「ママみたいな人にはなりたくない」と長女から言われてうれしかった発見
数日前、友人が家に遊びに来てくれました。
7歳の長女もその友人にとても懐いていて喜んで遊んでいました。
そんな楽しい時間の中、
「ママみたいな人にはなりたくない」
って長女が言ったのです。
友人は大変ショックを受けていて、
「そんなこと言われたら辛い」
と言っていました。
そんな中、当の本人はというとうれしい発見がありました。
その時にうれしかった発見3つを紹介します。
1つ目の発見:感情が選択できたこと
その言葉を聞いた瞬間、笑っちゃいました。
<そんな面白い事言うんだ>って思ったんです。
そして、友人の前ですが
「ママみたいな人、けっこういいよ~」って言ってました(笑)
数年前の私は自分に自信がなくて、
子育てにも自信がなくて、
ダメな母親だと自分を責めていました。
思春期になったら手が付けられなくなって、
家庭がめちゃくちゃになってしまうと真剣に悩んでいました。
その時の私なら、この言葉の破壊力で、
怒ったり悲しんだり傷ついたりしたでしょう。
母親失格だと思って落ち込んだかもしれません。
今の私は未熟なところももちろんあるけれど、
自分の事も、自分の人生も大好きで愛おしいのです。
「人から向けられるどんな言葉も、
自分の心を傷つけることはできない。
最後に傷つくことを選択しているのは自分なのだ。」
そんなことを言われたことがあったのですが、
その時はそう思う事ができませんでした。
ひどい言葉は人を傷つける。
実際、「傷つけられた」と感じることが多かったのです。
今回、あの時言われたことの意味が腑に落ちました。
確かに言葉そのものは私を喜ばせるものではないでしょう。
その言葉を「その通りだ」と捉えて傷つくのか、
その言葉を「私はそう思わない」と受け流すのか。
その選択は自由なのです。
2つ目の発見:境界線が引けたこと
長女の言葉を聞いて、
<そう思うのは長女の自由だ>と感じた自分がいました。
数年前の私は、長女の事が心配であらゆることに
先回りして世話を焼いたり、干渉してコントロールしていました。
もちろん本人のためだと信じていました。
そんな事を思ってはいけない。
そんな事を思われてはいけない。
そんな考えを持っていたけれど、
そう思うのは長女の自由。
もちろん、母として完璧ではいられないし、
嫌だと思われているところもたくさんあるでしょう。
思うことも思われることも自由なのだと思いました。
そこには、
私は私。
長女は長女。
という境界線がちゃんと引けていると感じました。
長女の感じ方、意見にまで口出しする権利はない。
そう思ったのでした。
3つ目の発見:信頼関係があること
娘と私の間の信頼関係が強いのだと感じました。
そんな事を言われても、私のことが嫌いじゃないとはっきり分かります。
むしろ、そんな嫌なところがあっても大好きでいてくれている娘が愛おしい。
娘も、そんなことを言っても、嫌われることはないと分かっていて口にしています。
2人の間に、思ったことを口にしてもいい自由な関係性がある。
2人の間に、思ったことを口にしても壊れない固い信頼関係がある。
そんな関係を築いてこられたことがうれしかったのです。
もともと長女は繊細で優しく、人が傷つくような事をいうことはありません。外ではお友達思いの気遣いができる子です。
思ったこと、感じたことを言うことも大切。
私をサンドバックにどんどん試していいよと思っています。
私の成長と子供の成長と、
二人の絆の成長。
それを実感できた出来事でした。
その日のお風呂の時間に確認してみました。
「どんなところが嫌でママみたいになりたくないの?」
と聞いたら
「眼鏡かけているところ」
と言われて笑いました。
いつもは眼鏡で、お出かけの時にコンタクトにしたりするのですが、
娘によく
「コンタクトにして」と言われます。
見た目を気にしてキレイにしていて欲しいという気持ちを
ありがたく受け止めたいと思います。
最後は「大好きだよ」と言い合ってハグしました。