【『逃げ上手の若君』全力応援!】(176)出自不明の「北条」に比べて確かに「佐々木」は「名門」だけど……悪しき「神力」に汚されなかった魅摩の純情は「人」として父・道誉をはるかに超えている!?
『逃げ上手の若君』第176話「神代の終わり」は、どこから手を付けてよいのかわからないくらい、あらゆるレベル感で作品のエッセンスやテーマが盛り込まれた回であったかと思いました。
個人的には、雫のフィルターを通して見た魅摩がひどすぎやしないかというのが、雫も魅摩も好きな私としては、笑いと同時に少し複雑な気持ちになりました。京都で魅摩が登場した際の双六勝負や見物時には無表情を装っていた雫ですが、魅摩に対して「悪い虫」や「鼻くそ」な見方をしていたとは(逃若党の皆がそんな魅摩を微笑ましく「正妻殿」として迎え入れている妄想がさらにヤバイ)……裏を返せばそれだけ時行のことが好き、雫の「愛しすぎ」ゆえの強烈な嫉妬心の現れなのでしょうが、感謝を胸に消えようと思っていた「神」と同じ心の持ち主とはとても思えない……。しかし、それこそが「人」が「人」たる所以なのかもしれません。結城宗広が「血」を見ないではいられない「性」とおせっかい焼きの「性」とをあわせ持っていたようにです……。
『逃げ上手の若君』に登場する女の子たちは、誰もが個性的で魅力的なのですが、時行への恋心とライバルに寄せる思いは一筋縄ではいきません。魅摩に対してよりも身近な雫に軽く嫉妬心を抱く亜也子、その亜也子には時行を託せると思う雫が魅摩に対しては偏見にも近い屈折した思いを抱いていて、魅摩はと言えば京都の数日間ですでに時行にはわかりやすい形で好意を示して二人からは攻撃を受けまくりでしたし……(そんな彼女たちからは一線を画している、どこかズレた常識人の夏もけっこう私は好きです)。
う~ん、時行は鈍感でよかったとしか言いようがありません。でも、ある意味で魅摩は現代だと好きが高じてストーカーに変貌した女性ともとれますので、その彼女すら「生涯かけて幸せにする!!」と宣言する彼は、新時代のモテ男子なのかもしれません。
『逃げ上手の若君』と作者の松井先生は、とにかく深い……すごい……。
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「う ううう 私の魅摩がぁ~…」
皆さんは、この佐々木道誉のセリフをどう解釈されましたか。このシリーズを続けて読んでくださっている方は、私が『逃げ上手の若君』の高師直と佐々木道誉にはおおいに落胆させられたというのをくり返し聞かされていらっしゃると思いますが、やはり〝財産として価値のある娘〟としての魅摩を失うのが惜しいのかなと思いました(どこかで、そうであってほしくないという思いはあるのですが……)。
「お お前では家柄が… 名門佐々木に釣り合わん…」
道誉は、「佐々木」を「名門」だとして時行に「大切な娘をやると思うか!」と、取り繕ったかのようなケチをつけていますが、時行が見抜いた通りで、尊氏の天下、そしてそれに貢献する自分が一生安泰であるための〝道具〟してしか魅摩のことを見ていない気がします。
ところで、道誉が自らを「名門」と称することについて少し調べてみました。林屋辰三郎の『佐々木道誉 南北朝の内乱と〈ばさら〉の美』から引用します。
佐々木氏は、宇多天皇皇子敦実親王の王子で賜姓した源雅信に出自して、その子扶義にはじまった。要するに宇田源治であるが、扶義の兄時中が庭田・綾小路の祖、弟時方は五辻家の祖となった公家貴族の系譜と、扶義の佐々木氏のような武家の系譜に分かれた。扶吉の五世孫秀義のとき、総源頼朝の挙兵に応じて一族を率いて近江から内乱に参加したのである。長子太郎定綱はとくに頼朝から信任され、近江国総追捕使に任命されたし、四郎高綱は宇治川合戦で梶原景時源太景季と先陣を争って戦功をあげるなど、大いに活躍したばかりでなく、秀義自身、元暦元年(一一八四)十月に甲賀郡において戦死した。佐々木氏の本貫は、佐々木扶義の曾孫経方のとき下司に補された佐々木荘で、そのうち小脇郷(現在滋賀県八日市小脇町)に土着していたが、この荘園はもともと『倭名抄』の蒲生郡篠笥郷が荘号を得たもので、延暦寺の千僧供料所であった。ー中略ー
さて、源平争乱の戦功によって秀義の六人の子息は、長男定綱が惣領として近江および隠岐・石見の守護となったほか、ほとんどが諸国の守護・地頭に任命されて独立していった。次男経高は阿波・土佐・淡路、三男盛綱が越後・伊予、四男高綱が備前・長門、五男義清が隠岐・出雲というぐあいで、六男厳秀のみは近江愛知郡吉田荘の地頭として土着した吉田(角倉)氏の祖である。
※本貫(ほんがん・ほんかん)…律令制時代の戸籍制度上の本籍(戸籍につけてある国)をさす。
※下司…平安末期から中世にかけて、荘園の現地にあって事務をつかさどった荘官。在京の上司に対していう。沙汰人。
〝いくら幕府が滅亡したからといって、鎌倉時代の150年近く政権のトップにあった一族である北条だって佐々木と同じくらいのランクなのでは……?〟という考えを持つ方もあって当然でしょう。一応定説では、「桓武平氏の分流で時政を始祖とし、伊豆国田方郡北条(静岡県田方郡韮山町)を本拠とした。諸系図などの所伝では、先祖は代々伊豆国の在庁官人であって、時政の父時方の代に伊豆介となって北条に住み、北条氏を称したという。」〔国史大辞典〕とあるのですが、〝実は時政以前のことはよくわかっていない〟〝結局のところ出自不明〟というところで、鎌倉北条氏が何者であるかの研究は振り出しに戻っているようなのです(幕府の滅亡とともに歴史上から姿を消した事実といい、私のような謎やSF大好き人間の想像(妄想)力を刺激してやまない一族なのです)。
そういうわけで、道誉が時行をたかが「北条の当主」と見くびる理由もあるわけなのですが、そんな道誉に時行は冷ややかな視線を浴びせて言い返しています。
「鎌倉の戦でお前を見て思い出した 必死に父上の機嫌を取ってたにわか坊主を」
この「にわか坊主」とは、『太平記』のこのことを指していると思われます。日本古典文学全集の現代語訳から引用します。
さて、正中三年三月上旬ころ、北条高時が病気になって、存命が危ぶまれたが、同月十三日、執事長崎円喜の考えで、すぐに剃髪して仏門に入らせた。けれども死ぬべき時期がまだ来ていなかったのであろう、蘇生本復することは確実であった。高時の病気の間に、幕府内ではさまざまな出来事が起り、高時の弟四郎左近大夫泰家も出家した。兄弟の出家によって、高時と泰家とに仕える家僕・被官の人々がすべて出家したので、十五歳以上の若入道が鎌倉中に満ちあふれ、あきれ果てたことであった。
「若入道」の「入道」が「在家のままで剃髪・染衣して出家の相をなす者。」〔広辞苑〕であり、「若」には年数の少ないことであるという意味があるので、まさに「にわか坊主」ということです。この中の一人に佐々木道誉もいて、高時の御機嫌取りをしたということなのでしょう。
尊氏の「涎」で魅摩を「使い捨て兵器」にしたというのは、時の権力者である尊氏に父親が娘を献上したも同じであり、つまりは自分が有利になるような政略結婚を執り行ったことと変わらないと言えます。「家柄」云々以前に、自分自身の栄達のために「大切な娘を粗末にした」父親でしかない事実を、時行は道誉に対してきっぱりと突き付けたわけです。
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「《《愛したから》》結婚するのではない 《《結婚したから》》真摯に愛して添い遂げる それがこの時代の婚姻の形だ」「…で お前は蚊帳の外で未練はないか?」
どうやら時行の突然の発言は、頼重の入れ智慧ではなかったようです。そして、死してなお作品に重みと深みを与える頼重の存在感……。
まず、「結婚」に対する頼重の考えは、現代人に対する大きな問いかけになっていると感じました。私は独身ですが、祖父母や両親を含めて、周囲で結婚している友人・知人の悩みの多くが。「結婚」に起因したあれこれであることを痛感します。独身は独身で悩みはありますが、比較にならない気がします。でも、頼重のこの発言からは、結婚後の当人同士の〝努力〟や〝心の持ち方〟の重要性が示唆されています。
また、雫は今なお頼重のことを「父様」と呼び、その頼重は別に呼ばれていなくとも雫の前に姿を現しています。ーー魅摩と頼重以上に、父娘らしいとは言えないでしょうか。血のつながりだけが〝家族〟ではないことは、これまで何度もこのシリーズで私が記してきたところですが、これが当然と思われる「人」と「人」の関係性の〝形〟を問い直してみることも、現代の私たちがすべきことではないのかと思わずにはいられません。決められた〝形〟というのは、その時代時代で大多数がそれが大多数にとってより良いとみなされて成立したものであり、多様性が叫ばれて価値観の変化の著しいこの現代では、〝形〟を頑なに守ることよりも、その〝形〟であることによってどのような中身が重視されてきたのかを検討すべき時に来ているのではないかと思う時があります。
それは、何もかも壊したり捨てたりすることではないことも、私は『逃げ上手の若君』の頼重の姿を見てこれまでも考えさせられています。
「たまに私には未来が見えない時期があったが 思えば共通する点があった」「たとえば息子や孫が生まれた時」「たとえば 時行様が初めて重傷を負った時」
『逃げ上手の若君』は北条時行が主人公ですので、昭和(平成も?)の漫画であればもしかしたら、主従の絆がものすごく強調されて、頼重の「息子や孫」は描かれなかったかもしれません。しかし、令和の諏訪頼重は、主君の時行に対して主君としての関係性だけではなく、「息子や孫」と同様に「愛し」てやまない対象であることを告白していることが、〝古くて新しい〟としばしば感じるのです。もしかしたら、鎌倉・南北朝時代の歴史上の頼重もそうだったのではないかと思わせるのです。ーー古いものがすべて野蛮で間違っていると思わせない何かを、歴史の中に見出すことができるのではないかと考えています(私にとっての歴史の学びとは、そういうものでありたいと常々思っています)。
ちなみに、頼重の「未来が見えない時期」(第16話「心配1334」)について、かつて私は次のような考察を行いました。
玄蕃をして「血筋中毒か?」と言わせるくらい北条の「血筋が絶えるんで」ということに恐れを抱いていること、時行をして「心配そうに送り出してもらうのは…少し嬉しい」と思わせるほど「人間的な感情」をこれでもかと出しているということです。
この時に自分のこの考えを友人に話したところ、〝単に周期でしょう〟とされたことを思い出しました。この記事があまり読まれたり支持された形跡もありませんでしたし、自分が間違ったことを言ったと思って恥ずかしくて記事を削除しようかと思ったことがありました。しかしながら、こうして時間をかけて松井先生は種明かしをしてくださって、自分の考察はほぼ間違っていなかったことがわかりました。
歴史も同様で、いまだ評価ができないでいることや、時を待たないとわからないこともきっとあるのだと思いました(あと、周囲が違うと言っても、容易に自分の考えを変えたりするのもよくないなと思いました)。
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「奇跡を 人が一人この読み増えるだけの… ありふれた奇跡を」
雫が奇跡を起こしたのと同様、魅摩も奇跡を起こしたと私は思いました。わずかの一滴の尊氏の「涎」で崩壊してしまった清原国司(相模川で光を喰らった吹雪も)と違い、あれだけの「涎」を大量に飲まされたはずの魅摩でしたが、外見が若干変わったくらいで〝戻って〟きています(まだ、今後の展開で後遺症が現れるのかもしれませんが、「鼻くそ」とか……)。
魅摩が尊氏の「神力」に取り込まれなかったのは、自分を差し出した父親と尊氏が間違っていると、強く反発したからではないかと思います。魅摩は魅摩自身でありたいと一途に願う純情な少女だったからではないかと私は考えます。
魅摩は、父の道誉のことが心から好きだからこそ、「それでも親かテメー!!」と非難し、自分を偽ってまで言いなりになることはしていません。また、尊氏が「天下人」だから無条件にエライなんてことも思わず、「キモい」からと抵抗しています。魅摩のこの態度には、まさに「神」にも通じる正直さや素直さがあると私は考えます(「神」につながるには、皮膚感覚的なものや直感が重要です)。
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古典『太平記』によれば、嵐により船団は「一方に吹きも定めざりければ、伊豆の大島、目羅の湊、亀川、三浦、由居浜、津々浦々に、船の寄らぬ所もなかりけり。」とあり(伊勢に戻された船もあります)、行きついた先でまた登場人物たちの新たな物語が展開されます。
※伊豆の大島…伊豆七島の最大の島。
※目羅(めら)の湊(みなと)…千葉県館山市布良(めら)。
※亀川(かめがわ)…神奈川県横浜市神奈川区。
※三浦…神奈川県の三浦半島。
※由居浜(ゆいのはま)…神奈川県鎌倉市由比ヶ浜。
〔林屋辰三郎『佐々木道誉 南北朝の内乱と〈ばさら〉の美』(平凡社ライブラリー)、日本古典文学全集『太平記』(小学館)を参照しています。〕
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【「出自不明の「北条」」について補足説明 】
細川重男先生は、元弘三年(一三三三)二月二十一日付の「護良親王令旨」の記載を通じて、北条氏の出自を以下のように述べています(『論考 日本中世史ー武士たちの行動・武士たちの説明ー』「第二十六話 ムカつく北条氏をブッつぶすから、みんな、集まれ!」(文学通信))。
この令旨で、護良は北条時政を「伊豆国在庁」と記しており、これを信ずれば、時政は伊豆の在庁官人であったことになる。だが、これは護良が時政及びその子孫北条氏をさげすんで「伊豆の在庁官人に過ぎなかった時政」といった意味を込めて呼んでいるのであり、実際には時政が在庁官人であったかどうかは不明。むしろ、護良はバカにしたつもりで、在庁官人ですらなかった時政を、かえって持ち上げてしまった可能性もある。
※在庁官人(ざいちょうかんじん)…国衙の実務を行った役人。平安時代以来、地方豪族(=地方有力武士)が世襲。
そうだとしたら、確かに道誉としては〝北条なんぞに魅摩はやれん〟となりますね。しかしまあ、いつもながら細川先生の物言いは、わかりやすいし、とても納得です。
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