夫婦23年♡二人の日常④...子供がいないこと 番外編 〜私のものじゃない思い〜
私は、子どもができることに対して、ふたつの恐れがあった。今回はそのうちのひとつの恐れの話をしようと思う。
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19歳だったある日のこと。
わたしはイギリスの文具屋さんにいて、ポストカードを見ていた。
その当時は携帯なんてないし、電話をするものならびっくりするくらいの値段がかかるから、日本の友人へはもっぱら手紙やポストカードを送っていた。
私はポストカードが好きで、友人へ贈るそれとは別に、お気に入りのポストカードを見つけては買って集めていた。その多くは赤ちゃんや小さな子供のもので、そのポストカードを見ていると癒されたりしたのだ。時に、戦時中かなと思わせる白黒やセピア色の写真もあるけれど、それはそれで子供の純真さが浮き彫りになって切なさを引き出してくれていた。
そしてふとなぜ私はこんなにも赤ちゃんや子供のポストカードが好きなのだろう。なんでこんなに集めているのだろう。。。そんな考えが浮かんだのだ。
『わたしは、子供を持てないのかもしれない』
そう思った時、わたしは頭を横に振り、なぜそんな考えが浮かんだのか不思議に思った。前世で何かあったのかな、、そんな風にも思った。(←私はすぐ前世のせいにする 笑)
しばらくして、そのことを考えると、子供を産む時に、なんだか何かが起きて死んでしまいそうな気がした。不測の事態が起きたりして、私という生命の灯火は、出産という出来事に耐えられず、消え去ってしまいそうな気がして、そのことを考えると怖くなってしまったのだ。
この恐れはなんだかとてもリアルで、それ以外の選択肢、例えば子どもが無事するりと生まれるとか、難なく終わるという想像はしっくりこない感じがした。どう考えても何かありそうな気がしてしまっていた。
ある時、この思いがいつからあるのだろうと、自分の心を探っていこうと思いたった。全く身に覚えのない、けれど確かにある恐れや不安の理由が知りたかったのだ。
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左手で右側の鎖骨の下あたりをトントンと静かにタッピングしていく。
すると母と幼い頃に一緒にお風呂に入っていた頃の記憶が浮かんだ。
母は私と双子の兄を産んで、ブヨブヨになったお腹を見せ、
『あんたたちを生んだからこうなったのよ。産む時大変だったんだから』と言っているシーン。
母はかつての自分の姿と今の姿を思い浮かべ、ブヨブヨになったお腹をさすり、語気を強めて言った。
たぶん双子の兄が母に何かいったのかもしれない。
幼い私は、母の(突然に思えた)その言葉にとイライラした様子にびっくりして戸惑っていた。
でもこの記憶の私を眺めながら、この時じゃない。次第に記憶はもっともっと深く遡り、母のお腹の中にいるイメージが浮かんできた。
お腹の中にいる私はとても落ち着かない感じがした。
じんわりとお腹の中を通って感じる母の緊張と不安。
死の恐れ、その気持ちと相反するようにある大丈夫と強く思う気持ち。
もしかしたら産む時に死んでしまうかもしれない、
大量出血をして死んでしまうかもしれない、
でもきっと大丈夫、そう願いながら口角を上げ、クッと力が入る感じ。
不安を感じながらも、深いところから大丈夫と信じる、決意のような潔さ。
母の心模様が伝わってくるにつれ、私ははっきりと私の思いではなかったことを知り、しばし呆気に取られていた。
それは母の思いだったという驚きもあったが、一度も泣いた姿を見せたことがない母の強さの奥にある、柔らかい部分に触れた瞬間でもあったからだ。
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わたしの母はわたしを含めて5人の子どもをこの世に送り出してくれた。二人目の兄を産む時に、出血多量になって輸血をした。
母は兄を生んだ後、姉を普通分娩で、私たち双子を帝王切開で産んだ。
私たちを産んだ時は、とても大変だったと思う。ふたりとも3Kg以上の体重があり、合計6Kgの双子をお腹に抱えていたからだ。
母は私たちに輸血のことを語ったことはあまりなかった。私たちを産んだ時にはもう既に8年という月日が経っていたし、大きな双子がお腹にいて、二人を産んだ時の大変さの方が優っていたからかもしれない。
私たちを産んで数年後からは体調不良で起き上がれない日々を過ごしていたから、父も母も、私たち子供たちもずっと母の体調に気を使っていた。
原因不明の体調不良だったが、輸血が元でB 型肝炎になっていたことを知るのはずっと後だ。
これは最近この記事を書くために父から聞いた話だが、母は大量出血をした時になかなか輸血が見つからず、ふわっとなって夢かどうかわからないが、おじさんにこちらに来い来いと言われたらしい。
姉を産んだ後も、もう一人欲しかった母に医者は次の子は無理だと言っていた。
こうした母の出産にまつわる出来事を追っていくと、母が私たちを産む時、もしかしたら産む時に死んでしまうかもしれない、また大量に出血して輸血が必要になるかもしれない、そう思ったり不安になったりするのも不思議なことではないと思う。けれど、母は懇意にしていた人に『どうなるか分からない』とだけ漏らしただけだった。そんな気丈な人だった。
このことがあって、私は母のこと、母がずっと見せないでいた、人間的な部分に触れた気がして、とても嬉しかった。母を一人の人間として、愛おしくなった。
それは、死ぬかもしれないという思いまでして私という命をつないでくれた、母の愛と強さに触れ、私は感謝の気持ちでいっぱいになったのと共に、
母の弱さ、不安、恐れ、それは生きている人間ならば多分に感じるである感情、そんなものを感じて、母と深く繋がった気がしたのだ。
母の柔らかい部分は、母を等身大の人間、母という枠を超えて、一人の人間としての様々な色を見せてくれていた。
腹の据わった感じ、気丈さ、意志の強さ、頑固さ、
その奥に隠されるようにしてあった不安、恐れ、緊張感、かなしみ、
運命を受けれる強さ、潔さ、前向きさ、
愛する人を心配させない配慮。
多面的で、人情味あふれる一人の女性の生命が浮かび上がってきた。
*~*~*~*
こうして母から私に伝わってきていた思い達は、もともとの所在地がわかると、きつく結ばれていた糸が緩んで解けていくように、ゆっくりと解き放たれて、私の元から消えていってしまった。
『子供を産む時に何かが起きて死んでしまいそう』な気持ちやその恐れは、不思議なくらい無くなっていった。
それどころか元気な赤ちゃんが生まれてくる、出産後(してないけど 笑)も元気な姿の自分のイメージをすることができるようになった。
私たちはこんな風に知らず知らずのうちに、自分の思いじゃないものを自分のものとして生きていることがある。そしてそれは結構多い。
けれどそれを怖がったり嫌がったりしなくていい。
なぜならそれは愛の仕業だからだ。
母の思いが解き放たれた時、『母のことをなんとかしてあげたい』とそんな(母と子という分離)の思いを抱く以前に、もう私は母で、母そのものだった。母と一緒にその思いに共鳴し、一緒に不安を共有していた。
そして私はゆっくりとその不安と恐れを吸い込んで、今度は愛を注ぎ込む。
しっかりと自分に還りながら、
『ありがとう、生命をつなぎとめてくれて』
そう、心で感謝して。
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