優等生ものがたり4. 「本当の意味で、自分を生きる為に、最も大切なこと」
この続きです。↓
その後、私は「自分らしく生きている人たち」、発信者にハマります。
社長とか、お金とか。そういう『外面的な要素』だけじゃなくて、本当に心の底から豊かに楽しそうに生きている人たち。
そういう人たちを見つけては、SNSを見まくって、これまた、盲目的に信じてしまいました。
————好きなことをしよう。好きなことにお金を使おう。いやなことはやめよう。
そんな「表面的な言葉」だけを信じて、本質的な学びなどロクにしないで、好き放題にしてみた私。
本当は、心の奥底では、不安や恐怖
が、自分に対して募っていました。
本当の意味で、理解してない、腹落ちしてないのに
無理やり行動に移してみても、それは事態の悪化を招くことにしか、ならないのです。
————お金が足りなくなる。当然です。
私が泣きつけるところといえば、親しかいないので、必然的に彼らに頼ります。
申し訳ないです、ほんと。本当に馬鹿ですよね。。
なんど失敗しても、
また、過ちを繰り返してしまう。
そこで私はとうとう、
と気づきます。
私は、「私の声」を聞かなくちゃいけないんだ。と
最初は、「社会の声」でした。
なんとなく、親や先生の言うなりになってロボットのように生きていたら、
生きるのが苦しくなりました。
次は、「本」でした。
誰かのえらい人や、権威ある人の言葉をうのみにしても、自分自身の学びにはならず、
不一致感がつのるばかりでした。
そして「経営者」。
肩書きのある人、憧れる職業についている人の言葉でも、盲目的に信じたり
自分の違和感を押しころすと、いいことにはならないんだと思いました。
最後は「発信者」。
憧れのあの人、大好きなあの人も、結局は他人。
「自分以外」の存在に、生きる責任を押しつけて
「自分自身」で決めて、選んでいませんでした。
どんな時でも、自分の心の声いじょうに、優先しないといけない存在なんてなくて。
絶対的に、どんな時でも
それこそが、自分の人生を「本当の意味」で生きるうえで、最も大切にしなければならないことだと、学びました。
これまで分かる通り、私はけっこう、ひどいことをしてきています。(笑)
客観的にみたら変なことも、正しく判断できずに、数々の過ちをおかしてきました。
だけど、こんな壮大な曲がり道の先で私が見つけたものは、ほんとうにシンプルな学びで
これを知るために「本当にこんだけ悲喜こもごも体験する必要あったかな?(笑)」と疑問に思ってしまうこともあるくらいです。
だからこそ、色々を経て学んだこと
本当に腑に落ちた私にとっての「真実」を、この場でお伝えできたらという所存で、
この記事を書いています。
これまでいい人のふりを、記事を書くうえでもしてきてしまったのですが、
やっぱり私は優等生でもなんでもなく、怠惰な楽をしたい人間なのです。
それを認めなかったり、
無理してすごい人に思われようとする、社会的に認められる方向に行こうとするからこそ
またややこしくなって、余計な回り道をすることになるんだと思いました。
だから、これからはちょっと素のクズっぷりが段々と露呈してしまうと思いますが
お手柔らかに見てもらえたら、うれしいです。
最後のまとめは次の記事で。
ここまで長らく読んでくださり、本当にありがとうございました。
つづく(4 / 5)