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忘れんぼ姫の花道 中編

 お会いするたび、花が咲くように楽しくお話する花江さん。でも「寝たきりでもないのに、介護は受けません。もの忘れもないのに、専門病院へは行きません。」ときっぱりとおっしゃる。

 話好きで人の受け入れは良好だが、介護という言葉を嫌がり、介護保険新規申請に至るまで数か月を要した。
 その間は、主治医へ訪問時の様子を伝え、主治医からも認知症専門医への受診や、介護サービス利用の提案をして頂いたが、頑として「1人で何でもできる」の一点張りであった。
 高齢者の総合相談窓口である、地域包括支援センターとも連携し、同行訪問したりしたが、とにかく介護という言葉に拒否反応が続いた。

 薬剤師の訪問は週1回のため、毎日の服薬管理はとうていできない。
 最近は、遠方の百貨店には買い物に行けておらず、安価なスーパーでの買い物の習慣がないので、実際食事はきちんとできていない様子。
 掃除機や洗濯機の使い方もよく分からなくなっており、清潔保持が叶わなくなってきていた。
 相談支援が進まないことに、正直焦りを覚えていた。

 ある時、テーブルの上に懐かしい制服を着た人形が座っていた。
 その手作りの制服は、なんと私の母校のものだった。
 思わず「花江先輩!」と大きな声で呼びかけてしまった。
 女学校は小さな伝統校で、卒業生には母校愛が強い人が多い。
 花江さんは顔をパッと輝かせて、「私、大先輩ね!」と嬉しそうにうなずいて、語り出した。

 花江さんはモダンな考えを持つ両親に育てられ、幼少の頃に戦争を経験されたこともあり、「これからは女性も自活・自立して生きていく時代」と教えられてきた。
 母校は有名な「お嬢さん学校」で、女学校時代の友人たちは皆富豪の嫁になったが、花江さんは両親の言う通り、自分の道は自分で切り開く人生を選び、それを全うしてきた自身の生き方にプライドを持っている。
 長女であり、同じ女学校に通う下の妹たちの世話や指導もしてきた、と誇らしげに微笑んだ。

 私はその日から「後輩として、先輩に甘える」ことに決めた。
 支援者である私は、自分の立ち位置の取り方が間違っていたことに気づいた。保健師という立場から、指導や助言を行うべき、という考えに固執していた。そのことで、花江さんに対し、どこか上から物申していた自分がいたかも知れない、と思った。
 だから、今まで花江さんは支援サービス導入を、拒否してきたのかも知れない。

 時代の最先端を行く、素敵なおひとりさま生活、ぜひ後輩たちのお手本になっていただきたい。もし、例えば火の元の管理ができなければ、花江先輩のこの美しい城が守れなくなる。そのためには、今の時代はヘルパーサービスなども上手く利用する価値がある。
 と私は後輩として、たたみかけるように伝えた。

……後編につづく

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