ブリュッセルワッフル 4
翌日の晩餐は趣向が凝らされていた。
日中は頑丈な鎧戸で塞がれていて、看板も何も立っていない。
営業しているときはその鎧戸が開く。その内側に店名が表示してある。その穴倉のような場所へ細い階段を伝って降りていく。かつてはワイン倉庫だった地下室だという。
父親は既にwineが廻っているようで、上機嫌にグラスを上げて誘った。
「ありがとうございます。実はこのお店、行きたかったんですよね」
「儂の知り合いなんだ、どんな無理も聞いてくれる。ささ、座ってくれ。飲み物は何がいい」
彼は英語で話してくれているが、仏訛りがあって聞き取りにくい。
まずはbeerで乾杯して、前菜、スープときてムール貝のソテー、2本目のwineのボトルが半分になったところにメインが給仕された。ああ、やはりこれかと思った。
カルボナード・フラマンド。
ベルギー名物の牛のビール煮込みだった。ベルギー産の華やかな香りのするビールで、数時間をかけて煮込み続けた料理だった。
飴色になって照りのある塊肉とブラウンソースに、温野菜とクレソンが添えられて、傍らのボウルいっぱいにフリッツが置かれた。
しかもフラマンドがあの古伊万里の上に乗せられている。
純和風の色味と佇まいに、欧州の郷土料理が映えている。
驚く僕に、父親は愛嬌のあるwinkをくれた。
彼の前に置かれた方は、お店の皿のままだ。
「無理を聞いてくれる店だ、って言ったろ」
ナイフを入れるとほろほろと通る。絹ごし豆腐のような感触がする。口に含むと黒beerの果実のような香りが立つ。ただその香りのなかに違和感を感じている。
「どうだ、この趣向は。日本人は仏教徒だろ、戒律で牛は食べられないというじゃないか。子羊だよ」
どうもヒンデュー教徒の戒律とを、彼は混線しているようだけど、微笑みで返した。それが我々の異文化への寛容な視線だ。
「もう帰国するのか」
「ここに来て2年になるしね。帰国して職につかないと。僕の婚期が心配になる」
「佳い娘を置いてきたんだろ、Lisaから聞いたが。何か感謝祭のプレゼントは用意してあるのか」
「蚤の市で探していたんだが、どうも縁がなかったみたいで」
ああ、という目線で彼は包みを出した。
「妻が集めていたものだ。これを使ってくれると嬉しい」
段ボール箱に新聞紙で包まれたそれは、Susie Cooperのお皿とカップのセットになっていた。
「新婚のときから使って、そして娘とも共用した。明日からは独身用のカップを使う事にする」
その宣言に逆に戸惑った。
そんな愛着のある想い出を受け継いでいいものだろうか。
「きみに忠告しておく。いいお皿こそ使わないといけない。ご大層に仕舞い込むもんじゃない。仕事をさせてやらんとな、拗ねてしまう」
寂しさの反動なのか、酩酊が近いのか、饒舌になっている。
「そりゃ使ってれば欠けたり、割れたりもする。Lisaも古伊万里を割ってしまったな。けどなあ、あれもそれもが、過ごした時間の積み重ねだ。家族だってぇのは、そんなもんだ」
彼は粘っこい目を煉瓦造りの壁に向けていた。
「こんな地下には、オランダ野郎は潜ってはこれねえ。奴らは水が怖いからな。いずれあいつも戻ってくる。そのときには、親娘でまた考えるさ。それも人生だろ」
彼は新郎について、やはり快く感じてはいないようだ。
果たして戻ってくるかな、と思ったが口にはしなかった。
お茶にする?、と声を掛けられた。
僕はPCでの作業を中断して、ああと答えた。
「ワッフルを焼いてみたの、お茶菓子にどうかな」
妻はトレイに乗せたお皿を運んできた。
まだ温かいワッフルに紅茶が添えられている。お皿には欠けがあるし、カップの細いひびには茶渋がしみこんでいる。
とはいっても。
SusieCooperの茶器は、毎日のように食卓に上る。留学前に付き合ってた彼女なら、こんなに普段使いはしないだろう。
DRIESのスーツも、主に結婚式になるけれど、ウェストを調整したり、こっちの肉体を絞ったりと苦心をしながら、四半世紀は着用している。
どうしたの、と視線が揺れている。
ワッフルにナイフを入れて口に含んだ。バターの香りがする。
「Antwerpenで最後に食べたメニューを思い出した。急に食べたくなったから、今日は僕が料理するよ」
さて、買い物に出かけないと。
この家に黒beerはないはずだ。