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顔を突き合わせながら学ぶ人類の進化 /[書評]『人類の祖先に会いに行く』

もちろん期待して読み始めたわけであるが、その期待以上に充実した内容の本であった。

本書は、およそ600万年にわたる人類の進化を一般向けに語ったサイエンス書である。同じテーマの本が数あるなかで、本書は個性的なスタイルを採用している。まず、人類の進化を考えるうえでとくに重要となる、特定の15の個体(個人)にクローズアップする。そして、彼らの精巧な復元像を示しながら、「かつての私たちはどのようであったか」を明らかにしていく。著者の言葉を使えば、「顔と顔を突き合わせること」(16頁)、それが本書の大きな特徴である。

そうしたスタイルをとることによって、本書は一般向け書籍としてじつにうまく仕上がっている。そこに示されている復元像は非常に精巧で、迫力があり、読者の目を惹きつける。また、視覚的イメージを伴いながら話が進んでいくので、読者にとってはポイントが飲み込みやすい。まさに「百聞は一見にしかず」をうまく駆使した本だと言えるだろう。

というのが、本書の大きな魅力のひとつである。そしてもうひとつの大きな魅力は、その記述がきわめて平明かつ丁寧であることだ。

本書でとりあげられる15の個体は、いずれも進化人類学ではよく知られた存在である。約330万年前まで遡ることができる化石人骨のルーシー(アウストラロピテクス・アファレンシス)、現生人類の最も近い共通女系祖先たるミトコンドリア・イヴ(約20万年前)、そして、「凍結ミイラ」として現在のわたしたちにさまざまなことを教えてくれたエッツィ(約5200年前、本書カバー写真参照)などである。本書は、それらの人物についてわかっていること(あるいはわかっていないこと)を丁寧に整理しながら、一連のストーリーを紡いでいく。

第1章のルーシーに関する議論を見てみよう。よく知られているように、人類の祖先はおよそ600万年前にチンパンジーの祖先と枝分かれしている。とすれば、約330万年前の人類がすでに直立二足歩行を始めていたのかどうかが、注目すべきポイントとなるだろう。

これまでに得られた証拠からすると、「始めていた」と考えるのが妥当でありそうだ。タンザニアのラエトリで発見された約360万年前の足跡も、その考えを後押しする。88個にも及ぶそれらの足跡は、いずれもアウストラロピテクスによるものだと考えられるが、けっして四本足によってつけられたものではない。となれば、ルーシーが生きた330万年前には、やはり人類はすでに二足歩行への移行を遂げていたとみなすことができよう。

というように、有力な証拠と知見を活用しながら、本書は当該のストーリーを丁寧に組み立てる。ただそれと同時に、それに対する注意書き的な見方があることも、著者は忘れずに指摘している。

その見方というのは、テキサス大学オースティン校のジョン・カッペルマンとエイドリアン・ウィッツェルによるものである。彼らは、ルーシーの骨に認められる17箇所のひびを調べ、彼女の死因は「高所から落下して地面に叩きつけられた」ことだと指摘した。その指摘が何を含意するのか、著者自身の言葉を引いておこう。

もしカッペルマンとウィッツェルの主張が正しいのであれば、そこから引き出される結論はじつに示唆に富んだものとなる。あくまで概算の数字ではあるが、ふたりの計算によれば、ルーシーはかなりの高さ(数メートル)から落下したと考えられる。これはつまり、歩行に適した足を有していたにもかかわらず、そして、彼女やその仲間こそが、二本足による人類の冒険を開始したにもかかわらず、ルーシーはなおも高いところで、木々の葉のあいだで、日常のかなりの部分を過ごしていたことを意味している。したがって、樹上生活から直立二足歩行への移行は、長い時間、気が遠くなるほどの長い時間をかけて、段階的に進んだと考えるのが妥当だろう。(30頁)

いや、じつに丁寧で、誠実で、わかりやすい議論ではないか。

本書は以降の章においても丁寧かつ平明な議論を積み上げていく。そうした議論の性質ゆえ、ことさらオリジナルな見解が示されているわけではない。だが、人類進化の基礎知識をわかりやすく教えてくれるので、本書は概説的な講義のように楽しむこともできる。そう、実際にそんな講義があったとしたら、ワクワクしてたまらないだろう。

なお、著者はイタリアの高名な遺伝学者であるとともに、受賞歴のある小説家でもあるようだ。だからだろう、その文章はそんなにくだけてはいないのに、わかりやすく、心地よい。と同時に、この邦訳書は訳文も秀逸だ。著者と訳者に「ブラボー」を送りたい。

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