「これ!」を大切にしたい子と美味しいならよしとしたい母
「これじゃないの!」
子どもがこんな言葉を口にして不機嫌になることはありませんか?
うちではけっこうあって、イメージと現実に開きがあると始まります。
先日もこんなことがありました。
最近、かぼちゃのおいしさにめざめた子どもにかぼちゃドーナツを作ることにした時のこと。
そのことを伝えると、よろこんで小躍りする子ども。
ドーナツの歌までうたい、テンションが上がります。
生地をまぜていよいよ成形!の時。
ゆるゆるで形を作れないではありませんか。
それもそのはず、レシピは焼きドーナツ用のもの。
「生地は型に流して焼く」とされているのに型はなく、紐状から輪っかにして焼くか揚げれば何とかなるかな、と軽く考えていたのです。
ド、ド、ド、ド、ドーナッツ〜🎵
子の歌う声が耳に入ります。
ーしばらくして。
あまい、いい香りが広がります。
ちーん!!!
駆けつけてきた子どもの目の前にあるのは、スクエアの浅い容器で焼き上げた「かぼちゃケーキ」。
子 「あれっ、ドーナツは?」
わたし 「型がないからかぼちゃのケーキにしました〜!でも、味は一緒だよ。美味しそうでしょ?」
子 「……」
みるみるうちにテンションはさがり、切り分けたケーキ(しっとりなのに粉っぽくなく、ひとつまみ入れたシナモンの風味がきいて美味しい)もつっつくだけ。
わたし 「かぼちゃ、甘くて美味しいよ?食べないの?」
子 「…いらない」
おなかは空いているはずなのに、肩を落としてお人形遊びをはじめる子ども。こうなると、時間を置こうがクリームを添えようが、もう口にしてくれません。
結局そのあと、絵に描いたような王道ど真ん中のホットケーキ(小さめの2枚重ね。トップにカットバターとメープルシロップ)を作り直しておなかを満たしてもうらうことになりました。
こういうことは、外食や朝の着がえの時などにもしょっちゅう起きます。
「これ!」という子どもなりのしっかりしたイメージがあって、
少しでも外れるとアウト。
大人からすると「これくらいいいじゃない・・・」がゆるされません。
正直いうとめんどうくさい。
大人は経験から、必ずしも「これ」が手に入らないことを知っていて、
現実を受け入れるほうが結果的にラクだから気持ちに「折り合いをつける」ことを選びます。
ないものはドーナツ型を容器で代用したように、「工夫」や「代替案」などをもち出して、何とかその場をおさめる知恵で乗り越える。
大人になる過程で、意識して気持ちをおさめたり、その場を切り抜ける方法を身につけないとやっていけないから。
子どもにはまだそういう積み重ねがなく、自分のなかの「これ!」や「すき」にとても純粋に素直で、それはそれは大切にしています。
自分を尊重していることとイコールで、この時期限定の「尊いもの」のひとつなんだろうな。
そう思うと、毎回「わがまま」とか「また、駄々をこねて面倒・・・」
とならずにできる範囲で(限界はあるけど!)応えてあげたいな、という気持ちがわいてきます。
そして自分はというと、今日もないものは「代用」で乗り切ろうとしているのでした。