ロスト・イン・トランスレーション 歳をとることと、失うこと。

Lost in translation—翻訳によって失われるもの

例えば、「木漏れ日」という言葉を翻訳するのは難しい(と言われている)。もし、翻訳をするとしたら、”dappled sunlight“(直訳)。説明的になるのであれば、“Sunlight that filters through the leaves of trees.” となるだろう。

どちらにしたって、日差しが葉を通して優しく、一方で優雅に地面を照らす小綺麗かつ艶やかな様子な描写が抜け落ちてしまう。
これがいわゆる「翻訳によって失われるもの—lost in translation」なのだ。

「Translation=移転・移行」と考えるならば、「人生の転機、次のステップへの移行」の際に抜け落ちる何かがあるのだろう。とまさしく映画”lost in traslation”を見て、そう思った。

映画の中盤で男女が出会う。「人生の転機を終え、失ったものを懐かしみながらも、喪失感を覚える男」と「次のステップを見失っている女」。言い換えるならば、「Lostした男」と「Lostを恐れる女」である。その男女は、お互いに欠けた部分を補い合うように、情を深めていく。

Translationの恐怖を忘れた時に、人は一歩大人になる。同時に、Lost—「何かを失う」。

女が言った「歳を取れば、大丈夫になる?」という台詞は、「歳をとっただけで『失うもの』を数えなかった大人」にはよくわからない、魔法の様な台詞だと思った。

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