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喪中ハガキが続々と届くお年頃

11月の終わり頃から喪中ハガキが届き始めた。
今年は例年にも増して続々と届く。

まあ私の年齢からすると、
ちょうど親世代が亡くなるお年頃なので、
親戚の叔父・叔母が亡くなったり、
友達の親が亡くなったりするのは
仕方ないことなのだろうが。
ちょっと多過ぎる気がしている。

そんな喪中ハガキを出すまでには、
家族の介護があったはずで、
私の友人達も総じて今は家族の介護真っ最中だ。

既婚者なら、
自分の両親だけではない。
配偶者のご両親のお世話もある。

夫婦どちらかが先に弱り始めた場合は、
その配偶者が老々介護ながらも介護の一手を担ってくれる。
大変なのは年寄り達の身体が一斉に衰え出した時だ。

4人のお世話を一手に引き受け、
月曜日は義父の病院の付添い、
火曜日は実母の病院の付添い、
水曜日は義母のリハビリの付添い
と、1週間すべての曜日にお世話の予定が詰まっている友人もいる。

子育てはある程度先が見える。
3歳になればそこそこ手が離れ、
小学校に行くようになれば、
少しは自分の時間も取れるだろう。

だが、介護は先が見えない。
いつまで続くかはわからないし、
日が経つほどに状況が悪くなることがほとんどだ。
そんな先の見えないトンネルを歩くのは本当にしんどい。

うちは実の両親も義父も一般的な平均寿命より短命だったので、
私自身は友達よりひと足早く介護を経験した。
ベビーカーを押していた手が、
次に車椅子を押しているといった流れだった。
その分、今は落ち着いた生活ができている。

介護に追われる友人には悪いと思いつつ、
遊べる時に遊んでおこうとばかりに、
ソロでいろいろな所へ出かけさせて貰っている。

また、いつ何時、自分が介護者になるかもわからないし、
自分自身の健康も保証はないからだ。


不謹慎かもしれないが、
喪中ハガキが届いた時には、
「ひとつトンネルを抜けることができたね。
本当によく頑張ったね。」
と友人やご家族に、
心の中でねぎらいの言葉をそっとかけることにしている。

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