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夢を実現していく

「もしもあと一か月しか生きられないとしたら、なにがしたいだろう。
しなきゃ後悔することってなんだろう。」

先日、夫とふたりでドライブしながら話していた話題です。

義母の入院や、お互いの仕事のストレスのこと、抱えたり向き合っているものについて話すうちにふと浮かんだ問いでした。

一瞬、部屋の掃除や食べたいものを食べるといった日常も浮かびましたが、掃除はしたいよりもしなきゃに近く、自分がいなくなったときに「こんなにモノがあって~、もう~大変!!」という声がどこからか聞こえてきそうな気がして、恐れからの願い(笑)

こうしなきゃ、とか残る誰かのために…ということを置くと、わたしのやりたいことは旅でした。


SNSでつながる友人たちに会いに行きたい。
「会いたいねぇ」とメッセージしあいながら、4~5年が過ぎています。

知らない土地に行って、会いたかった人に会って、地のものを食べる。

想像するだけでワクワクする。

そんな夢を夫に話すと、こんな答えが返ってきました。

「一緒に行こうかな」

そう言うかもしれないという予感もあって、心の準備ができていたので(笑)、「それもいいかも」と言いました。

ただ、一人の時間も楽しみたいことをリクエストとして伝えました。

少しずつ、心地いい距離を探してきた今だから、「うん、いいよ。自分もひとりで楽しめるところを探してみようと思う」という言葉が夫からかえってきました。

NVCに出会うまでのわたしたちは、

  • 家族を第一に

  • 家族を置いて出かけるような自分勝手はダメ

  • 家族旅行は一緒に楽しむ

  • 夫婦はいつでも一緒

などなど、知らず知らずのうちに重たいこうであるべきを背負いながら共に生きていました。今思うと窮屈ですが、それが当たり前だと思っていた。
似ていた価値観だったからこそ、違和感に気づけなかったのかもしれません。

両親や義父母を見ていて、家族って夫婦ってなんだろうと感じることがあります。守る守られるを越え、縛り縛られているような感覚。
一緒にいることに疲れ、諦め、心地よさとはかけ離れた関係。

家族という形の中身はもっと自由であっていいし、世代により変化していっていい。

義母の手術が無事に終えたら、ふたりで旅に行ってきます。

今までとは違う旅の形を模索しながら、行きたかった場所へ、会いたかった人に会いに。
自分も夫の思いも大切にしながら。


自分と目の前の人の感情や願いが見えるようになり、それを尊重することができるようになりました。

身近な家族への共感は難しいときも多々あるけれど、わたしの在り方や表現方法が変わったことで、関係性が変化していることを感じています。

いつでも視点は内側に。
伝えるときは願いから。

NVC(共感的コミュニケーション)に興味がありましたら、無料体験会にぜひお越しください。

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