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連続投稿700日目
noteの連続投稿が、この記事で700日目となる。何か面白いことができないかと考えたが、「投稿しない」という駄目な案しか浮かばなかった。面白くない上に誰の得にもならない。記念に何かしようにも、こちらから提供できるような物事もない。そしてそういう記念的なことをするのならば、もっときりのよい1000日目とかなのではないかとも思った。
では特に700日目であることを書かず、普段どおりの投稿をすればいいようなものだが、私はきりのよい数字が好きなのだ。なので祝わせてほしい。おめでとう自分。ありがとう自分。
自己満足で続けている連続投稿ではあるが、誰も見てくれていなければ、さすがに心が折れていただろう。多分、1日に数人くらいなのではあるのだろうが、そんな規模の所をわざわざ見てくださった方は貴重だ。お礼を述べたい。ありがとうございます。
そしてこのnoteという場と仕組みを、広告も出さずに提供してくれているnoteにも感謝したい。ありがとうございます。
昨日の投稿で、連続投稿を今後どうしていこうか考えた。
連続投稿を始めた理由と、現時点での状況を確認してみたところ、目的の一つはまあまあできており、もう一つの目的は意味を薄くしていた。よって、連続投稿を続けるべき理由が弱くなっていることがわかった。
ではこれで。今後は気が向いたら書きます。ありがとうございました。
そう書いて去るのがさっぱりしていていいのだろう。ということを書いているのは、上記のように書き残して連続投稿を終える決断ができないでいるからだ。
私は何事も長続きさせたことがない。学校も、習い事も、趣味も、仕事でさえ続けられない。その私にとっては、700日連続というのはなかなか多めの数字なのだ。それだけの日数、ここに何かしら文字を打ってきて、情のようなものが生まれている。
noteに私の文章は、あってもなくてもいい。なくても誰も困らない。でも、あっても別に誰かに困られるわけでもないのではないか。見たくない人は見ないだろう。誰かの迷惑になっているわけではないのならば、気が済むまでやったらいいのではないか。あってもなくてもどっちでもいいのなら、あってもいいのではないか。
リソースの無駄遣いとかつぶやいた人は、あとで校舎裏まで来るように。
今後ともよろしくお願いいたします。
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