意識が低いからこそ
いろいろな意味で意識が低い私である。まず本来の意味での意識高い系、あれこれよく考えていてしっかりやってるような人ではないということ。あと意識がぼんやりしているという意味での低い。それからなんだ、もうないぞ。「いろいろ」と書いたのに2個か! でもまあいいじゃないかという感じも、意識が低いだろう。「いろいろ」と書いたのだから何個か挙げなければならないだろうが、ないものはないのである、と開き直ってしまうその態度こそ意識低い。
なぜ自分の意識の低さを記しているかというと、noteからこんな文面のメールが来ていたことが事の発端となる。
ほほう。表示されやすくなるのはいいことだ。だがしかし。
あなたの知識や経験、仕事のコツ? あるか? お金をもらってまで読ませるような物は私にはない。そもそも私には教えてあげるような後輩や部下がいない。現在、家で1人で仕事をしているからいないのではあるが、これまでに私に後輩や部下ができた機会なんて、アルバイトのしかも1カ所きりである。万年最下層の私なのだ。どうだ、意識だけではなく立ち位置も低いだろう。
私くらいの年齢で、ずっと働いている人だと、仕事に関してのある程度まとまった知識と経験、それらから導き出されるコツを持っているものである。何にもないよと謙遜する人にも、聞いてみれば出てきたりする。そんな何かが全くないなと思わざるを得ないのは、わが事ながら恥ずかしい。ここまであまり物を考えてきておらず、今もぼんやりしている。意識が低いにも程がある。
でも、自分の意識が低いのだとわかっているからこそ、仕事をする時にはミスがないように気を付けるし、頼んでくれた人の期待には応えたいし、自分にできる限りのことはしようとしている。
それは仕事の基本では? 基本だよ! でもこれすらできていない人があなたの周りにもいないだろうか。応用技を繰り出す前に基本を固めておいたほうがいい。基礎がしっかりしているほうが上にあれこれ積み重ねても安定感がある。だから基本は大事だ。それくらいしか言えない意識の低さで申し訳ない。私に、お仕事にまつわる有料マガジンの投稿は無理そうである。