自分の選択した言葉は、自分が一番、感じているんだよ。 ~作家売買~

もし、あなたが自分の体を自由に動かせる幸せな人ならば、

口、耳、目。

そして、手で書いた文字。


自分が発したものは、世界で最初に自分が感じるんです。

編集さんでも、読者でも、家族でもない。

一番最初に聞いたり、読んだりしてるのは『自分自身』なんです。


一番最初に、あなたの言葉を聞くのは自分。

一番最初に、あなたの言葉を読むのは自分。

一番最初に、自分で自分を感じます。


そんで、勝手に自己肯定や自己否定、云々カンヌンな感情が働いちゃうんです。

誰も、あなたを最初から否定も肯定もしていない。勝手に自分が感じて自己完結までしてしまう人もいます。


だから、自分が何を選択したかで、自分が選択した言葉がわかります。


ネットって便利ですし、ぶっちゃけ私の全てってぐらい仕事と私用でゴリゴリ使っています。

そんな中、たまにヤング層とお話をさせてもらうと、「言葉だけが先に発してしまう人」に出会う。


意味は辞書やらネットやら、引用も立派にできるんだけどね。でも、それは誰でもできるコトなんだよ。


生まれた時からネットがあって、ポチポチすれば簡単に『単語』が出てくる。

『意味』も、『引用文献』さえもドンドンと出てくる。


だから、類似していた状況を、ネットでヒットした『その単語』側に合わせて自分の感情や状況をあてはめる。

そして、その単語通りの型の自分を形成する人がいる。

自分があるのではなくて、先に『単語』があって、その単語に自分を合わせる。


それも一つのやり方だろうけど、それだけしかできなくなって苦しんでいる人にはどうしたらいいんでしょうか?

『単語』って型にあてはめてしまうことだけしかできなくなる。


先人たちが制作した指定通りの『単語』の型にあてはめる。

ってのは最初はいいんだけど、その先として、進化する技術や情報を使って新しい『自分で自分の型』を作れない。



日々、問題だらけでも、確実に進化してる世界があるんだからさ。

悪いこと探し、だけじゃなくて、平行して「良いトコをグングン伸ばす」ってのもしていかないとね。


1人で完結したらツマらんな~って感じる夏の日のクーラーの真下より。


今日も、誰かに笑われていますように。