風花の舞姫 女郎蜘蛛 3
. 瞼のなかに黄金の輝きがある。
しかもその量感も掌の記憶だ。
あの十束刀と呼ばれる白鞘の短刀は、今は樽沢の庵にある。その正体について調査を続けているが、それが夢で見た前世らしき記憶と次々に符号していく。
その刀が手元にある間に、理学部の滝口に相談をした。
その鎺の成分を、彼の研究ラボでX線分析装置で検証を行ったのだ。針先ほどの欠片をとっての融解分析ではなく、非破壊検証なので限界はあるとは事前に聞いていた。
「安心しろ。純度89%の純金だったよ」
「安心だって?」
「偽物を掴まされてはいないということだ。値打ちもんだよ」
「年代はわかるか?」
「レントゲンを撮って生年月日がわかると思うのか?」
確かにそうだ。
とはいえとはいえこの鎺の欠片ですら、どんな魍魎が潜んでいるかはわからない。そんな実験を生身の人間に強いることはできない。
それから彼はしたり顔で、ここからが本分のように微笑んだ。
「ただ面白いものを見つけた。象形文字のような文字が彫られて、それをまた金無垢で全体を包んだようだ。だから表面からは伺い知れないが」
「解読できるか?」
「いや梵字のようだ。古い石塔にあるような文字だ」
「それはこちらの領分だ。その資料をくれ」
「で。今回の件でご褒美はあるのかい?お前にしては珍しく、ゼミが女子だらけらしいが」
「あるさ。雪女でよければ合コンを企画してやる」
それはcoolだ!と彼は大笑いしてUSBを渡した。
「まあ雪女を紹介するのはやぶさかではないが、後で焼き肉でもいこうや」
それ、が軽口ではないのだがな、と心中で独白した。
自分の相部屋の助教準備室に戻る。
そこには北川史華、が待っていた。
いや身体は彼女そのものではあるが、別人格の文華だという。
彼女自身はブンと呼んで欲しいらしい。
本来の人格はチカと呼んで区別していたという。どうも幼少期の幼馴染が名前の字を読めなくて、シカと発音していたのが訛ったのだという。そうした過去の記憶というのも、ブンは共有していた。
彼女の抱えている闇のひとつだ。
「おはよう、早いね。今日はゼミの予定はないが」
不満気な顔がさらに臍を曲げている。
「あのさぁ、あの娘って一体なんなの?」
眼線が厳しく、口調に棘がある。針鼠のレベルで密生した棘だ。
「甘っちさあ、駅前で女子を拾うの、大概にしない?」
「その言い方にかなり語弊があるな、僕の世間体的に」
尼っち。ああ、その呼称まで定着するのか。
「そうね、チカだって危ないとこ助けて貰ったわね。それは感謝するけど。でもね、あの娘だけは別格」
来栖小絹には真実がない。
虚実を駆使して惑わせる。
信州大学生というのも、疑問だ。
しかも定住している住処もない。
それに暫くは、史華の家に寝泊まりする心算らしい。
昨日は不逞ベトナム人に襲われかけていたので、救出した。いやそれこそが間違いのお節介で、或いは獲物を探していたのは、小絹の方であったやもしれない。
それに。
夜半になって史華のベッドに潜り込んできたらしい。
全裸で。
史華が気がついて押しのけようとしたが、抱きすくめられた。それも途方もない力で。それは頗る理解する。
昨晩の僕にもその片鱗を体験した。
救出したときに、小絹は衣服の前を裂かれていた。
その襟首をしっかと抑えて、羞恥に耐えていたように見えた。それも彼女の演出だったのかもしれない。
背負うと甘い吐息で、耳をくすぐっては甘噛みしてきた。無造作に素肌のまま背中から絡まってきた。おし潰された胸が触れている背に、滑りとした感触が籠っていた。
房中術というものが、戦国期の七雄、楚で生まれたという。
元々は道教の流れを汲む一派で、男女の交合のより互いの精気を養い、長寿をもたらす健康法だったらしい。
然しながら続く戦乱に、その術が淫猥な色味を帯びる。女体を磨き上げ床技を仕込んで、諜報員として敵方を調略するのに使う。
男はその甘美な細腕には抗えない。
蜜に溺れた、哀れな羽虫に過ぎない。
女の、毒牙のせいだ。
それも官能という、毒だ。
「ちょっと言いにくいんだけど、本気になりそうだったの。上手過ぎるのよ、キスだけでもくらくらする」
まあ次の段階に興味はあるが、詳細は遠慮しておこう。
背中の柔肉に、鎌首を熱く滾らせたことも内緒にする。
「どうしたらいい?」
「そうね、やっぱり六花さん案件よね。とてもひとの技とは思えない魔性のものよ」と赤らめた頬を右手ではたはたと扇いでいる。
「羽衣は使えなかったのか?」
「そんな抵抗ができないくらいに、ヨカったのょ、~って言わせないでよ」
北川史華には、魍魎が巣くっている。
羽衣という白い翼だ。
肩甲骨のあたりに数瞬で出現する、妖しの翼だ。
その羽毛で繭をつくり身を護ることもできる。さらに両翼で風を掴み、天空を遊弋することもできる。
彼女はそんな魍魎を肉体に潜めている。