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進むより、止まることこそ、難しい

香りとともに記憶が鮮明な感情とともにぶわぁっと呼び起こされる現象を「プルースト効果」というらしい。へぇ。

そう、君を待っていた〜〜!

ホリデーデザインかわゆし

スタバのジンジャーブレッドラテ。

ナツメグとシナモン。
大人になるとこうも好きになるものなのか。
もったりしたクリーム、追いかけてくるとろりとした優しい甘み。鼻から抜けるスパイスの華やかな香り。苦味。心の底からハッピーホリデーふぉっふぉっふぉというエネルギーが湧き上がる。

ジンジャーブレッドマン、あのクッキーの名前。
生姜とお菓子という組み合わせがどうにもしっくりこず、手を伸ばさずにいた代物。去年の今頃、退職を決断してから不思議と今なら何でも受け入れられると思ってはじめて頼んだ。

あの頃からやっと「さぁ今月はいつ休もう」と有給消化日をわくわくしながら考え、特別な予定はない、でも確かに私のために使う時間を堂々と申請できるようになった。年に3日取れれば良いほうだった有給を昨年は10日ほど使った(それでも少なかったが)。



動けなくなるまで止まれない性格だったのかもしれないなあ、と、はやる気持ちから舌を見事に火傷しながら思いを巡らせた朝。


先日、夫の風邪菌がこちらにやってきて久しぶりに熱を出した。


幼い頃から熱が出るとわくわくしていた。インフルエンザで高熱を出すとハイテンションになるようなことではなく意味があってにやにやしている。

確実に優しい母を独り占めできるからだ。
母が持ってきた氷枕を熱で溶けそうな頭の下に置いてくれる時の音を今でも鮮明に覚えている。じんわり冷やされていく感覚にほっとした。
母がつくる土鍋の卵がゆ、かき玉うどん、デザートには必ずヨーグルトかプリンかゼリーがつく。ポカリは欠かさない。全てをお盆に乗せて「熱どうー?」と言いながら部屋に入ってくる。
甲斐甲斐しく汗を拭いたり毛布でくるんだりするその姿を見てほっとしていた。

熱が出ている時だけは顔色をうかがわなくてよかった。冷やかしもしない、否定もしない、干渉もしない。ほっとして心地がよかった。


真面目でおっとりしていて優しくてのんびり屋。

そんな風に言われて生きてきた。

でも、安心できる生活を手に入れて、やっと、ずっと漠然とした不安にさいなまれて生きていたんだと気づいた。そしてそれが普通のことではないとわかったのは本当にここ最近のこと。

小学校も中学校も高校も、楽しい気持ちを抱えて登校したことは一度もない。勉強はそれなりにできる。友だちもそれなりにいた。特段いじめられていたわけでもない。
でもずーーーっと不安だった。心臓がきゅぅっとして先生や同級生の一挙手一投足にそわそわしてた。
実家の自室はだらりとできるけど居間は落ち着かない。自室にこもってじっと好きなことをしてただ時が過ぎるのを待つ。翌日のことを考えると憂鬱で夜更かしは日常。

不安に対してあーだこーだと何人もの私が常に頭の中でおしゃべりしてる。今なら他人の気持ちを完璧にわかることなんてできないってちゃんとわかるけど、当時は勝手に察して不安を大きくしてた。


「真面目でいい子」は、ほとんど皆勤賞で。
夜、高熱が出そうな悪寒や関節痛が現れるとほっとした。
「明日は学校に行かなくてもいいかも」そう思ったらにやにやしてしまう。
見事に高熱が出たら優しい母が看病してくれる。ご褒美のよう。

比較的健康体で産んでもらったから寝込むほどの風邪を引いた試しはほとんどなく、インフルエンザ流行の季節にワクチンを打たずとも一切かからない。(受験だ国試だとワクチンを打つと何故かかかる。)

そんな体と「真面目」で生きたもので止まるしかない状況でしか止まれない。

止まれなかったなぁ、としみじみ。



さて、先日のこと。

「熱が出た」と言うたなら病み上がりの夫が急いでポカリや冷えピタ、お粥などを枕元に運んでくれた。
いつも変わらない優しさをくれる夫がいつもと変わらない優しさで看病してくれることが嬉しくて小踊りしたら「こら!病人はおとなしくせい」と強制的にお布団に押し込められ。

熱が出ると嬉しくなる話をしてみたら「ほー?」と不思議そうに聞いてくれた。
夫には、子どもの頃の漠然とした不安の話から両親との心の距離感の話まで話してある。私の愛着の不安定さを夫は熟知している。
(当時の夫の感想は「結構大変だったんだね」「よくここまできたね(?!)」であった。)


熱が出ないと止まれなかった人生。

フリーランスになり休みは自分で決められるけどほぼ毎日PCに向かい作業をする日々。熱が出てやっと立ち止まり、ぐるりとあの頃の記憶を掻き回し。

あの頃から私は変われているだろうかと。


むむむと唸りいつもの脳内会議を開催する。
そして、仕事はまだあるけど思い切ってお休みしようと決意した。

よし!休むぞ!と決意しないと休めない点はまだまだ課題。

仕事のことは何もやらない。デスクにもつかない。意志は固し。

もう不安はない。
明日が来ても明後日が来てもきっと毎日心穏やかなのだけど、今日は自分の時間にしよう。

お布団でごろごろしながら本を読んだりタブレットで普段は描かない水彩画の練習。こういうときの集中力は凄まじくあっという間に日が暮れた。
お手本の写真と睨めっこ。じっくり物事を観察する重要性を痛感。パイナップルってこんな模様なんだ、あーもう二度とザクロなんで描かない、など。寝転がりながらは流石に腰が痛くなった。絵を描く時だけは不思議と頭の中が静かになる。

そうしているうちに先日一目惚れして購入したユイ・ステファニーさんの作品がぎっしりつまったポストカードが届いた!
ああ、カラフルで優しくてあたたかい。のびやかで宝石のような作品たち。ざらりとした厚手の紙質もなおよし。
直筆メッセージまでついてきゃああ。場所柄なかなか機械に恵まれないかもしれないけれどいつか、必ずや、この目で本物にずきゅーんと撃ち抜かれに行きたい。

アクリル絵具をお使いとのこと。こんなにジューシーな使い方はじめて!ダイスキ!

体はだるい、でも心晴れやか。
みるみる下がる熱。まだ少し喉に残っているけれど心底満たされた。

エネルギーに満ち満ちたので今日はお日様と秋の空気を浴びに夫と外へ。ほんの数日家にこもっていただけなのにまるで数百年ぶりに下界に降り立った妖怪。ああ、我、生きているなあ今日も。

あの頃のような不安はまったくない。


好きなことを仕事にできた。
でも、それとは別に、好きなものやことにはとことんゆっくりゆったり味わう時間を使う。それが私にとって最高の特効薬なのかもしれない。ぐるりとまた一つ自分の中に腹落ちした。


ポジティブなこともネガティブなことも満ちた時にnoteを書く。

そんな私が確かにいたね、という記憶の記録。

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