映画『ソウルの春』と『CIVIL WAR』
よく行く映画館のバースデークーポンを利用して『ソウルの春』を見た。
するとその後ポイントがたまったので(クーポン使ってもポイントが付くらしい)映画1本無料チケットがメールで送られてきた。
今度は始まったばかりの『CIVIL WAR』を見ることにした。
偶然にもどちらも内戦ものになってしまったが、描かれていた世界は全く異なるものだった。
🎥『ソウルの春』
別の映画を見た際に、予告編が流れていたので、題名から思い描くような牧歌的な映画でないことは承知していた。
それでも韓国史に疎い私は、ソウルで内戦があったことすら知らなかった。
朝鮮半島が北と南に分断され、その上にソウルでも分断が起きていたとは。
映画の理解を深めるためにも後日少し学習してみたので、頭を整理するためにもここに共有しておきたい。
「ソウルの春」の理想と現実
邦題にもなった「ソウルの春」とは、1979年10月26日、大韓民国の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が暗殺され、18年に及ぶ軍事独裁が終わりを告げ、民主化の訪れを期待する気運に満ち溢れた国民から「プラハの春」にちなんで、「ソウルの春」と呼ばれるようになった。
しかし、進軍部は国民の民主化への希望を嘲笑うかのように、
新しい大統領と閣僚を威嚇し、国会を解散するなど、民主化とは逆行する措置を強行して再び軍事独裁の様相を呈していった。
1979年10月大統領暗殺から1980年5月光州事件が起こるまでの世界で最も長いクーデター期間が、皮肉にも「ソウルの春」の現実だった。
『ソウルの春』の対照的な2人の軍人
映画『ソウルの春』自体は、
大統領暗殺事件後、同年12月12日の「12・12軍事反乱」というわずか一晩の攻防を描いた物語だ。
新たな独裁者としてクーデターを決行する保安司令官チョン・ドグァン(ファン・ジョンミン)とその暴走を食い止めようとする首都警備司令官のイ・テシン(チョン・ウソン)の攻防。
敵対する2人の長を演じた俳優の演技は鬼気迫るものがあり素晴らしかった。
🎥『CIVIL WAR』
こちらは実話ではなく、
アメリカ社会が分断されて闘争が起こったら、どうなるかを描いた想像上の内戦の物語だ。
政治的なことを突き詰めた映画ではなく、マスコミの立場から内戦を見たジャーナリスト目線の作品となっていた。
戦場写真を専門とするベテラン報道カメラマンの女性リー(キルステン・ダンスト)。
彼女は世界各地の戦地へ赴いては、戦場の悲惨で残酷な光景を淡々とカメラに収めてきた。
どんな目を覆いたくなる現場も、「ただそこで起きている事」として切り取る。
それでも今回のアメリカ人同士の殺戮は、百戦錬磨の彼女の精神をも少しずつ蝕み続けていた。
そんな彼女とは対照的に、
彼女の娘ほどの駆け出しの若い女性カメラマンジェシー(ケイリー・スピーニー)は、
初めの方こそ悲惨な現実を目の当たりにしてシャッターを切ることすらできなかったが、
徐々に現実を俯瞰して冷静に捉える心が芽生え始め、
いつしかどんな過酷な状況であろうとも、ただただ、シャッターを切り続けることができるようになる。
新たな戦場報道カメラマンの誕生だった。
この映画で私が面白く感じたのは、そのサウンドトラックだ。
残虐な映像とは裏腹に軽快なアメリカン・カントリーミュージックが流れる。
そのチグハグさが愚かな戦いを象徴しているものに思えた。
🎥『ソウルの春』と『CIVIL WAR』
「12・12事件」は韓国国民の間でもも、「大統領暗殺後の混乱の中、全斗煥・盧泰愚らが起こしたクーデター」とだけ理解され、その詳細は知られていなかった。
だからこそ『ソウルの春』は昨年1300万人という最も多くの観客を動員した。
かたや『CIVIL WAR』は公開後
2週連続全米1位を獲得したという。
どちらもこれだけ関心が高いのは、世界情勢の不確実さからくる民衆の不安の現れだろう。
どんな争いも決してあってはならないが、同じ国の国民同士が武器を手に争う内戦のその結末は悲惨でしかない。
(*画像は各映画の公式H.P.より)