ケヴィン・ケリー「5000日後の世界」を読んで:増幅していく現実
AR(Augmented Reality)=拡張現実の世界としての「ミラーワールド」がどんな風に実現されるか描かれるケヴィン・ケリーの預言の書。
SNSの次のプラットフォームは「ミラーワールド」。全てがAIと接続されるという。具体的な内容も紹介される。街を歩いていて100年前の風景を重ねて見られる、歴史的背景をすぐに確認できるなどは、はウェアラブルな媒体をつかって、情報に到達する速度が変わるということで想像しやすい。自動翻訳機をつかって話せるようになるというのも、ここ15年くらい精度が格段に更新しているのを思うとまあ納得。今後は語学を勉強する意味はより本質的に変容し、相手の文化の背景を知るためということになるだろう。働き方も変化し、国境を超えたさまざまな人が関わる非営利企業のようなものが増えるのではというのが本書の指摘である。他にも5000日後(2035年くらい)にどんな風になっているかを割と具体的に想像している。それはディストピアではなくて、仕事がなくなるとかいう絶望もなく、各々が学び方を学び、より好きなことができるという世界が予測されている。概ねその通りになるんだろうと思うし、その競争にのるのではなくて、より本質的に居心地が良いと思えること、自分が耕したいことなどを追及していくことになるんだろう。
Augmented Reality(AR)は拡張現実と翻訳されているがexpanded realityではないわけでaugmentってどんな感じなんだろう?と思い少し調べてみた。Augmentはどちらかというと増えていく、拡大していくという感じでAugはラテン語で「増える」を意味する augere から派生した語幹で、仲間の単語を見るにつけ、「増幅現実」のほうがもしかして近いかも?と感じている。それぞれの事柄がどんどん増幅し、果てしなく増える感覚。これって名和晃平の作品のコンセプトであるCellみたいにそれぞれのつながりがまた新たなつながりになっていくような感覚かな…と感じる。
ところで、この本に登場する、培養肉デザインは想像すると子どもの頃に見たポルターガイスト(映画)の肉がひとりでに動くようなホラーを想像してしまう私は未来をうまくイメージできていないということかもしれない。切り身のシャケが泳いでいるというイメージも事実になっていくのかな。改めて、「生きる」「食べる」(そして住むや着る)などの生活の基本を考えさせられる書ではあった。