ガリア戦記 #私の岩波文庫
岩波文庫とは、実は縁遠い。
読破した作品が少ないのだ。
何より活字がとても小さい。
今となっては老眼で、全ての文庫が書庫には少なくなってしまった。今やそれはiPadで再購入するものとなっている。
ただ唯一、近山金次訳の『ガリア戦記』は大事に残してある。
これは入院中に貪るように読んだのだ。
妻が病室に差し入れた一冊でもあった。
当時、転落骨折をして、一月半の入院生活となった。
経営していた学習塾は妻がサポートしつつ、iPad📱で指示を出して練達の講師陣がこなしてくれていた。
その最中に読み込んだのが、ガリア戦記だった。
かつて大学生の頃に読み始めてみたものの、余りに金釘流のお堅い訳文にどうしても馴染めなかった。
特に自伝なのに、第三者的に「その時にカエサルは〜」と自らを他人口調で呼ぶことに違和感があった。
その本は引越しの際に処分したのだと思う。
塾を開業してからは、塩野七生作の「ローマ人の物語」にハマってしまった。「ハンニバル戦記」と「ユリウス・カエサル」は何往復も読み返した。
それでガリア戦記とは、カエサル自身の元老院に対する報告書であり、吟朗詩人が街角で朗々と読むことによって、市民たちを愉しませてかつカエサル自身を注目させる意味合いがあった事を知った。
カエサルの家系は没落しかかった家柄で、その当主の名前の連呼は言わば選挙活動でもあり、メディア戦略でもあった。
果たしてガリア戦記の効果で、彼は民衆から激称されたのだ。
そこまで知った上で、病床でのガリア戦記は読み進めた。
特に戦場においての経緯や、策略や、敵の動きはユリウス・カエサル記で図解入りで解説を受けている。
それを一人称視点で戦場に赴いていく。
なるほど当時の市民たちが興奮するわけだ。
殊にカエサル軍が、敵地である冬季駐屯地において、ガリア軍からの奇襲を受ける際の臨場感たるや、2000年前のローマ人の思いに肉薄し、手に汗を握って追体験できる。
そうなると現金なもので、書庫の手元の段を定位位置としている。