「超える!」の極意 自力と他力=『般若心経』と『歎異抄』=内氣功と外氣功~陰陽統合で超える~
お経の中で一番有名ともいえる『般若心経』を浄土真宗では誦えないそうです。修行によって解放を目指す自力に対して、浄土真宗は『南無阿弥陀仏』(注)を唱えることで解放されるとする他力、相反する世界観だからでしょうか。どちらも悟りという一つの山の頂上を目指しているのに、その方法が真反対の道から登るようです。さて、どちらのルートが正しいのでしょうか。
自力の限界
以前の私は自力系でした。悟るなんて凄いことは、修行しないで楽にできるわけがないと思っていました。しかし、生身の人間はどう頑張っても悟れないだろうと思う心もあります。私たち人間は生きていくうえで様々な制約があります。そもそも魂の器である肉体が制限なのですから、当然のことと言えるでしょう。この制限のかかった人間が、はたして一線を超えて悟ることは可能なのでしょうか。
他力の世界観
ここで浄土真宗の『歎異抄』の世界観を見てみましょう。有名な「善人なをもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」この一節。善人より悪人のほうが救われると説いていますが、果たしてその心は。仏教学を修めた長澤靖浩氏は次のように訳しています。「自分の力で自己解放が可能だと思っている人すら解放される。ましてや、宇宙の無限の働きにひたすら身をまかせようという人であればなおさら、今ここにおいて完全に解放される」
ここでいう善人とは「自分の力で自己解放が可能だと思っている人」すなわち自力の人です。修行すれば、善行をつめばと、己の力を頼みにしている人です。これは一見良いことに思えますが、ある意味傲慢な考えともいえます。なぜなら、自分の力で何事もできると考えているからです。善いことをしているのだからと、ともすれば自分は偉いと勘違いしたり、善人足らんとして、かえって善人になりたいとの欲に執着する状態になりかねません。頑張ることは欲を捨てきれないのと同義です。頑張るほど、悟りからは遠ざかります。そこに気が付き、自らの力だけでなんとかできると考えていたことが傲慢で、自分にはどうしようもできない欲や煩悩などの悪の部分があると認めることができた人が、その謙虚な人が、ここでいう悪人なのです。そこで大いに悩み、その結果、そのどうしようもないところを大いなるものにゆだねてみるという心境に至ったものが救われるのかもしれません。
自力と他力の陰陽統合
ここで冒頭の問「さて、どちらのルートが正しいのでしょうか」に戻ります。私は自力で頑張れるだけは修行して、そののち、最後は完璧といわれる宇宙の采配に身をゆだねるのがいいと思っています。宇宙の無限の働きに身をまかせたその時、限りを超えた世界に到達できるのではないでしょうか。とはいえ、全てを明け渡しゆだねることは、恐怖心が起こり怖くてできないかもしれません。そこを乗り越えるにはどうすればいいか。般若心経では、全ては『空』と説きます。私はあるとき『空』は無ではなく、『空』に満たされているのだと思い至りました。そう考えると「全てを手放すことは、全てをなくすことではなく、全てに満たされることがわかります」。そう気づいた時、恐れはなくなり、般若心経のマントラが示す「超える」世界に、この世にいながらにして到達できるのではないかと思います。
内氣功と外氣功
さて自力と他力の話から、内氣功と外氣功氣功について話しましょう。氣功には内氣功と外氣功の2種類があります。内氣功とは、自ら修行して氣を整える氣功です。くぅ庵では「ぷるぷる養生氣功」がそれにあたります。外氣功とは、施術の氣功をいいます。対面または遠隔で氣功師より氣を受け取って、氣を整えるものです。私は、内氣功は自力、外氣功を他力だと考えます。
氣功も陰陽統合
内氣功をされる方はいらっしゃいますが、外氣功をされた方は少ないかもしれません。また、内氣功で自ら修行しても、外氣功を敬遠するかたもいらっしゃいます。私はこれをもったいないと思います。『氣』というものを体感せずに氣功をするより、外氣功によって氣を体感して内氣功をするのをお勧めします。食べたことのないカレーをレシピだけで作るより、食べてから作ったほうがわかりやすいのと同じことです。また、外氣功で体に氣を通すと、その後の氣の通りも良くなります。道のないところに道を作るより、一回道を通してからその道を太くするのです。
私は先ず内氣功をしました。その後体調を崩して外氣功を受けました。ある程度回復して動けるようになってから内氣功に改めて取り組み、今や自身で発氣できるようになりました。このように二つの氣功に取り組んだ私自身の経験から、外氣功と内氣功を両方することがとてもいいと思っています。
おまけ1 外氣功の体験1
clubhouseで基本第1第3木曜日20:30~氣功の話と遠隔氣功をお届けしています。「波動医学ルネサンス」のクラブにご参加ください。roomがスケジュールされています。
おまけ2 外氣功の体験2
くぅ庵では遠隔氣功を無料で体験できます。詳細はホームページをご覧ください。
おまけ3 空に満たされている
私は数秘術「9」です。そのため自身のエネルギーである「空」についてよく考えます。私はあれもないこれもないと、自分を駄目だと思い、いろいろなものを求めた時期がありました。その私に、あなたは持っているのに不足と考えて余計なことをしていると教えてくれた人がいました。その時、私の中心は空で、それは何もないと考えていたけど、空で満たされていたんだと閃きました。私の中には無限があります。もう必要以上に他から得る必要がなくなったのです。
(注)『南無阿弥陀仏』はサンスクリット語で『宇宙の無限の働きにゆだねる』の意であると長澤靖浩氏は説いています。