利さから、私は当初ここが本当に離島なのかと疑ったほどである。後日、動画でも紹介するが、このADDress小豆島A邸は、本当に素敵で居心地がいい。家守をされている北田さんも数年前からこの町に住む移住者のひとり。滞在中は、移住者視点、島民視点の両方のお話を伺うことができた。その時に伺った、移住者に対して比較的オープンであるという点も、私が小豆島へ移住してみたいと思った理由のひとつである。「いい島だな」直感でそう思った。
移住してはや2ヶ月。毎日、海や山、田畑を眺め、時に道端でたぬきやカニ、車で少し山を登ったところでウリ坊や夏の終わりに早々に色付き始める紅葉を見つけるなど、日常に自然が溢れていて、私にとっては毎日が相変わらず”ワーケーション”であり、それがいつの間にか生活の一部になっていることに気付く。「たぬき」とか「ウリ坊」なんていうワードが聞こえてくるのが日常茶飯事になるなんて、東京で生活していたら想像もつかなかっただろう。
※ウリ坊の近くには親イノシシがいるケースが多く、この親がぶつかると車は大破らしい。危険なので要注意!
4.もっと日本を知り、届けたい
今年2月より高知県から開始した企画 SAYULOG meets JAPAN と仕事の撮影で、私はこの春に生まれて初めて四国を訪れた。
四国4県のうち、訪れることができたのは高知県と香川県。感じたのは、四国は空が澄んでいて美しいこと、食材が豊富でおいしいこと、江戸に都を移すまで歴史の舞台となった場所が多く存在し、現在へと大事に引き継がれてきたこと、そして、初めましてな場所とは思えないほど人がやさしく温かいこと。
日本に生まれ育った私だが、特に日本の西側のことをよく知らない。そこで感じたのは、海外のゲストはもとより、日本人にもこの「日本らしさ」を知ってもらえるきっかけを作りたいということだった。
昨今の状況で未だ叶わないが、物理的に西日本エリアにいれば、自分の住む小豆島はもちろん、近隣府県にも足を運び、自分の目で見て知ったことをSAYULOGで発信しやすいだろうし、シェアできるチャンスも広がる。国内外のゲストにもっと日本を知ってもらい、アフターコロナに足を運んでもらえたら、日本はもっと元気になれるかもしれない。そう思った。
5.家族が元気になれるなら
私が元気にしたいのは、SAYULOGを応援してくださる視聴者さんたちや、撮影に協力してくださるみなさんだけにとどまらない。
同時に、私の家族も元気にできたらという願いがある。
私の母は長年、病を抱え続け、かれこれ20年以上もその辛さを克服できていない。また、本人の心配性な性格と病が重なって、とてもじゃないけれどひとりで新しい環境を開拓したり、旅行へ遠出できるような状態ではなかった。そんな母へ、いま日本にいる自分ができること、得意なこと、してみたいこと、母が喜んでくれそうなこと。それは、母が見たことのない場所を動画や写真で届けることだった。視聴者さんだけでなく、自分の家族にも私を通してこの世に存在する素晴らしい風景、技術、見たことのない世界をシェアすることで、その先に繋がるものがあるかもしれない、と。
また、私がこの地へ移住を考えたのは、母と同年代の方が多く、どこか懐かしい隣近所との付き合いが残る、自然溢れるゆったりとしたこの島ならば、東京でほとんど友達がいなかった母にも心身共に快方へ向えるチャンスがあるかもしれない、そう思ったからだ。
もちろん、100%快方へ向かう保障なんてどこにもない。しかし、これまでやってみたことのないチャレンジで、良い方向に向かう可能性が1%でもあるかもしれないのだから、チャレンジもせずに諦めてしまうのはもったいない。
それに、東京は、普段の生活はもちろん、東京というだけで何かとお金がかかる。
母本人の状態に波があるので、「小豆島へ行きたい」と言ったり「東京に残りたい」と言ったり、現状は日によってまちまちだが、母が生きている間にもっと「楽しい」と思える日々を1日でも多く過ごせるように、そして、そう遠くない未来の介護のために、環境を整えていくことも必要なのかもしれないと思ったのだ。
土庄町の人口で最も多いのは55歳〜74歳の年代だそうだ。その状況を知っていながら、年齢ゾーンのど真ん中に入ってしまう私の母も一緒に移住、なんて相談をしていいのだろうか。少し躊躇したし、「こんなことを考えています、などと言えば、今回の話が白紙になるかもしれない。」そんな不安もあったが、勇気を出して役場の方に相談してみると、担当部署の方を交え、みなさんで親身になって相談に乗ってくださった。それは私にとってとても嬉しく、母のことで心細くなっていた私の心を支えてくれた。
6.引き寄せの魔法とチャンスの前髪
初めて小豆島へ向かった日。行きのフェリーで、私の脳裏に「このトルコに似ている”オリーブの島”に移住している人はいるのだろうか。」そんなことが過ぎった。瀬戸内海の島々を望むフェリーの上で、スマホ片手に検索したのは「小豆島 移住」。
その時に検索上位にヒットしたのが、小豆島や豊島の移住支援、空き家・空き地の活用促進を中心に活動されているTotie(トティエ)さんのWebサイトだった。
どんな人たちが、どんな風に、これから上陸する島に海を渡って移り住むことに決めたのか。
島に到着するまで60分のフェリーの旅。瀬戸内海にぽこぽこと浮かぶ島々を眺めながら、そのうちの半分ほどの時間はこのサイトのIUターンインタビューの記事を読み漁っていた。
※私はこれまで地方移住がずっと気になっていた訳でもなく、本当に偶然だった。
翌日、小豆島から高松で早朝から撮影に出なければならないというその日。連日の疲れから、よりによってフェリーの時間に間に合いそうもない時間に起床。やってしまった!ヒールで小走りにフェリー乗り場目指して走る。こんな島でヒールで全速力で走っている女子は滅多にいないだろうし、ほぼ確実に島の住民ではないだろうし(島民はたいてい車やバイク移動)、港へ向かってダッシュしているわけだから、おそらくフェリーに乗りたい人。しかも週末の朝7時過ぎで辺りはとても静か。若干諦めかけ、小走りから徒歩に変わった私に、道の反対側から声を掛ける人がいた。
「フェリー乗るの?高速艇?乗っけてってあげるよ!」
お寺の駐車場脇で、たまたま朝の体操をされていた住職さんが声をかけてくださった。
仏様!住職様!
助けてくださるなんて・・・ありがとうございます!!(叫)
というわけで、そのご好意にありがたく甘え、なんとか撮影に間に合った私は、高松で有名なわらび餅を携え、島に戻るとその足で御礼に伺った。そこでご住職も東京からの移住者であることを知り、これまたびっくり。
香川では、その他にも不思議なご縁が重なった。
まず、小豆島初日に、滞在先のADDress小豆島A邸で、新卒時代の常駐先の大先輩に超偶然再会。
小豆島から金比羅山のある琴平町(ことひらちょう)へ移動し、神奈川から移住してゲストハウスこんぴらハウスをやっている学生時代のバイトの先輩に会いに行き、実はこの琴平町、台湾のとある地区と姉妹都市で、2年前までは毎年多くの台湾人が利用してくれていたことを聞き、四国が台湾や香港の観光客との意外なご縁を知ることに。
その後、ADDressでもリピーター率トップクラスというADDress三豊A邸へ滞在。家守さんにインタビューさせていただいた際、総務省の政策である地域おこし協力隊という制度が彼女の移住のきっかけだったお話を伺い、「そんな制度があるのね!」と知ることに。
そして香川滞在最終日前夜。小豆島上陸初日に開いたスマホのブラウザ(IUターンインタビューのページ)を開きっぱなしにしていたことなどすっかり忘れていた私が、何気なくそこからネットサーフィンを始め、目に入った「土庄町地域おこし協力隊募集について」のリンクをタップ。この募集概要に「イベント企画およびSNSでのブランド認知向上や情報発信」的な内容が書いてあり、さらに翌日夕方締切であることを知る。
これまでの経験でこの町でお役に立てることがあるかも→翌朝担当部署へ連絡→飛行機と列車の中で思いの丈を応募書類に詰めこむ→添付書類を入手すべくスーツケース片手に空港から役所へ直行→滑り込みで無事応募完了→書類審査と面接がトントン拍子に進む→内定決定!
そんな流れで、引き寄せの魔法と「地域おこし協力隊」というチャンスの前髪を掴んで、小豆島の土庄という小さな町へ移住することとなる。
7.地域おこし協力隊で自分のスキルが活かせそう
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下記の 香川県地域おこし協力隊|さぬきの輪WEB でスクロールしてみてほしい。ちょっと照れくさいが、土庄町の地域おこし協力隊員として、私の紹介が出てくる。
私のミッションは、農林水産課で漁業をメインに、農業、林業、畜産業などの第一次産業の情報をイベントやSNSで情報発信すること。土庄町で獲れる新鮮な食材のこと、そこに携わられている現場のことなど、普段はなかなか見られないことを発信し、少しでも多くの方々に小豆島のこと、土庄というこの町のことを知っていただくきっかけを作りをするのが役目だ。
これまでのYouTuberとしてのお仕事する一方、協力隊として、地元の方々と関わりながら、少しずつ土庄町を知り、写真や文章、ときに動画で発信していく。これまで農林水産課では、未来の担い手ポジションの協力隊員を採用をしてきたそうだが、私のような業務は今回が初。私自身も手探りだが、気負いすぎず、私なりにこの地の魅力を発信していけたらと思う。
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