二気筒と眠る 3
夏のツーリング、は苦手だった。
炎天下のライダースーツの苦痛。
内側は汗が滝のように流れてる。
普通のブラだとカップの下半分が汗でぐっしょりと濡れて、そこだけが冷たくて。
ぴっちりのスーツにはメッシュ部分もあって、通気性は一応あるけどプロテクタもあるので万全ではない。なのでカップ付きのキャミで胸を抑えている。ジャケットを脱ぐには場所を選ぶけど。
実家の横からちょっと歩いた先に高速道路のICがあって。
その中に吸い込まれていくライダーの背中を眺めていた。
高校生の制服の頃は、夏旅は楽しそうだな、と勝手に羨望の眼を送っていたけど。それが贔屓目の視線だと、自ら体験して痛感した。
夏は、海によく連れて行ってもらった。
彼は身の丈に合わないクーペで迎えた。
エアコンも効いて音楽も流れて、ソファのようなシートは別世界に思えた。助手席でよく塗れた爪先を伸ばしてみる。
バイクを封印する夏場は、グラブも納戸の肥やし。
髪と爪を伸ばせるのは、夏の季節感になっていた。
車窓に揺られながら、昨晩の母の言葉を思い出す。
「貴女もそろそろ収まるとこに収まらないと。あの家はしっかりしているし。それに貴女の旬は今だからね。3っつも上なんだから」
早世した父に代わり育ててくれた母は、私の賞味期限について、迫るように言う。
「そのときは素直に受けないと、逃げちゃうわよ」と追い打ちする。
湾岸道路をクーペは静かに滑っていく。
得意げに操る彼の隣で、私とそっと溜息をつく。
先刻のコーナーを空冷CBで抜ける光景を想像する。視界は遥かにバンクしているけど、自由だ。こんなに手持ちぶさたじゃない。
この薬指に嵌まる指輪には、幸せの反面で拘束の鎖かもしれない、な。
裕福な彼の家のことだ、このクーペの払いはお母さんだろう、な。
その中に入る私は、きっと今のように不自由な助手席で揺られているだけ。そんな気がする。
「おれが払うからさ、PHSを携帯に変えない?圏外になることが多いじゃない」
彼がそう囁く。
「ありがとう。でもまだいいな。軽くて使いやすいから」
圏外があることも、また自由度の広さに感じる。
「でもさ、ツーリング先じゃつかまらないじゃない」
そうね。ひとりになりたい時があるのよ。あの家ではそれが望めないかもしれない。
逃げられちゃう、か、また母の言葉を呑み込んだ。
帯状に連なる雲の向こう、黄金色の海面に日輪が沈もうとしていた。
指先で輪を作ってかざしてみた。
ほら、夕陽なら捕まえられるわ。
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