仕舞うは、終わらせること。
年末の大掃除に、いま住んでいる戸建てのベランダ掃除をしていた。ベランダには、髪の毛、ほこり、砂、そして虫の死骸もあった。砂は重いから、排水溝の入口に溜まっている。
それを一つ一つ取り除き、ベランダに水を流し、デッキブラシで擦り、拭き掃除をする。砂は取り除いたはずなのに、管を下る水の流れが悪い。何度か水を流すとようやくスムーズな流れになった。
2024年は、ずっとそんなふうに過ごしてきた。大事に至るまえに手入れをする。たんのう摘出手術と胃のケア。仕事を辞めて娘の送迎と受験サポート。住宅の壁の亀裂を施工業者に見てもらう。だからこそ、それ以上は悪くはならずに食い止めた。そんな年だった。
2025年は、一文字で表現すると「柔」。曲で表現すると、熊木杏里の『新しい私になって』にしたい。
「柔」を選んだ理由は、硬くなったものを柔らかくしたいから。去年の暮れから始めた自己マッサージ。首の痛みが取れてきて、いかに自分の体が硬くなっていたのかに気づいた。今年は体を柔らかくする。
『新しい私になって』は、失恋の曲だ。
振られたけど、新しい私になって前を向く曲。だけど、この詩には「転」がある。
母が、いまはもう居ないことがわかる。
これは、失恋してしまった自分を偲ぶ歌だ。亡くなった母のためにも、悲しみを忘れようとしている。「忘れられると思います」そうなれたらいいのに。
衝撃で忘れられないのは、結びの部分。
仕舞うには、続いてきたのもを終わらせるという意味がある。このシーンがあることで、きれいに折りたたんで、終わりにしたのだと思った。古い自分は仕舞って、新しい私に生まれ変わる。2025年は、そんな年にしたい。
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