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◇22. 崖っぷちの決断
永住権(無期限滞在許可)を取得し、しばらくのあいだは、糸の切れた凧のようにふらふらと落ち着かない、気力もない状態が続いていた。
それでも、自分がこの職場で始めは臨時職員として拾ってもらい(◇12)、その後、限られた人件費のなかからポジションを新しく作って正規職員として採用してもらえたこと、さらに永住権申請時には足りなかった契約時間数を増やしてもらえたことなど、本当に多くの配慮をしてもらってきたのだから、自分にできることはとにかく頑張りたい、頑張らねばという思いもあった。
ただ、学校図書館の職員として、自分の課題や限界も自覚していた。子どもの学び、特に国語科の学びをサポートする役割は重要になりつつあり、その能力が自分には欠落していることをひしひしと感じていた。そもそもこの国で育っておらずデンマーク語の発音や理解力にも常にハンデがある。教員資格もない自分が低学年の読み取り力を判断したり、サポートすることの難しさを強く感じていた。
仕事上で自分に能力が足りないことや限界を感じたとき、普通ならそれをどうやって向上させるかを考えると思う。新しい分野やプロジェクトを任されるとき、だれもが始めから「これは得意」と思って取り組むわけではない。むしろ初めてのことならどうやって自分に足りない部分を補い、満たしていくかにフォーカスするのではないか。
40歳を過ぎて初めてデンマークの図書館で就職した自分。そもそもこれまでだって初めての連続だったし、「これならできる」と思ってやってきたことなんて少ない。何を担当するときも毎回不安や自信のなさはそばにあり、それが心を占拠してしまわないよう、なだめながらやってきた。
先生たちへのレファレンスサービスや教材準備、公共図書館との連携、情報検索の授業、ブックトーク、貸出返却の管理、また休み時間にやってくる子どもたちとカメの世話をしたり、他愛もない会話など、なかには自分が得意だと思っていたわけではない業務もたくさんある。それでも自分なりに苦手を克服しながら、あるいは折り合いをつけながらやってきた。それの延長として国語科のサポートを考えることはできないか。
でもそれは、これまでの苦手さとはちがうもののように感じられた。ここで求められる学力向上のためのサポート、特に国語力の向上を支援するのはそもそも自分が適任なのだろうか。本当に自分がやっていて良いのか。そんな思いは日々強くなっていた。
そんなとき、新型コロナウイルスの拡散が始まった。2020年3月11日、デンマークの首相、メッテ・フレデリクセンは、義務教育学校を数週間のあいだ閉鎖すると発表。わたしにとっては突然、職場に行かない日々が始まった。
実はこの日の前日、仕事を辞めようと決意し、家族にも伝えていた。夫からは失業保険がどのぐらいもらえるのかは確認してから辞めた方が良いと言われただけで、反対もされなければ理由を尋ねられることもなかった。ずっと悩んでいたことは知っていたし、数年ごとの転職がめずらしくない業界にいる夫にとって、仕事を辞めることは特段めずらしいことではなかった。
でもデンマーク育ちで常に人手不足な業界にいる夫と、供給過多でいずれ消えゆくと言われる業界にいる中年の外国人女(わたし)とでは、その決断の意味には雲泥の差がある。正規職として採用してもらったありがたい今の職を辞めたら、もう二度と同じようなポジションに就ける可能性はほとんどない。司書の教育を受けたから、司書組合が給与保障をしてくれるありがたい専門職。それでも辞めるのか。本当にそんな決断をする余裕があるのか。
ジョブセンター(職安)に退職した際の失業手当の額面を確認した後も、罰当たりで独りよがりな決断だなとか、もっと頑張れば良いじゃないか、現実を見ろよという叱責の声が頭をずっとよぎっていた。
学校閉鎖から4週間が経ち、低学年の子どもに限定した学校再開が決まったのは、4月のイースター休暇の直前だったように思う。中・高学年は引き続きオンライン授業が行われたが、低学年はイースター休暇後から登校が決定。6週間ほど自宅待機だったわたしも学校へ出勤。授業再開前日のミーティングは、感染予防のため屋外で行われた。
互いにディスタンスを取りながら、寒い4月の空の下で行われた教職員会議では、児童1人当たり2メートル四方のスペースを開けて子どもを座らせることが決定。とはいっても教室の大きさは変えられないから、各クラスを2グループに分けて授業をすることになった。図書館の本の利用は国から具体的な指示が出ていないため停止。そして幼稚園学級(0年生)は学校図書館内のスペースでも授業を行うこととなり、それをわたしが担当することになった。
授業を担当・・・。
授業といっても内容を具体的に指示されることはなかった。正確には指導内容を考えて伝える余裕が当時の先生たちにはまったくなかった。1クラスを2グループに分け、教室の床にテープを貼って子どもたちが机をくっつけないようディスタンスを設ける。子どもたちには毎時間の授業が終われば校庭で手洗い、消毒をするよう指導する。不安を感じている子たちもいるからその対応も要る。何ができるかはやってみないと分からない。そんな状況で、わたしだけが「何を教えたら良いんですか~」なんてとても言えなかった。「大丈夫です、なんとかやります」そう言ったら、3クラスある0年生グループが毎日交代で図書館へやって来るようになった。
教材サイトからプリントを探したり、絵本の読み聞かせ後に簡単な工作を取り入れたり。授業が終わるごとに机と椅子、工作で使用した道具をすべて消毒。それらが乾き切る前に次のグループがやって来る。休憩なんて取っていられないほど忙しくなった。
普段から一番自信がないと感じていた国語のサポートを突然毎日やることになり、わたしは心の中で悲鳴を上げた。母音の発音を聞き分ける教材では、そもそも自分が正しい音を発音することさえできない。簡単な文法の指導でもそれを子どもたちがわかるように説明することもできない。なるべく自分ができることへ寄せていったりと工夫をしながら続けたが、とにかくこれではいかんだろうという思いが日々強くなっていった。
「ではもし時間に余裕があれば、この苦手を克服したいか、できると思うか」
そう自分に問うた。今は非常事態。担任でもない自分の指導に多少の不備があっても咎められることはないかもしれない。でもこういったことは学校図書館にいるならできるに越したことはない。研修を受けるなど方法はいかようにもあるだろうし、コロナが落ちついたら上司にかけあうこともできるだろう。やってみたいか。
深く考えるまでもなく、自分の答えはもう出ていた。
「やりたくない。自分は学校で授業を受け持ったり、子どもの学びをサポートしたいわけではない」
国語科のサポートや指導ができるようになりたいわけではない、それはもう明らかだった。むしろ自分より適任の人が山ほどいるのにこのポジションにしがみつこうとしているのは良くないじゃないかという思いの方が強くなっていた。
図書館での授業も落ち着いてきた5月末、わたしは学校図書館を辞めた。あんなにお世話になったのに本当に罰当たりだなという思いと、これからどうやって生きていけるだろう、もう二度と司書の仕事に就けないかもしれないという未練とともに。でも同時に、自分は適任ではないのだからさっさと優秀な人に引き継いでもらった方が良いに決まっているじゃないという思いが不安な気持ちを軽やかに蹴飛ばしていった。
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