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▶︎愛するってどういうこと?

私は過去に書いたバルーン現象の彼と別れ、愛について来る日も来る日も考えた。人を愛するって、今までどんな風に捉えていただろう。

もう連絡を取れない彼。彼氏ではなくなった彼を好きな気持ちがずっと消えなかった。声を聞きたいと言って連絡をすれば接点が持てたかもしれない。でも本心はただ声が聞きたいだけではない事など、自分が一番分かっていた。

声を聞かせて接点を持って、もう一度「愛し合っていた日々を思い出して欲しい」と願っていたし、彼の良き理解者でありたいのではなく、「彼に良き理解者だと思ってもらいたい」が目的になってた。

彼の幸せを願うふりして、「誰とも恋をしないでほしい」とも思っていたのだ。

でもそんな気持ちを向けられた彼の顔を想像するとどうだろう?彼は心地良さを感じるだろうか?愛される幸せに満たされるだろうか?悲しいけれど、きっとそうは感じないだろう。もう好きな気持ちがなくなった私の元に無理矢理彼を置き、私自身も本当にそれが望みなのだろうか?

彼を失い泣き明かす日々の中で、こんな記事を見つけた。

鳥を可愛がるおじさんは、窮屈な鳥籠を可哀想に思い、鳥籠の扉を開けてあげるでしょう。鳥が怖がるなら飛び立たなくてもいい。飛び立って自由に羽ばたき、そのまま帰ってこなくてもいい。鳥はそんな人の元に帰ってくる事があるかもしれませんが、おじさんは鳥が帰ってくる事を強制したりしません。鳥が自由に生き生きと生きる事を、おじさんは心から喜びます。

鳥を可愛がるもうひとりのおじさんは、鳥の怪我を心配し飛び立ってしまう事も不安で、鳥籠の扉を開ける事はないでしょう。鳥がどれだけ外に出たいと鳴いても、おじさんの言う事を聞かない鳥を叱りつけるだろう。いつか鳥籠の扉が開いた時、鳥はこの場所から逃げ出してしまいたくなります。逃げてしまった鳥に対し、おじさんは怒り狂うでしょう。

どちらが本当の愛か、貴方ならわかりますね?

13年前に読んだ記事(当時の記事を見つけられず)

この記事を読んで私はハッとした。私は、彼が浮気をした時も彼の気持ちを尊重せずに私のそばにいるよう強制させた。彼に今後どうしたいのか聞きながらも「当然私と一緒に居ると言いますよね?」という態度をしていた。彼の複雑そうな表情や愛情の変化に気付いていながらも、私が一番愛していたのは「彼の気持ち」ではなく「自分自身」だった事に、この記事を読んでやっと気付いたのだ。

別れてもなお、仕事上顔を合わす事が何度かあった。彼に求めようとしてしまったり、嫉妬心から心がかき乱されそうになった時には何度も何度もこの鳥の記事を読み返した。呪文を唱えるかの如く、自分自身に染み込ませていった。彼を心から愛せてはいなかったという事実と己の傲慢さに気付き、私はとても恥ずかしく、情けない気持ちになってしまったからだ。


愛していると言いながら、私は全く愛を知らなかった。

私は彼を失って初めて、本当の愛を知る事となった。あの大きな痛みが夢中で愛について調べる原動力となり、私は最愛の夫に出会っている。神様が私に真の愛を教える為にあの失恋を与えて下さったと思えてならない。

私に愛を教えてくれた元彼に、今も心から感謝している。そして、誤解されても構わないが、何年も連絡すら取っていない今でも愛している。どうか目一杯幸せであってね。

ありがとう。


ギミコ




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