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【エジプト千夜一夜】③ラマダーンの断食をしてみた/前編

 さて、前回からずいぶん間があいてしまいました。千夜一夜と言いながら、わたくしがシェハラザードなら、とっくにシャハリヤール王に殺されているところですが、何とか命をつないでおります。
 では今宵はラマダーンの「神の食卓」(マーイダ・ラフマーン)にご招待しましょう。ご招待しておいて何ですが、どうぞお好みの飲み物と、甘いお菓子をご用意くださいませ。ついに、大家さんとのバトルも始まります。

日没まであと少し、という夕暮れのカイロの町は、今日はちょっと様子がおかしい。 

いつもはあんなにごった返している道から、人の姿がほとりと消えた。いつもは店の主人と客が 店先でおしゃべりしているのに、その店もシャッターを降ろしている。 ついさっきまでけたたましく飛びかっていた車のクラクションの洪水も、ぴたりとやんだ。 道ばたで籠を並べて、ネギや白菜を積み上げていた物売りも、どこぞへいなくなった。 夕暮れの風に野菜は吹きさらしになったまま。が、盗んでいこうとする者の姿すらない。 

まるで、嵐が来る直前の町のように。
百年前に廃墟になった遺跡のように。
ひっそりと息をひそめて、 町じゅうがあるひとつの「声」を待っている。  

やがて、この日最後の太陽が、日干し煉瓦の黄色い町並みを、肌色がかった朱の色に染めて、ゆっくりと沈んでゆく。 ひこうき雲がついっと一本、金色の爪あとを残して空をひっかく。風がかからと音をたてて、ナイル岸の高木の葉をゆらす。 

日没と同時に、その「声」が鳴り響 いた。 

 アッラーフ アクバル
 アッラーフ アクバル
 アッラーは偉大なし

あらゆるモスクから。 
家と家の隙間にある小さな礼拝所から。
街頭のスピーカーから。 
そして、各家庭のテレビから。
街じゅうがひとつの声で満たされる。

礼拝にいざなうその声、「日没のアザーン」を聞いた瞬間、さあ! 人々は今か今かと待ち構えていた食事に向かって、いっせいに突進を始めた。 

普段あれほどうるさくひしめきあっているカイロで、一瞬、静まりかえる瞬間。1999年12月9日、断食月(ラマダーン)の始まりである。 

前回も書いたように、私は「いつかサラディンの物語を書きたい」という思いだけで、会社をやめて、エジプトに移住した。そこで最低1年は暮らし、ムスリム(イスラーム教徒)が1年のうちで体験する、宗教的な行事や祝祭などを一通り、書物からの知識だけではなく、この身体で体験したいと思っていた。中でも、ラマダーンはイスラーム世界では欠かせない重要な行事だ。

 そもそもラマダーンとは何か? 
ラマダーン月の断食(サウム)とは、イスラームの信仰の証として定められた5つの義務(5柱、5行などとも呼ぶ)のうちのひとつである。ちなみに他の4つは、シャハーダ (信仰告白)、サラート(1日5回の礼拝)、ザカート (喜捨・貧しい者に恵みを与えること)、ハッジ(イスラームの聖地メッカへの巡礼。ただしこれは金銭などの条件が許す者のみ)である。

 ラマダーンは太陽暦である西暦ではなく、月齢であるイスラームのヒジュラ暦なので、毎年少しずつ日にちがズレていく。だから、ラマダーンが夏に来ることもあれば、冬に来ることもある。断食をするのは夜明けから日没までの間なので、日照時間の短い冬に当たればラッキーだし、日没が21時頃になる地域の夏場は、かなりしんどい。

【まめこらむ:ヒジュラ暦とは?】
ヒジュラ歴とは、イスラーム独自の暦で、預言者ムハンマドが迫害を受けていたメッカからメディアに移住(ヒジュラ)して、新たな布教のスタートを切った西暦622年を元年とする。月は12か月あるが、それぞれ呼び名があり、ラマダーンはそのうちのひとつで9番目の月に当たる。月齢なので1か月は29日~30日となる。ちなみに今日(2022年2月9日)はヒジュラ歴1446年8番目の月(シャアバーン月)10日。ということは、まもなく今年のラマダーンが始まります。

日本の旧暦と同じく、現代の日常生活ではムスリムもヒジュラ歴はあまり意識していないので、ラマダーンが近づくと皆「いつから断食?」とテレビの発表に耳を澄ます。日付だけではなく、空を見上げて新月を目で確認して正式発表されるので、直前で1日前後ズレることもある。

 ラマダーンは、聖典コーランの最初の啓示が預言者ムハンマドに下されたと言われる神聖な月で、この月は夜明けから日没まで(コーランでは『白糸と黒糸が見分けられる間は』)一切の飲食を断たねばならない。水はもちろん、唾も飲み込んではいけない。だから、ラマダーンになると、町のあちこちで唾を吐く人が目立ち、ちょっと困った。満員バスに乗っている時など、突然、乗客の男の人が人をかきわけて扉まで突進し、唾を吐いたのにはびっくりしたが、皆は事情がわかっているので平然としている。

それはともかく、断食することの意味は、ひとつには、ふだん食事が満足にできない貧しい人の気持ちを体験できることにある、という。こうして裕福な人も、貧しい人も、全く同じ義務を果たすことで、誰もが神の前では分け隔てなく平等な存在であることを再認識する。イスラームは、もともと血統主義の部族社会から自由になろうと立ち上がった背景があるので、特に「平等」を強調している(現実に不平等や差別の問題があったとしても)。

でも、やっぱり、戒律が厳しそうだなあ? という印象を持つ人は多いと思うけど、イスラームは、聖職者や熱心な信者だけが理解できるような難解な教えではなく、誰もが日々の日常生活の中で簡単に実践できる、というところに大きな特徴があると思う。だから、誰にでも実践しやすいように、融通のきく、寛容なところも多い。

 断食に関しても、コーランでは 「この月に在宅する者は断食しなければならない」としつつも、「病気の者または旅行中の者は、別の数日間に行うべきである。神はおまえたちに、安易なことを求めたもう」と、免除や振替についてもちゃんと記載されている。妊娠中の女性や幼い子供は免除されており、生理中の女性もラマダーン後に代わりの断食日を任意に設ければいいなど配慮されているようだ。

【ちょこっと歴史えぴそーど】
十字軍からエルサレムを奪回したサラディンは病気がちで断食できない時もあった。そんな時、何日分の断食をあとで補充しなければならないかわかるように、側近のカーディ(法官)・ファーディルが断食できなかった日数を記録していた、という話がある。夏休みのラジオ体操のスタンプ係みたいで、ちょっとかわいい。

 さて、エジプトに住んで最初のラマダーンの初日、わたしはマダム・シリーンの家に招待されていた。断食明けの食事を一緒に食べようと言うのだ。

 マダム・シリーンというのは、わたしが住んでいるアパートの大家さんで、歳は42歳ごろ、わたしの真下の部屋にひとりで暮らしている。この大家さんに、いかにお世話になっているというか、ドギモを抜かれているというか……。何年かたって、わたしが今のエジプト生活を思い出す時、 ピラミッドもスフィンクスも何のその、ルクソール神殿もアスワン・ハイ・ダムもツタンカーメンの秘宝も何もかもすべて後まわしにして、まずこのマダム・シリーンを思い出すに違いない。 

 彼女は去年、メッカ巡礼にも行ったという敬虔なムスリマ(ムスリムの女性形)である。わたしがアパートの下見に来た時、初めて会った彼女は、金刺繍をあしらった鮮やかな緑のガラベーヤ(ワンピース風のアラブの民族衣装)を着て、白いヒジャーブ(スカーフ)で頭をきっちり包んで髪の毛を隠していた。顔と手以外は見せないこのスタイルは、イスラーム女性の典型的な姿だが、エジプトでは必ずしも義務ではなく、若い女性などは、TシャツにGパンという軽快なスタイルもよく見られる。だから、シリーンは自他ともに認める信仰深い女性ということになる。 

 エジプトに来たばかりで何もわからず、ろくにしゃべれもしない日本人のわたしに対し 「わたしのことを姉さんだと思って、何でも言ってちょうだいね」 と温かく迎えてくれた。 もっともこの 「わたしたちは兄弟、姉妹」のような表現は、アラブ世界ではごく慣例的な歓迎の表現なのだが、何も知らないわたしは感激して、エジプトに到着したその日に、このアパートに決めた。

 と思ったのもつかの間。次に訪ねた時、シリーンは訪問者がわたしだと知ると、さっさと暑苦しいヒジャーブを脱ぎ捨て、真っ赤なブラジャー(!)と真っ青なシミーズ(あれは絶対キャミソールじゃなくてシミーズ!)という格好になった。た、確かに5月のカイロはすでに暑かったが、そ、それにしても……。

途中、来客があると、急いで頭にヒジャーブだけかぶり、扉の小さな覗き窓から応対する。 向こうの客からすれば、きっちり服を着ているように見えるだろうが、こちらから見れば、頭隠して何とやら。

(そうか、これがイスラーム女性の実態か。やっぱり女って、世界じゅうどこへ行っても、恐るべし……) としみじみ思ったものだが、以下に続くマダム・シリーンの日常を知るにつけ、彼女をして「イスラーム女性の実態」と言っていいものかどうか、自信がなくなってきた。 

 シリーンはいつも夜明けの4時ごろまでテレビを見ているので、起きるのは昼の2時ごろである。ということは、起きた時にはすでに、「夜明けの礼拝」と「正午の礼拝」は終わっている時間なので、この分の礼拝は、夜、ドラマを見ている時、コマーシャルになったスキマ時間に、まとめて高速礼拝をやっていた。

大家である彼女の部屋には、当然多くの人が訪れる。門番、ゴミ収集屋、配管修理工、工事屋、電気屋、掃除のメイド、弁護士、金魚屋(?)、牛乳屋、マーケットの宅配などなど。

シリーン自身は、ほとんど部屋から一歩も出ずに、これらの人々を呼びつけては次々にさばき、すべての欲求を自分の思い通りに完璧に満たしてゆく。これは別に、イスラームの女性が家の中に閉じ込められているという訳ではなく、シリーン本人に言わせると、太っているので階段を降りるのが面倒くさいそうだ(ここはエレベーターなしの6階)。

 それからおもむろに煙草に火をつけ、くわえ煙草をしたまま、宅配で届けられた丸一羽の鳥の頭をゴリゴリ切り落として部位ごとに切り分ける。腐っていたタマネギは窓からぽんぽん投げ捨てる(窓の下には別の住人がいる)。箱一杯のニンニクを半年間は使えるペースト状にして、わたしの冷凍庫にさっさと押しこんでゆく。自分の冷凍庫は、すでに訳のわからないもので一杯であり、停電があるたびに、シリーン本人にも理解できない腐った袋が次々に出てくる。

かと思えば夜中に突然呼びつけられ、何事かと行ってみれば、おかずをたくさん作ったからあげると言って、鍋ごと渡される(真夜中ですよ。絶対余ったんですよね?)。 わたしの誕生日には、直径30センチくらいの大鍋でケーキを焼いてくれたが、小麦粉とろうそくをスーク(市場)まで買いに行かされたのは、わたしである。

 良きにつけ悪しきにつけ、このシリー ンと密接に結びついた毎日のおかげで、 わたしはずいぶんとエジプトの庶民生活に触れることができた。 

このシリーン、太ってはいるが、なかなかの美人である。そして、本人もそう思っている。彼女の部屋には(よく見えるように)彼女が若いころディスコで踊っていた写真が飾ってある。わたしがそれを見て「女優みたいね、シリーン」と言うと、シリーンはこともなげに「みんなそう言うわ」と言い放った。

自他ともに認める美人なのに、どうして独身なのだろう? と思っていたら、 ある日、その謎が解けた。夜中、なぜか突然、寝室の模様替えを始めだしたシリーンを、なぜか運悪くそこにいた私も手伝っていたら、クロゼットから色とりどりの洋服と、100枚もありそうなスカーフと、さらに赤やらピンクやら黄色やら青やらの原色の下着、そのひとつひとつに金モールやら、フリルやらレースやら、なぜかすぐほどけそうな肩ひもやら、なぜか前が股まで裂けたスリットなどがほどこされている下着が、あふるるごとく出てきたあとに、最後に一番奥から純白のウェディング・ドレスが出てきた。 

 「ほらほら、昔のわたしの花嫁衣装!」 と言って、シリーンは大笑いをした。つまり、彼女は離婚歴があったのだ。それを隠しもせずに自分で笑い飛ばすあたり、彼女の陽気さと、屈託のなさを表している。 

思わず話が長くなってしまったが、シリーンのことについて語りだしたら、 夜が明けてしまう。今宵はここまでにして、近いうちに、シリーンの部屋に招待された、断食明けの食事の話に戻るといたしましょう・・・。

私が住んでいたカイロのアパート(シャッカ)。
6階建ての屋上に1つ建て増ししたもの。
上についているのは、中東では欠かせない水タンクだが、
これが後にさまざまな事件を巻き起こす。
いくら貧乏学生とはいえ、住環境ひどすぎない?
と思った方。大丈夫です!
中は家具付きで広めのリビングと寝室があり、
一応キッチンとシャワー&トイレつき。
当時で500ギニー(15000円ぐらい)でした。
エアコン、洗濯機はありません。
酷暑をしのぐのは天井扇と水浴びのみ!

ⓒSaya Nakamura,2025
初出:文芸同人誌『飃』1999
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🌟サラディンのドラマ脚本🌟
主人公アーミナの侍女としてシリーンさんが登場しますが、彼女の名前はこの大家さんにリスペクトをこめて命名しました。


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