離婚式 16
唇を盗むのは、簡単だ。
奪うのではなくて盗む。
女性をエスコートして車に誘う。
紳士っぽく助手席ドアを開けてあげる。
そこから女性は重心を下半身に預けてシートに呑まれていく。当然ながら上半身が無防備になる。シートに収まった瞬間に人差し指をあごの下に差し込んで、上を少し向かせる。
半開きになった、唇を盗む。
この手順に、間違いはない。
そうして攻守を明確にする。
主導権は譲らないのが信条だ。
それがどうした。
誘われているのはおれの方だ。
攻められているのも、おれだ。
鉄壁のネット防壁を持つオフィスビル。
そのエントランスに座る、唯のレセプション嬢だと思っていた。
基本的には気の利いたお飾りの業務だ。華を添えると言えば聞こえは良いが、テナント誘致するための、ビルオーナァの下心が透けて見える。それで鼻の下を伸ばす事業者もいるのは想像がつく。
美麗な彫刻にAIを組み込んで、ICチップでゲートで管理することもできるが、それでは体温が感じられまい。
「どうしたの」と鼻先で甘酸っぱい吐息がする。
「いや」と答えたが否定の意味はなしていない。
薄く汗ばんで女が匂う、その塊を揉み上げる。
先端が熱をもって、硬く尖っている。
指先が、敏感に張ったそれを探り当てた。
思わず口にした。
頬擦りもしたり、啜ったりもした。
それを男がすると、決まって女は慈母のように、男の髪に指を這わせ後頭部から優しく抱き込むのだ。まだ乳など与えられないのに。
夢中になったおれは気が付かなかった。
背後に人の気配がしたのだ。
それを察したのは、その女が目を見開いて驚愕の表情をしたからだ。
「ひっ」と引き攣った声がする。
脇腹に金属質のものが触れた。
その瞬間に全身に痛みが走る。
さっと視界が塞がり暗転する。
全身の筋肉があらぬ方向でもがいている。
「誰よ、あんた」
「誰でもないわ」と女の声がする。
「泥棒猫にはお仕置きが大切よね」と続けている。
スタンガンだろう・・・身動きは緩慢にしか出来ない。しかし視界は塞がれても聴覚は残っている。
「あんたこそ泥棒猫でしょ。佐伯のを今もしゃぶっているの?」とおれの身体で自らの裸身を隠しながら、おれを誘う女が叫んだ。
「先っぽの黒子あたりを攻めてあげると、悦ぶわ。お下がりで我慢しておくといいわ」
清楚なエントランスの華が、毒を放っていた。