大晦日の知覧
大晦日は知覧を詣でた。
言わずと知れた知覧特攻平和会館を擁する土地だ。
ここにはまだ小学生だった娘を伴ってきた事がある。しかしながら記憶よりも建物が大規模化して、より遺された声を拾うことのできる設備になっていた。
特攻のために集められた隊員たちが、空襲を避けて潜んだ三角屋根の兵舎も再現されていた。その簡素な寝床で、出撃前の最期の夜を迎えたのかと思うとやるせない。
鹿児島甑島の深度35mに沈んでいた零式艦上戦闘機52丙型が展示されていた。この機体は撮影を許可されていた。
海水による腐食なのか、被弾であるのか。
傷ついた機体を、舐めるように観察した。
また時折、ビデオ上映がありそれを鑑賞したが、涙が熱くこぼれ出た。
馬鹿やね、もっと早く降伏しておけばよかったのに・・・
そう若い娘が後ろの席で云っていたが。
彼女は降伏した国家の国民が、いかに誇りを挫かれ、身体を犯され、財産を侵奪されるのかを知らない。ベルリンでは13万人もの女性が強姦された。その後は口封じで殺された実例もある。
日本においてもRAAという米軍兵向けの施設が、何か所もつくられた。通称はSEX HOUSEだという。当初は銀座の三越を筆頭に接収する予定だったという。三越はそれを断った。
そのRAAで日本舞踊か歌を歌って、兵士を慰めるものと考えて集まった婦女子たちが次々と蹂躙されていった。
その程度で済んだ、というのは語弊があるかもしれない。だがベルリン程の目に逢わなかったのは、特攻という薄気味悪い攻撃を辞さない日本人というものに惧れがあったからだ。
連中は一旦怒らせると何をするか、わからない、占領軍はその一線を図りながら横暴を重ねてはいたが。
まさしく特攻で散った彼らは日本人を守護したものと考える。
遺された言葉が純粋で重く、熱い衝動と感涙が絶えなかった。
この日は取材を兼ねて、博物館を次々と回った。
維新ふるさとの道という博物館がある。
ここも数時間を愉しめるよい展示ばかりだった。
そして英雄を輩出した加治屋町を歩いた。こうした距離感を体感することは、物書きにとって大切なことだと思う。