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自分の中のイエスマンを消滅させた話

私はかつて「イエスマン」だった。

家族にも友人にも会社組織でも.......

無論何もかも「Yes」と答えていたわけではない。しかしその物事が重要であればある程、私の答えの「Yes率」が上昇していった。

自分をよく見せる為に「Yes」と答えていたわけでは決してない。究極的な場面であればある程、相手をがっかりさせたくないという心理状態に陥り、気付けば「Yes」しか言えなくなったのだ。

「No」を発した後の相手の顔を想像するだけで、頭の中は恐怖心で一杯になる。

そうして全てを引き受けることになると、「自分さえ少々無理をすれば全て丸く収まるのだから」というように自分自身を納得させた。

そして「面倒見が良い」「従順」などどいう周囲の評価のもと、「イエスマン」には次々に依頼が舞い込む。

そんな状況が続くと、時たま依頼を断るだけで「冷たい」などと評されることさえあった。自分で自分の首を絞めている典型だ。

そして次第に「Yes」「No」を選択する為の力が衰えてくる。

今この状況で「No」と言ったら我儘になるのか、それとも自分自身の意思だとみなされるのか。分からなくなってくる。

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「勉強が面倒だから、学校に行きたくない」

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幼少の頃、何度も頭をかすめたこの問題の答えが、大人になっても分からずにいた。

「自分の為になるのは、どちらなのか。」

そんなことも判断できないようなレベルで、周囲に「自分の意思」を告げることが不可能になる。

意思を優先させるべきタイミングがいつなのか全く分からない。

死んだイエスマン

私が「イエスマン」を克服する第一歩になった瞬間は唐突に訪れた。

「祖母の葬式に行かない」という選択をしたことだった。

祖母との関係は非常に良好で、祖母が亡くなる数カ月前に私は休職し、自宅介護を選択した程だった。そして最期の時は祖母の手を握り直前まで会話も交わしていた。

私と祖母は雰囲気や顔立ちが良く似ていると親族から言われ、私は祖母に特別な縁を感じていた。性格的な相性も非常に良かったと思う。

そんな祖母の葬式に出ないという選択をした私に周囲は驚き、慌てた。

「No」の選択をした理由は、その時の状況が非常に酷だったからだ。葬式前だというのに親戚との遺産争いが勃発していた。

祖母の死のショック、介護疲れと1歳児の息子の世話、2020年という世界的に不安定な時期に休職した現職への不安、そしてここにさらに相続争いまで加わり、私の精神はもう後がない程に追い詰められていた。

祖母の葬式に参列するのが嫌であった訳では決してなく、精神的に限界だったのだ。争いを起こす親族が参列する葬式に、自分も参列することが億劫でたまらなかった。

しかし祖母の死後、目的は一つだった。それは故人を心から悼み、見送ることだ。

その目的は争いの渦中である親戚が参列する斎場ではなく、自分自身がリラックスした環境での方が遥かに達成しやすいと当時の私は考えたのだ。

自分なりに生前の祖母とは深く関わり合い、死の間際の日々の中でも後悔するようなことは無かった。

故人への生前の対応を悔んだりとか、感謝したりだとか、"自分の気持ちをスッキリさせる"ということを達成させるため"だけ"に葬式に参列するのではない。

最期を見届け、送ってあげることが本当の目的だと私は感じている。

飽くまで主役は自分の気持ちではなく、故人の気持ちだ。

ただただ純粋に祖母が安らかに旅立てるように精一杯悼みたかった。その為には邪念が生まれることのない、集中できる環境が必要不可欠だと感じた。

自己満足かもしれないが、生前に十分すぎるくらいに深く関わり合い、愛情を伝えることができていたからそう思えたのだと思う。

葬式に参列したからと言って、生前の故人との関わりが全て消化されるわけではない。それこそ自己満足ではないだろうか。

そんな考えが私の頭に埋め尽くされた。

そこで生まれて始めて、一番究極的な状況で「今日のお葬式には行かない!」と家族に向かって叫んでいた。

始めての「No」は、大きな「No」だった。

神様気取りの自分

結局のところ私は葬式に参列することができた。

理由は周囲が動いてくれたからだ。私が参列できるように場を整えてくれた。

その瞬間、これまでの自意識過剰ぶりを自覚した。

私が「No」と言ったところで世界が終わるわけではない。そして私が「Yes」と言うことで世界が平和になるわけでもない。

世の中の動ける大人は自分だけではない。

私が「No」と言ったところでどうにもならない展開を迎えるわけではなく、代わりに誰かしらが動く

代わりを担う人や助けてくれる人間が世の中には存在するのだ。

葬式に行かない宣言した私に周囲は優しかった。

私の為に動き、助けてくれた。

自分が無理をしたり心を殺してまで「Yes」と言わなければならない場面は、世の中に存在しないことを実感した。

私は窮地を救うスーパーヒーローではなく、ただの1人の人間だった。

私の中のイエスマンを、祖母は自分が天国に行くついでに一緒に連れて行ってくれたように感じた。

ばいばい、イエスマン!

大好きな祖母は私の記憶の中で、今も元気に生きている。


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