ポストの中に願いをこめて
1月1日。
1年の中で一番郵便物がたくさん届く日。
そして、早起きが苦手な私が自ら進んで朝早く起きる日でもある。お正月用の大量の新聞と、束になって届く年賀状。それらを仕分けるのが昔から好きだった。
祖父、父、祖父、祖父、母、父、あ、これは私宛て!誰からだろう!
だいたい祖父が一番多くて、その次が父。私の分はすごく多いわけではないけれど、毎年少しずつ増えるのが嬉しかった。
仲の良い友達から、普段文通なんてしないクラスメイト、習い事や担任の先生、大好きな先輩や可愛い後輩。いろんな人と改めて一対一でやり取りできるのがすごく嬉しくて、ハガキ一枚に個性が詰まっていて、それが毎年の楽しみだった。
確かに一人一人に向けて書くのは労力がいるけれど、今年のデザインはどうしようか、新しくペンを買おうか、そんな風に悩んでいる時間でさえも楽しかった。
いつからだろう。年賀状を書かなくなったのは。
大学受験の年、年賀状どころではなくて、私だけでなく周りも書かなくなった。卒業して地元を離れたこともあって、それからというもの年賀状から疎遠な年を送っていた。律儀に送ってくれる人に返しながら、細々とやりとりを続けていたけれど、それも次第に減っていき、ついに今年、私宛ての年賀状は1枚も届かなかった。
1枚も送らなかったし、1枚も届かなかった。
あんなに好きだったのになあ。
母が仕分けた年賀状の束を見ながらぽつりと呟く。年末には年賀状のCMが流れていた。年賀状の枚数が年々減るニュースを見るが、祖父には変わらずたくさんの年賀状が届く。
いつか、私も。
まだまだ無理かもしれないけれど、
いつか祖父くらいの歳になったら、
同じくらい年賀状が届くかなあ。
そんな風に思っていたのがおかしいくらい、祖父の半分も生きないうちに1枚も届かなくなってしまった。
今思うと、ただでさえ忙しい年末に、皆なんとか時間を割いていたんだろうなと思う。子どもの頃はわからない、年末の大人は仕事も家のことも忙しい。そんな中、一枚一枚、全て手書きではなくとも、相手に向けて送る。
毎年祖父に届く大量の年賀状は、長年祖父が築き上げてきた、大きな大きな厚みだった。決して一朝一夕ではできない重みだった。
今や年賀状がなくても、たいていの人とは繋がれる。紙も切手もいらない。メッセージを送れば一瞬だ。でも、だからといってメッセージを送った人が何人いるだろう。連絡を取り続けている人が何人いるだろう。
日々会える人に日頃の感謝を伝える。日々会えない人に想いを巡らせる。年賀状は、そんな1年に一度の貴重な機会だった。一枚にかける手間暇も、煩わしさも、積もり積もった嵩張りも、重さも、全て心地よかった。
ペーパーレスとか、個人情報がどうとか言われている今の世の中で、SNSで全体に向けて新年の挨拶を済ませるのが流行の中で、こんなこと思うのはきっと逆行しているのかもしれない。
手紙を、書いてみようか。
ふと、そう思った。
最近連絡をとっていない人に、手紙を書いてみようか。
手紙なんか書かなくても簡単に連絡できてしまうけど、
突然手紙が届いて何事かと驚くかもしれないけれど、
あなただけに向けた言葉を、
あなたのための文章を、
丁寧に紡ぎたいのです。
毎日顔を合わせていたあなたに、
今はもうほとんど会わないあなたに、
あの頃に想いを馳せて伝えたい言葉があるのです。
今、気軽に会いに行けない世の中だからこそ、
そうして、今も繋がっていたいのです。
そういや、ほとんどの人の住所知らないや。
でもきっとなんとかなるでしょう。
明日、新しい便箋を調達しにいこう。
来年は、1枚でも年賀状のやり取りができたらいい。
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