情報を扱う力
この世界は、インターネットの普及とともに、あちらこちらで、新しい情報が発信されるようになった。
そして、私たちは日々どこかで生み出され続けている情報についていくことが大変な時代になってしまったような気がする。
インターネットの発達により生活は大きく変わり、恩恵を受けたことは確かなのだが、情報の多さに私たちは疲れ果ててしまってはいないだろうか?
そんな時に、情報を扱う力こそが、今の私たち、そして、今後未来を築く子どもたちにとって大切なスキルの一つではないかと、私は考えるのだ。
誰もが情報発信者になれる時代
歴史を振り返ると、情報発信ということは限られた人のみができることであった。
当時は、学問を収めた人が、その知恵を発揮し、書物としてまとめることで、人々に新しい情報が伝達されていった。それが、ラジオ、テレビと、情報発信の手段がどんどん拡大されていったわけなのだ。
しかし、今の時代はどうだろう。
インターネットという便利な世界が現れてから、情報発信ができる人は限られた一握りの人間だけではなくなってしまった。
インターネットの世界で自分の思いや考えを発信したいと思えば、今すぐにでもそれを発信できる。
SNS、ブログ、掲示板への書き込み。
ありとあらゆる方法で、私たちは自分の思いを届けられる便利な時代となったのだ。大昔の人からすると、それは、腰を抜かすほど革命的な時代となっているのであろう。
無責任な情報発信
しかし、インターネットには不思議な特徴がある。
それは、誰もが匿名で、かつ気軽に情報発信ができることだ。それが故に、自分の言葉に重みを感じにくいという点がある。
一人部屋にいながら言葉を発するという行為は、自分の発言が相手にどのように捉えられるのか?と想像しにくい。そのため、人は自分の言葉の重みを忘れてしまうのかもしれない。
また、相手が見えない状況であるからこそ、ちょっとした遊び心で、嘘だってつきやすいし、自分の言葉を言いっぱなしに放置することだってできてしまうのだ。
つまり、インターネットの発達は、言論の自由を良い意味で認めてくれるようになっただけではなく、無責任な言論の自由が容認されやすくなってしまったようにも感じる。
そんな時代だからこそ、私たち現代人はインターネットでの自分の行動を律し、情報に惑わされないだけの知識や能力を身につけていくことが求められていると思うのだ。
情報に左右されない自分でいるために
今の私たちには情報の取捨選択をする力が大切であると考える。
嘘か誠か分からぬ情報を正しく選別し、正しい情報源から自分に必要な情報を蓄え、その根拠に基づき自分の行動選択を見極める。
そんな力が、情報に溢れかえっている世の中では、非常に必要なスキルだと、私は思うのだ。
そして、もちろん、インターネット上であれど、一人一人が、自分の言葉に気をつけた発言を心がけていくべきなのではないだろうか。
「情報を発信する力」「情報を取捨選択する力」
私はこれらをまとめて、私たち現代人に必要とされている「情報を扱う力」であると考えるのだ。
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