(劇評)あなたがいてこその、私
劇団ドリームチョップ「プロゲキ!ドリームチョップLIVE」プロゲキ!12・17『vs X.(バーサスエックス)』の劇評です。
2023年12月17日(日)11:00 DOUBLE金沢
2023年4月から隔月で開催されてきた「プロゲキ!」は今回で5回目となった。30分程の短編演劇を複数上演する、演劇初心者も楽しめる公演を目指している、公共交通機関で訪れられる場所、学生も来場しやすい日曜の昼公演、といった「プロゲキ!」の特徴が、観客に馴染んできたであろう。また、「プロゲキ!」で社会を変えようとしている主催・井口時次郎の思いも観客に伝わっていることと思う。しかし、まだまだ演劇を知らない層へのアピールが足らない、井口たちはそう考え、より多くの人々に「プロゲキ!」をアピールすべく策を練ったと思われる。なんと、「プロゲキ!」の映像広告が、金沢市の繁華街、片町にある街頭ビジョンにて放映されたのだ。
これは地方演劇の上演においては大変珍しいことではないか。通りすがりにちらりと映像を見た程度では、何のことだかわからないかもしれない。だが、ここでは「演劇かあ」とでも思ってもらえれば成功だろう。まず、存在を知ってもらうことが大変なのである。少しでも知ってもらえれば、その後また何かで「プロゲキ!」に接した際に、「前になんか見たな」と思い出し、改めて興味を持つ可能性がある。難しい点は多いと思うが、演劇を知らない人へ向けた宣伝活動を、今後も考えて実行していってほしい。
今回の上演は『vs X.(バーサスエックス)』ということで、注目は井口と「X」との演劇対決である。上演の1カ月ほど前に対戦相手「X」の正体が明かされた。その人は風李一成。金沢の演劇界において異彩を放ち続けている存在である。その名を知らなくとも、石川県民ならばテレビやラジオで彼の声を聞いているはずだ。芝居はもちろん、朗読、音楽と多様なフィールドで活躍している。彼が井口と何らかの形で共演している場面を、筆者は観たことがない。そのため、意外な人選だと思いはしたが、納得でもあった。勝てるかどうかわからない相手にこそ立ち向かっていく。井口は常に挑み続けているのだ。
開場時間内に、Future Stageとして若手演劇人がステージに上がる。今回の出演は金沢学院大学演劇部だ。彼らは「ベタな言葉講座」として、三つの言葉を取り上げて、その使用例を舞台で表現した。その言葉は「貴様」、「この泥棒猫」、「俺のことはいいから先に行け」である。芝居がかった言葉を芝居として取り上げるという、メタ的視点が面白い。また、どれも対人で使用される言葉であり、「vs」というテーマにも沿っている。わかりやすい「あるある」ネタで楽しく観た。大学の演劇部というと、学園祭など学内での公演が活動の主となっているだろう。今回のように、学外へと活動範囲を広げていることにも好感を覚えた。
開演時間となり、MCの朱門が出演者を呼び込む。彼らが会場後方からステージへと向かってくる。ここからもう対戦は始まっている。それぞれのテーマであるだろう曲に乗って、出演者たちは颯爽と会場中央の通路を進み、ステージに上る。姫川組、演劇ユニット浪漫好、風李一成、井口時次郎と入場し、全員が揃ったステージから井口が開催の挨拶を行った。
1st stageは姫川組による「L/G」である。姫川組は、過去にFuture Stage、そして前回は石川雄士との対戦として1st stageに登場した姫川あゆりと、演劇ユニット浪漫好の「ジンセイホケン」で「プロゲキ!」に出演経験のある神保柊太、2人のユニットだ。灯りが点くと、2人は背中合わせになっている。何かの拍子に2人は、ビルの隙間に挟まれてしまったらしい。その狭さの中、動くことも簡単ではなく、2人は離れられない。背中合わせのまま、なんとか状況を脱しようとする2人の会話から、関係性が想像される。どうも姫川が演じる人物のほうが優位な立場にあるようだ。その位置付けは、危機的状況を経て変わるのだろうか。背中合わせになったままという状況ではあるが、心理描写か、あるいは視点変更の意図か、二人の立ち位置が変わるシーンがあった。照明効果をうまく用い、印象的に表現されていた場面だった。それぞれへの思いの変化は感じられた。だが、ラストにもう一展開あると、解放の爽快感が増したのだが、と思ってしまったのは、観ているこちらもままならない彼らに共感していて、彼らと一緒に解放されたいと感じていたからだろう。
2nd stageは演劇ユニット浪漫好の「小さな嘘からコツコツと」。何か覚えがあると思ったが、今回の上演は再演であった。初演は2021年11月で、『ポケット芝居』という3作品のオムニバス公演中の1作だった。物語に初演時からの大きな変更はなかったように思う。公園のベンチで出会う女性(玉城知佳乃)と男性(渡邉雅基)。男性は金がなく、母親に電話で嘘をついて送金してもらった、という罪悪感を抱えていた。金も希望もなく荒れる男性に女性は、小さな嘘をつくことをむしろ勧める。男は母に、就職が決まりそうだと電話をかけるはめになるのだが、その後、彼は本当に就職を決めるのだ。再び公園で女性に出会った男性は、今度は恋人ができると嘘をつく。やがてその嘘も現実になる。彼は恋人(姫川あゆり)と連れだって公園を訪れる。しかし女性には会えない。女性を追っていた刑事(平田涉一朗)が、彼女は詐欺師なのだと話す。
女性が小さな嘘をつくことを勧めたのは、「言霊」的なものを意識してのことだと考える。言葉にすることで思いは伝わる。伝わった思いは、誰かに何らかの行動を起こさせることがある。誰かを動かし何かを起こさせる事が人より上手だった女性が、その力の使い方を間違えてしまったゆえの哀しみを抱えながら、男性を幸せにした。それは罪滅ぼしだろうか、ただの気まぐれだろうか。玉城が、女性のどちらともつかない曖昧さを表現し、その揺らめきを渡邉が、自分なりに受け止めて素直に返答する。言葉が動かす人の心を形にしようと試みている作品だと感じた。
ここで休憩となった。舞台下手側にはサイドテーブルが置かれ、天井に張られた線はところどころ垂れ下がり、その何カ所かにクリップで紙が留められている。休憩が終わり、風李が登場する。彼は、小さなカセットデッキを手に現れた。音楽が流れている。デッキをサイドテーブルに置き、音量を絞り、風李は語りはじめる。それは、ローワンという兵士の物語。Semi Final、風李一成による「ガルシア」が始まった。「ローワン」ではなく?と思われたかもしれない。ローワンは、米西戦争時のキューバのリーダー、ガルシアへの手紙を届けに行くという任務を与えられたのだ。マッキンレー大統領から手紙を受けた取ったローワンは、ガルシアの居場所を尋ねることすらせず、すぐにキューバへと向かったそうだ。誰にも頼らず自主的に行動することの素晴らしさが表されたエピソードである。
風李はぶらさがっている書類を取り、それを読み、舞台上に散らす。ローワンの行いを語ってはいるのだが、彼の行動を讃えているような雰囲気ではない。むしろ、風李が読んでいる書類には書かれていないことを語ろうとしているような、そんな気がした。これはいい話だと、素直に受け取ってはならないように感じた。進むべき道をまっすぐ進むのではなく、時折、脇道にあえて入る。脇道をしばらく楽しんでから、元の道に戻る。しかしまた脇道が見えてそちらに行ってみる。そんな風李の語りに翻弄させられる。しかしその、振り回される感覚さえも面白く思える。この物語はどのようなラストを迎えるのか。風李が本当に語りたいことは何なのか。それを探りながら聞く心持ちは、まるでミステリー小説を読んでいるかのようであった。ローワンに手紙を届けることを命じたマッキンレー大統領は、なぜそうしなければならなかったのか。それだけガルシアが脅威だったからだろう。Aを語ることで、Bを想起させる。風李の話術に引き込まれた。そして、言葉は何かを伝えるが、その言葉が正解だなんて、誰も保証してはくれないのだと感じさせられた。ローワンの物語は、実話ではないそうだ。
そしてMain Event、井口時次郎による「ワトソンの弁明」だ。ワトソンは、コナン・ドイルの小説「シャーロック・ホームズ」シリーズに登場する、探偵ホームズの同居者であり、医者であり、伝記作家であり、ホームズの良き相棒である。その彼が、ホームズを殺そうとした。その行動に至った思いを、井口演じるワトソンは語る。ホームズがどういう人物で、それに対して自分はどう思ってきたか。ホームズを尊敬する一方、妬んでしまう自分がいる。ホームズが優れているため、自分と比べてしまう。自分はホームズを常に支えてきたのに、表舞台に立っている彼ばかりがもてはやされる。自分が彼の行動を語り、残してきたからこそ、ホームズは名声を得られたというのに。
才能というものは確かにある。それはまさに天賦としか言いようのない、先天的な能力であると思えてならない。どんなに努力しても、後天的には手に入れられないように感じられるのだ。ワトソンにとってのホームズは、そんな才能に恵まれた人物だ。そして、演劇対決の場でこのテーマを取り上げ演じた井口にとっては、対決相手である風李が、自分が努力しても手に入れられない才能を持った人物なのである。自分の手の内を簡単には明かさない、どこかミステリアスな風李と、自分が持っている手札を全て見せて、その力を出しきるような井口。かっこよさを追求する風李。かっこわるさを見せることもいとわない井口。対称的とも言える2人であるが、自分にはないものだからこそ、それを持つ相手が眩しく見えてしまうのではないか。憧れという気持ちは、抱き続けると厄介な感情に変化してしまうことがある。その過程と結果を、井口が、人の心の醜さをさらけ出すように演じた。
風李にも、人に見られたくないような部分はあるだろう。しかし、風李はそれを、観客には徹底的に見せないことを選択したのではないか。井口はその逆だと感じる。見せないことで、あるいは、見せてしまうことで、他者から見える自分のイメージを形成していく。誰の内にも「私」はいろいろあり、他者に見せる私は、そのうちの一部分でしかない。対人の関係があるからこそ、私という存在が社会的にできあがっていくのだ。
観客投票の結果は34対42で、風李の勝利となった。
「プロゲキ!」は2024年も続く。次回は4月の開催となる。しばしの休養期間を経て、「プロゲキ!」はどのような姿で帰ってくるだろうか。
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