『調律されていないピアノ 〜あなたにしか奏でられない音〜』
先日、趣味でやっている朗読ライブの打ち合わせをしていた時のこと。
今回は即興のピアニストのHさんもご一緒していただけることとなり、
そのピアニストのHさんから、会場である施設にピアノがあるか、あればそれを使いたいとお話がありました。
調べたところ、、ピアノはあるけれど、ずっと使われてなくて調律はされていないとのことでした。
私はピアニストのHさんご自身で調律するのかな〜と聞いたところ、
調律せず、、そのまま弾くというお返事が返ってきました。
調律していないピアノ。
きっと音が出ないところ、弱かったりするところやぼやっとした音の部分もあるかもしれません。
でもそれをそのまま弾く。
それを聞いてはじめはびっくりしたものの、とても私の中で腑に落ちたのでした。
完璧な音を求めるのではなく、
そのピアノでしか奏でられない音があるから、
その音を響かせていく。
それはこのピアノがたどってきた道。
置かれている場所から入る日差し、
隙間から入るほこり、
時々そこを駆けずり回る子供達、
どしっとぶつかる衝撃。
そんなピアノがたどってきた道なりをすべて受け入れて、
Hさんは
このピアノが奏でる音との出逢いを、
自分の思っている音とは違う音が出る意外性を、
そのピアノしか出せない音を楽しんでいるのだなと感じました。
それは、目の前のピアノに対する、完全なる肯定(受容)で、
Hさんの音に対する防御のなさと、親しみと愛を感じたのでした。
*~*~*~*
そして私たちもそうなのだと、そのような存在なのだと
確信を持って感じています。
あなたがたどってきた道なり。
あなた特有のとらわれ。
かたより、でっぱりやへこみ。
あなたの信じているもの、思い込みや執着。
それすらも
あなたという生命のたどってきた足跡で、
あなたが一生懸命生きた証。
私たちが苦しむとき、
私たちはその足跡を否定したり、なかったものにしたり、
ない方が良かったと嘆いているとき。
そのような自分ではダメだと思っている時。
でも、あなたという生命に起きたこと、あなたが感じたことを
抵抗や防御もなく、親愛を持ってあなたに受け入れられたとき、
あなたが自分を、歩んできた人生を、あなたという生命の存在を愛し始めたとき、
私たちは本当の意味で、あなたというユニークさに気づき始めるのかもしれません。
だから、
あなただけしか奏でられない音を聞かせてください。
あなたしかなれないあなたになってください。
そうしてあなたという生命を輝かせてください。
完璧な音を出さなくていい、理想な音を求めなくていいから、
あなたの音を聞かせてください。
そして私は
あなたという生命の奏でる音をもっと聞いていきたいと思っています。