読書感想文 『羊と鋼の森』 ”それがないと生きられないもの” について思うこと
おすすめしてもらった本を読んだので、感想文を書いてみる。しっかりした読書感想文なんて高校の夏以来で、少し緊張する。
本の名前は『羊と鋼の森』。宮下奈都さんの作品で、過去の本屋大賞にも選ばれた一冊。物語のあらすじをざっくり説明すると、高校時代のとある出会いからピアノ調律師に憧れた主人公・外村が、念願の調律師として働き始め、職場の先輩や顧客と出会う中で成長していく物語だ(超ざっくり)。
美しい本だった。さすが、言葉が好きな推薦人だなぁと思うような、言葉の美しさが詰まった本だった。
以下の感想では、物語の最後の部分についても少し触れているため、話を知りたくない方はそっとページを閉じていただきたいと思う。
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基本構成は主人公の成長物語である本作。度々現れるキーワードは「自分と切り離せないもの、それがないと生きられないくらい自分の支えになるもの」。
主人公の外村にとって、それはピアノの音だった。
外村が調律の世界に脚を踏み入れることのきっかけになったのは、高校生の時、熟練のピアノ調律師である板鳥が学校のピアノを調律する姿を見たこと。それまでピアノに触ったこともなかった彼は、体育館で運命の出会いを果たした。
外村の職場の先輩である柳についても、ピアノの調律が「杖」だと語られる。
調律に熱中する外村はかっこよかった。ピアノと真剣に向き合い、少し不器用ながらも周囲の人々との関係を深め(登場人物がそれぞれ魅力的!)、調律師として腕を磨いていく姿を追いながら、どんな結末になるかわくわくして本を読み進めた。なのだが、楽しく読み進めると同時に、わたしの心はざわついた。
外村のように「これさえあれば生きていける」と言えるものがわたしにあるだろうか。
年齢がぴたりと一致するわけではないが、わたしと外村は年齢が比較的近いのだ。物語の主人公と自分を比べてもしょうがないことはわかっている。それでも、ざわざわしてくるこの気持ち。せっかく面白い本に出会ったのだから楽しく読んでいればよいものを。
物語を楽しむ自分がいる一方で、あなたはどうですか、「これさえあれば生きていける」というものはありますか、と問いかけてくる自分がいる。
わたしは昔から、飛び抜けて得意な教科があるというよりも、全科目を満遍なく仕上げるタイプだった。主要五教科以外の音楽や美術や体育も好きだけれど、どれもそこそこに好き、という感じで、どれかひとつが寝食忘れるほど好きかというと、そうではなかった(もしかすると、何かを好きと宣言することを、怖くて避けていたのかもしれないとも、いまでは思う。好きと宣言することには大きな責任が伴ってしまうと勝手に感じていたような。そんなことないのにね。いつか別の記事で深掘りしてみたい)。
(そもそもの話として、できることが多いのは良いことだという価値観、文武両道は良いことだという価値観が学生時代のスタンダードだったのに、近年の「一芸に秀でていること、ひとつのことにおける突出こそが良いこと」という風潮への突然のシフトについては、なんなんだよー!!方向転換すぎるよー!!!という思いもある。こちらについても今後整理してみたい。)
勉強以外においても、きのこの種類を数百種なんて知らないし、とんでもなくスパイスに詳しかったり、泣ける漫画を描けたりしない。
「これさえあれば生きていける」というものはありますか? という問い。怖い。それを持っていないわたしは、どうなってしまうのだろう。
普段は目を背けていた不安について、この本がじわじわと追い詰めてくる。
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わたしを不安にさせたのは外村の言葉だった。しかし、わたしを救ってくれたのもまた、外村の言葉だった。
これは物語の後半に大きなイベントで、思わず武者震いをするような見事な調律をし終えた外村が、職場の先輩たちから評価と称賛を受けた場面で心に浮かべた言葉だ。
「僕には何もなくても、美しいものも、音楽も、もともと世界に溶けている」。
その視点は新しい気づきを与えてくれるものだった。わたしは、自分の〈なか〉に何かを求めすぎなのかもしれない。
自分の〈なか〉に何かがない、と嘆くより、自分の〈そと〉の世界が美しいことを喜んでみる。ただ、世界を見つめてみる。世界を受け取ってみる。シンプルに、それでいいのかも、と思った。わたしが誇れること、と聞かれたら戸惑ってしまうけれど、わたしが美しいと思うもの、と問われたら、その質問には答えられる。
「それがあるから生きられるもの、それがないと生きられないもの」を自覚して心血を注いでいる人のことを尊敬するし、わたしもそうなりたいと思っている。でも、そんな人たちへの憧れ(目を背けたいけれど、それは時に嫉妬でもある)で勝手に苦しくなるより前に、できることがある。美しいものが溶けた世界を歩き続ける。知覚し続ける。そうしているうちに自分にとっての「杖」を見つける瞬間を迎えられるかもしれない。そう思うと気持ちがふっと軽くなった。
この本を読み終わった後、何となく思い浮かんだ情景は、空を真っ直ぐ突き刺すような、日の出の明るさだった。はじまりの時間の太陽の光は、霧がかかった気持ちを照らしてくれる。
ざわざわする不安に飲み込まれそうになったときは、またこの本のページをめくりたい。大切な本が増えたことを嬉しく思う。
読書感想文、おしまい。