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『山茶碗ってナンダ』 バトルトーク観戦記④ さやのもゆ

前回(第3部)は、バトラーのふたりが「火種の壺」の居並ぶ前で舌戦を交わしたところで〝つづく〟となったがー。
お次のラウンドも、陶芸家やコレクターのコレクションがまたもや、ズラリ。
数メートルの長さのケースには、少なくとも50点以上の器が並んでいる。
さっそく増山さんが説明した。

① 陶芸家/コレクターによるコレクション、     全員集合?。

「ここからは、コレクターのコレクションになりましてーこのケースにあるのは、陶芸家・木村さんの所蔵品です。
陶芸家もやはり、昔のやきものを収集しながら、さまざまな技術、または精神的なものを学ぶという目的もあって、所有しているわけですね。」
増山さんによれば、すべての碗の底部分を見せるように展示しているのは、木村氏のこだわりであるという。
「さまざまな産地の物がありますので、それぞれの特徴がある、といった所を見ていただければ良いかと思いますがー」
そうは言っても数が数だけに、シロウトが特徴を捉えて見ていくのは難しそうである。

観覧者の表情を見てとったのか、増山さんはこう切り出した。
「このコレクターは、なかなかに厄介でしてね(笑)。
この企画展示を行うとき、皆である程度のルールを決めておいたんです。
展示物にしても大体、このくらいの分量だったらいいなーというイメージで、いたのですけど・・。
ご覧のように、たくさん展示していただきまして。まあ、なんとか展示できたから良かったのですが。」
陶芸家・木村氏のコレクションだけで、長~いケースが満杯になっている、というわけである。
そこへ山崎さんが、フォローを入れた。
「一応、(コレクターに)企画のコンセプトはちゃんとお伝えしたのですが・・コレクターの皆さんって、そのー我が強くて。
『出すもの、(全部)出したい』みたいな。
おそらく、お家じゅうの山茶碗をバーっと集めて持ってこられたんだと思いますよ。」

長~い展示ケースには、
陶芸家の自慢のコレクションが、ズラリ。

そうやって博物館に持参したコレクションを、ひとつひとつ学芸員さんに産地を特定してもらい、『これは渥美の○○』だって分かると、「ワーッ」と喜びながら、展示作業をしていたそう。

とは言うもののーコレクターの所蔵品は、展示資料としてはいささか?多かったとしながらも、増山さんには好感触であったようだ。

「結果的には、色んなやきものを見ることが出来てー来場者にも楽しんでいただけたようだし、我々にとっても面白い展示になりましたよね。
ホントは、『山茶碗ー』なんですけど、山茶碗が焼かれる以前の、べつの種類のやきものも展示されていまして。
その中にまた、すごいのがあったんですよ。
ここで面白いのがー」

増山さんの声に、少し力が入った。

「〝産地不明の山茶碗がある〝と、いう事なんです。
いろんな人が寄ってたかって見ても、アレ?コレは何処だか分かんない、という具合。
ふつうならーやきものの産地が分からないと、ブランドが分からない事になるから、価値が下がるのでは?と、思いますよね。
でも、歴史学の立場からいうと、別の見方ができます。産地が分からない、ということはー。
ほかにまだ、山茶碗を焼いていた『未知の窯』が存在する事になります。
それはそれで、ものすごく意義のあることなんですね。」

これには山崎さんも、大いに共感した様子。
「知らん窯、まだまだメチャクチャあるでしょうね。」

増山さんは、新たな発見に気持ちを高揚させつつ、こう結んだ。
「通常なら、産地の分からない山茶碗であれば、展示されないのでしょうがー。
今日、こうして未知の物が展示されたことにも、やはり、大きな意義があると思います。」

② 『きれい』とか『美しい』はー学芸員の〝禁句〟だった?

次は、コレクター・山崎さんの選んだ、山茶碗六品が披露された。
増山さんから、選んだ理由を問われた山崎さんだがー。
「こちらは、大アラコ古窯のものなんですが、増山さんから、『僕ら学芸員は〝メチャ美しい〟とか〝キレイ〟という言葉は使わないんですよね』なんて言われると、何も言えないなんだけど」と、ことわりを入れた上でーやはり、「ただただ、綺麗だと思うものを選んだのです」と、理由を述べた。

これには、増山さんの側に深いワケがあった。
「先ほど、彼が言ったことですがーなぜ『キレイ』といった言葉を使わないのかと言いますとーそのような表現は〝客観的でないから〟です。
キレイ、という言葉は、人によって基準が違いますからー資料として、みんなで共有できる言葉じゃない、ということになる。
私は、学芸員の先輩に叩き込まれたんですー。
『なるべく、そういう言葉は使うな』と。」
だけどーと、増山さんは前置きしてから言った。
「この人たち(コレクター)は、やれ〝いいだなぁ〟〝キレイだなぁ〟とか言って、最後に〝欲しいなぁ〟と、なるんですよ~(笑)。そこがちょっと、困ったところですね。」
これには山崎さんが、コレクターの立場から意見した。
最後に〝欲しくなる〟、そこが大事なんです。
欲しいものが、ひとつでも見つかるって、幸せな事じゃないですかね。
家に持って帰りたい。何なら車を売ってでも、とまで思えるほどに、欲しいものがひとつでもあったならーそれは、その人の価値観の表れだと思いますし、そういう美術の見方って面白いですよね。

ただただ、美しいものー。
山崎さんセレクト、
『釉が黄瀬戸のような山茶碗』
大アラコ1号窯。

ここで増山さんが、一席をブッた。
「あのですね、私が展覧会でよく言うところの、これを開くきっかけになったエピソードがあるんです。随筆家の白州正子さん、という方ー骨董品を集めていらっしゃるんですがーその人が、こんなことを仰ってました。
『博物館、美術館にモノが入ったら、おしまいです』
これには私、カチッときたんですよ。文字通り、自分の仕事を否定されたわけですから。 だけど、彼女の言わんとする事は、要するにー『モノっていうのは、もともと使われるために生まれて来たわけだから、そのようなものが博物館・美術館に入って使われなくなったら・・それって、意味無いんじゃない?』と、いうような事なんです。
もちろん、今は許容してますけどー。
当時は本当にカチンときて、ですね・・まだその本を持ってるんですよ、ネチっこく(笑)。で、事あるごとに『私は白州正子にこんなことを言われた』と、みんなに触れ回ったんです。『言われた』っていっても、言われてないですよ、別に。本に書いてあるというだけで〝また言われた〟と、思い込んでいる(笑)。
そんなこともありましたが、モノは使うことに意義があるのは確かです。」

山崎さんも「そうですねー使ってなんぼ、じゃないでしょうか。」と、同調しながら展示品のひとつを指して言った。
「これなんか、水を入れたら明らかにキレイそうだし。実際に見てみないと分からないけどー
(水は使えない事になってるから)お抹茶でもダメですか?」
増山さんは、ひとしきり唸(うな)ったあとで「ちょっと、館長に言ってみないと(笑)」と、おどけて見せた。

これには「そう、一度博物館に入っちゃうと
・・二度と使えなくなるんです。」と、山崎さん。
「さっきから僕が〝寄贈はしない〟と、言ってるのは、そこなんです。寄贈したら最後、ガラス越しにしか見られなくなるから。

これがもし、市場だとか骨董店で流通していればーいつか僕がこの世から居なくなる時に、次の人に譲り渡すことができます。
モノが博物館に入らない限り、それは好きな人のあいだを回って行くでしょう。
今のコレクターが骨董を愉しめるのは、先輩がたが遊んできたモノを受け継いでいるから。
お茶も点(た)てられるし、花を活(い)けたっていい。」

増山さんは溜め息まじりに、「なんか、ちょっと〝負けた感〟があるんですけど・・。
説得力がありますね。」

とは言っても、負けてはいないと見えて、直ぐに切り返した。
「今度は、われわれの立場から言わせてもらいますとー。
モノっていうのは〝存在しているからこそ〟というのがあるんですね。
だから、そのようなものを保存しなくてはいけない。
このように、違う立場もあるわけですね。
保存しなければ、それを楽しむことも活用することもできない。
ですから、博物館などは後生大事にしようとー例えば照明や湿気などに気を付けて、展示しているんです。
ただ、やはり『使えない』というのはねー。」

ひとりの学芸員としての、複雑な想いを滲(にじ)ませた。

「では、ここでちょっと視点を変えていきましょう。
こちらは、陶芸家・稲吉さんの選んだ山茶碗になります。」
展示ケースに目線を転じると、「山茶碗」の下に「ーだったもの」と、過去形に言葉が続きそうな〝オブジェ〟がならんでいる。
ここまで来ると、もはや〝成形されたやきもの〟の面影はなく、〝抽象アート〟と、言った方がシックリしそうだ。
「彼の選んだものってー言い方悪いですけど、変なものが多いですね。
いわゆるー汚なくて、変なもの。」
増山さんの情け容赦ない?コメントに、山崎さんも同調しーふたりそろって「そう、汚なくて変(笑)」と、いうことで一致した。
増山さんは、さらに続ける。
「これ、見てくださいよ~汚ないでしょう?」
「でも、稲吉さんが好きそうですね。」
と、山崎さん。
汚なくて変、と言っただけでは治まらない増山さんは、止まらない。
「これも、遺物としてはもうねぇ、最悪と言いますか。どうにも使い道がないんですよね。」
ただ、過去に同じような物を目にしたことはある、という。
「要するにコレは、重ねて焼いた山茶碗がくっついちゃったまま、放(ほ)っとかれてー窯のカベに張り付いたもの、なんです。
だからもう、メチャクチャですよね。
変なものが(うわぐすり?)ビチャ~っと掛かってたりして。
なんか、えもいわれぬ物になっちゃってますよね。」
散々に言って、スッキリしたと見える。
そこではじめて「でも、これってー」と、増山さんは語調をかえた。

ここまで、ずいぶん言いたいことを言っていたが、単に貶(けな)していたのではなくー本当に言わんとする事を印象づけるための布石(ふせき)、だったようだ。

「じゃあ、もし人間に〝これと同じことをやれ〟と、なったら・・果たしてこれを、意図的に出来るでしょうか?
そう考えると、おそらくー稲吉さんのテーマ、というのはーそういう事だと思うんですよね。
やはり、人の手では出来ない。失敗から生まれた美、ということでー。
成功とは違う方法で、生まれたもの。
人間の力では、出来なかったこと。
稲吉さんは、そういったものを表現したかったんじゃないかな?と、思います。
汚ないのは汚ないけれどーよく見ておいていただきたい、ですね。」


もはや、原形をとどめていない、
変わり果てた山茶碗。
とはいうもののー。
「これを作れ」と言われても・・。

増山さんは言葉を切ると、向かいの展示ケースに移動した。
「こちらは、別のコレクターがセレクトした物になります。
これまた、山茶碗をありったけ出してくださいましたが・・彼、彼女たちの世界観があるんですね。」
山崎さんは、彼らのことを知っているところから「なんか、選びそうだなー」と、いうのが見てとれると言う。
「どう説明したものかは、分かりませんが、意外と表れている感じがしますね。」
増山さんは、その世界観について、語ったー。
「このコレクターは、山茶碗のなかに落ちている窯の壁からの「降り物」を、海中にある「岩」に見立てているんですね。
私、そんな発想なんか全然、できないものですからーこれ見てビックリしまして。
最初は『なんでこの人は、こんなの選ぶかなー』と、ずっと思ってて。
そこで、キャプションをもらってはじめて、その意味が分かったんですね。」
増山さんは、あらためてセレクトされた山茶碗を示した。
「こちらのキャプションを見ていただきますとー例えば、『岩礁(がんしょう)にくだける波』というテーマの山茶碗があるんですね。
そうしたらコレ、水を入れたらーさらにその意味合いが分かると思います。
あともうひとつ、これもチョット面白いなと感じたのがコレ、ですね。
題して『遠州灘 白浜に波』。
パッと見ただけだと、器の片方だけに釉薬(うわぐすり)が付いてる失敗作、みたいなものになるんですけどー。
このように、釉薬のかかってない白い部分をその、白波(しらなみ)に見立ててる、というところが、感性のスゴさだなーと、思いまして。


『岩礁にくだける波』。
山茶碗のなかに、
コレクターの描く、情景がひろがる。

仮に、これがふつうの博物館展示で、どうしても展示しなきゃいけないとしたらーそんなコンセプトでは、絶対やらないですね。
解説にしても『作られた時期は、平安時代の終わりごろですー』という書き出しで、あとは〝チョット釉薬を塗るのに失敗した〟とか〝形がゆがんでます〟といった程度しか、できないでしょう。
だけどーこのコレクターの眼をとおすと、「岩礁にくだける波」のような、ひとつの情景に映るわけですね。これがやはり、素晴らしい。
ぜひ、こちらのコレクションに添えたキャプションや文章を、読んで頂きたいと思います。

バトルトークも、そろそろ佳境に近づいたようだ。
増山さんは、今日のために持参されていた木箱から、山茶碗や壺を取り出した。
「あと、せっかくなのでー。
ここで本当の山茶碗を、おさらいして頂きたいと思います。
先ほど、山崎さんのお話にもありましたー大アラコ(荒古)のやきものですがーこちらは個人の物でして。
博物館資料ではありませんから、さわっていただいても大丈夫です。」
本物の渥美窯(あつみよう)にさわれるなんて、そうそうあるものではない。
増山さんに持ち方を教わりつつ、観覧者の間で順番に回覧されたがーその間、「欲しい!」との声も聞かれた(たぶん、山崎さん)。
小皿に関しては、増山さんが質問した。
「こちらは、山崎さんがお酒をいただく際に使われるかと思いますが、実際使ってみて「口触り」とか、いかがですか?」
山崎さんは「いや、あまりよくないですーザラザラしてますし。キチッと焼けてて、釉薬が掛かってる物のほうが、間違いなくイイですね」。
このように答えたあとで、「慣れもありますけどーまぁ、そういうものだと思えば、イケますよ」とのことだった。
田原市博物館では、山茶碗ってナンダ?の関連イベントも開催していたが、増山さんによるとー。「6月29日に、山茶碗を見るという、ワークショップをやりました。参加者には〝山茶碗の産地テスト〟に挑戦していただき、その後でわれわれが仕事でやっている、何処から出土したかのメモをスミで書いたんです。
さいごは、洗った山茶碗の破片をお皿に、お菓子をのせてテイータイム、となりました。」

増山さんは、ここまで語った後に最後を締めくくった。

「そのときに思ったんですけど、よくよく考えてみると、こうして我々が手にしているものはー今から800年前の物。800年、ですよ?
そんな、遠い昔のものをさわっているのだと考えると、さすがにロマンを感じるのではないでしょうか。
『昔の人は、やきものの形に対して、どういう思いがあったのかな?』とか、
『どんな使い方をしていたのかな?』など。

そうした考えをめぐらせながら思うのって、単なる歴史だけじゃなくてー。
これはやはり『モノの見方』もあるのかなと、思うのです。
今日は、ご清聴ありがとうございました。
(拍手)

初めて手にした、大アラコの壺。
刻まれた印は、
〝キノコマーク〟と呼んでいる、とか。

ーおわりにー
生まれてはじめて手にした、渥美窯ー大アラコの壺。
両手で頸(くび)と胴(どう)をささえて持ったが、それでもズッシリとした重みが伝わってきた。
ふと、壺を持った私の指先が、表面のごつごつしたくぼみにピッタリと馴染んでいるのに、気がついた。
そのときの感触は、今も忘れられない。

「山茶碗ってナンダ?バトルトーク観戦記」は、第4部をもちまして完結いたしました。
ここまでお読みくださって、ありがとうございます。         さやのもゆ

参考資料:『山茶碗ってナンダ』展示資料レジュメ(田原市博物館)























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