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「被災地に来ている報道関係者へのいらだち」について

  (2016年3月の投稿の原文ママです。
3月が近づきこの記事についての問い合わせが多いので一時的にプロフィールに固定します。)
 私は2014年の秋に新聞社を退社しました。なので、2012,2013,2014年の3月は、取材する立場として被災した方々や行政とかかわり、2015年、そして今年は取材される側、取材を調整する側にいます。今年は震災から5年ということでか、去年や一昨年以上の数の報道関係者が釜石にも来ていて、そういう状況についての愚痴を地元の方から聞く機会も少なくありません。

 復興支援員という立場上、記者とのやりとりも多い一方で、わたしの前職を知っている地元の方からは、報道陣への不満を直接ぶつけられることもあります。その立場から、地元の方が何にいらだっているのかという点を考えてみると、いくつかに分類されます。

●この時期だけ大挙して押し寄せること自体に苛立つ
・記者からの電話、撮影しているテレビカメラによって、被災直後のことを思い出してつらくなる
・飲み屋にテンションの上がった報道関係者がたくさんいて震災直後の様子などをしゃべっているとイライラする
●下調べ、アポなしでやってくることに腹が立つ
・同じ会社なのに毎年違う記者がやってくる
 =同じことを何人もにしゃべらないといけないストレスを感じる
・ネットで検索すればすぐにわかる程度のことも調べてこない
 =同上
・事前にアポもとらずにやってくる
 =業務に支障をきたす
●言っていないことを記事にされ不愉快
●長時間しゃべらされて、放送されたのは一瞬
●明らかに自分の用意した物語に落とし込むために取材をしていると分かる

 不満があるならば取材を受けなければいいのではないかという考えるむきもあるかもしれませんが、被災した方々、企業の多くは、全国から支援してもらったのだからメディアを通じて近況を伝えることには協力すべきだととらえている人たちもたくさんいます。観光業などのお仕事柄、発信の必要性を感じている方もいます。
 まだまだ復興は終わっていない、どころか釜石でいえば今年あたりがピークです。そのような状況で、「現状を伝えるためには取材に協力したい」という思いと「取材に来るならもう少しやり方を考えてくれ」という思いの間で、釈然としない人が多いのです。

 上に挙げたような事態を招くメディアの多くは、震災5年に合わせて県外から来ている社および記者、カメラマンです。5年たったので、震災の時はまだ学生だった記者や震災後初めて被災地に来たという記者もいます。なので個人の資質に由来するトラブルもあるとは思います。
 被災地域で日々取材をしている記者も含めて地域で生活している人たちは、365日すべてが被災後の日々、被災した日常です。失った人や物は二度と戻ってこないし、一度流された街が少しずつ変わっていく様子を毎日見てすごしています。それに対し、この時期に外からやってくると、それはつまり非日常です。そのギャップは埋められません。
 埋められないのは仕方のないことですが、地域の日常と持ち込まれる非日常の間には、高すぎる防潮堤のような壁があることは認識しておいてほしいと思います。

 一方で、問題はそれだけなのかと考えると、新聞社の事情を知っている私からすると、より深刻な問題は、現場からのボトムアップではなくトップダウンで紙面の方向性が決まり、さらに悪いことに社内での情報共有ができていない新聞業界の風土の弊害という要素に起因していることだとおもいます。「すでに出来上がった物語に沿って取材をしてくる」というのはその最たる例でしょう。

 会社を辞めた当時、社内で身近にいた人たちには伝えていましたが、わたしの退社の理由のいくつもあるうちのひとつは2013年、震災2年後の震災報道のあり方にありました。現場のことも知らずに行き当たりばったりで紙面をつくろうとし、その思いつきに現場の記者は振り回され、結局は取材を受ける方々が迷惑を被るということに想像が及ばない編集局の上のほうの人たちに失望したし、とはいえ結局、その指示を受けて動かざるを得ない自分自身にも嫌気がさしました。
 最終的には自分の記者としての力不足を痛感し、同時にもっと主体的に復興にかかわりたいという思いで、今の仕事に移って満足しているのですが、やはりこの時期になると、過去の自分を含めての報道に関してもやもやすることが多くなります。

 あすはもう11日ということで、今さら言っても仕方のないことかもしれないし、すでに業界を退いた私がこんなところで言ったところでマスメディアが変わるとも思いませんが、5年たついま思うところを数日間、ああでもないこうでもないと考えてまとめてみました。

 

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