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【『逃げ上手の若君』全力応援!】(172)世界が無理強いするルールや不条理を一蹴する「?」ーー強くてカッコいい新田義貞に付き従うのに理由などいらない男たち!?

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2024年9月22日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕


 「よーしお前ら 元気出せ!」「首くらいもげてもそのうち生えてくる!

 「バカ100%!!」の編集部コピーにも吹きましたが、前回第171話の『逃げ上手の若君』ラストで、「なんか味方のケガ人いっぱいらしい 気合い入れに行くぞ」の新田義貞の場面で終ってのこれですから、本気でそう言っているのか冗談なのか、判断に迷います。ーーしかしながら、兵たちは義貞のその発言は受け流しているので、いちいち真意を問うことなく〝またか…〟くらいな感じなのでしょう。
 『逃げ上手の若君』ではこれまで、たくさんの将が登場しました。後醍醐天皇なども含めることができると思いますが、もし『逃げ上手の若君』で理想の上司人気投票などを実施したら、誰が上位にランクインするでしょうか。私もあれこれ考えをめぐらせます。個人的には、新田義貞も嫌いではありません。事実、古典『太平記』を読むと、意外にも、弟の脇屋義助を始めとして熱いハートと優秀な頭脳を持つ男たち、あるいは、畑時能のような「新田四天王」などと称される武力自慢のユニークな男たちが、主君・義貞を支えているのに気づきます。
 『逃げ上手の若君』では時行とのからみがなく、その最期も、最近のNHK大河ドラマに多い「ナレ死」で済まされるのではないかと危惧していましたがそんなことはなく、松井先生の思惑以上に読者に愛されたキャラクターの一人が義貞だったのではないかと想像します。もちろん、私が所属する南北朝時代を楽しむ会の会員の中でも、楠木正成のファンや関西にお住い(←ここ、密かにポインドだったりします)の方で、〝義貞はバカだからちょっと……〟みたいに言われる方も中にはいらっしゃいました。でも私や義貞ファンの多くの人が、〝バカで何が悪いの?〟と思っているはずです。ーーそうです、義貞は「何も無くても強いから獅子なのだ!」と畑がしびれて涙するような、その圧倒的な存在感だけで人を魅了する何かを持っていたのだと思います。
 これまで折に触れてこのシリーズでも義貞と新田一族や郎党については書き記してきました。そうした過去記事の紹介などもしつつ、第172話を振り返ってみたいと思います。

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 義貞が「越前」(編集部注「福井県あたり」)にいるのには、理由があります。尊氏と和睦した後醍醐天皇(『逃げ上手の若君』でも描かれていたとおり、騙された天皇は幽閉され、そこから吉野へ逃げることになります)から、越前の足利勢との戦いを命じられたという従来の説に対して、最近の研究において、足利の庶流の立場としては棟梁である尊氏から攻撃を受け、朝廷の臣の立場としては尊氏との和睦を選択した後醍醐天皇に見捨てられた義貞が、自身と一族の生き残りを賭けて第三の道を模索したのが越前であったからだとした指摘もあると言います。この事実が本当であれば、〝義貞ってけっこう悲惨な人なんじゃないの!?〟と思うのですが、そこに悲壮感がないというのが英雄・新田義貞なのです。

 ※このシリーズでも何度も取り上げていますが、後醍醐天皇の裏切りに対して、これまで忠義を尽くしてきた義貞と一族に対するひどすぎる仕打ちだと言って、堀口貞満が黙ってはいませんでした! 関東ヤンキーなノリの新田魂が炸裂!?

 上でさらっと「越前の足利勢」と書きましたが、義貞が越前で死闘をくり広げた敵将は斯波高経ーー斯波家長のお父さんです。第171話のところで〝孫二郎パパ登場するかな~〟という期待もあったのですが、残念!でした。いや、実際〝残念〟なのは義貞ですよね。読者の皆さんの中には、〝え、義貞は斯波高経に討ち取られたわけでないんだ〟という思いを抱いた方もあると思います。そうなんです、『太平記』の中では、高経自身もその事実にびっくりしています。

 ※こちらエピソードも、別な話題を取り上げた中で紹介しています。

 超超訳をすると、義貞もまさかの状況を襲われ、敵の方でも〝新田の一族のけっこう上の方の人をたまたま討ち取りました〟くらいの認識で義貞の首を高経に差し出します。首を手に取った高経は〝え、これって義貞だったりしない?〟と驚き、義貞宛ての後醍醐天皇の書状などをを発見するに至り、やはりそうだったかと不覚にも涙します。ーー自分を苦しめた好敵手のあっけなさすぎる最期に同情して、男泣きせずにはいられなかったのだと私は想像しています(高経は義貞の所持していた鬼切・鬼丸を横取りし、のちに没収されたことで足利尊氏と直義に恨みをつのらせたと『太平記』では描かれているので、単純に涙するような純粋な人ではないことを一応断っておきます)。

 『逃げ上手の若君』で義貞が「なんか味方のケガ人いっぱいらしい」と発言している部分は、『太平記』の「手負の実検しておはしける〔=味方の負傷兵を見てまわっておられた〕」に対応し、また同様に、「かまわん畑 このまま通るぞ」の部分が、逃げるように目くばせした部下(『太平記』では畑時能ではなく「中野藤左衛門」という武士)に答えた「士を失して独りまぬかれんこと〔=士卒を死なせて私一人死を免れては〕、何の面目めんぼくあつてか人にまみえん」の一言に対応していることに感動した私でしたが、それ以上に確認しておきたいのは、これに限らず『太平記』で義貞が活躍する数々の重要な場面における〝今それするか~?〟といった疑問や義貞の下した判断へのツッコミどころの多さです。かねてより指摘されているところです。
 「大事な所が足りず天下人には届かなかった」という説明が、こうした事実に由来し、『逃げ上手の若君』の義貞のキャラクターに反映されているのがわかるのではないかと思います。
 私が所属している南北朝時代を楽しむ会で親しく意見や情報を交換している会員の方が、義貞について語っていたことが思い出されます。それは、鎌倉幕府では大した身分でもなく役割も与えられなかった義貞が、鎌倉攻めで一気に有名になり、朝廷で自分の身の丈に合わない役目を負わされてしまっていたのではないかという推測です。
 話を最初に戻すと、足利一族の末流の義貞が、本来であれば助け助けられの関係であるはずの足利氏の惣領である尊氏とその弟・直義から圧力をかけられるようになったのは、鎌倉攻めの英雄として世間がもてはやし、後醍醐天皇に気に入られてしまったからかもしれません(実際、鎌倉攻めをした時、多くの人が〝新田義貞って誰よ?〟みたいな認識だったそうです)。一方で、愚直に忠義を果たそうと尽くした相手である後醍醐天皇からは、そもそもの器量が乏しかった義貞にはその期待がプレッシャーにしかならず失敗を重ね、だんだんとけむたがられるようになってしまったのかもしれません。
 
 「俺は 誰のために戦っていたのだろうな

 かつてこれほど的確に、新田義貞のことを評した作品があったでしょうか。

強き「獅子」に従うことに理由などない!
(新田義貞の本質を見抜いている畑時能)


 「強い奴が勝ち! 勝った奴が偉く! 偉い奴は何を言ってもまかり通る!」「この真理は俺にこそ相応しいだろうが!

 『逃げ上手の若君』では「バカ」呼ばわりされる「」の義貞ですが、この「」は、社会(世間)が彼に無理強いするルールや不条理を一蹴する「」だったことに気づかされます。

 「馬鹿め 脳が無くても強いから… 新田義貞公なのだ

 畑は、義貞の強さに惚れ込んでいて、義貞に付き従うのにそれ以上の理由などいらないということを言っているのです。きっと、義貞と運命をともにしたいと願った男たちは皆、それ以上の理由などなかったのだと思われます。義貞の足りない部分は、自分たちが補えばいいだけです。強いから従う、実にシンプルでわかりやすい集団ではないですか!
 新田義貞がもし現代を生きる一人の人間であったならば(『太平記』のテーマである輪廻転生を経て、現代に生まれてきているのであれば)、太田(群馬県)の一角で、会社を経営していたりするのではないかと思います。やんちゃな伝説ばかりの社長ですが、彼を慕う優秀な社員が集まって会社は安泰、身内と仲間を大事にして毎日を楽しく過ごしているのではないかなどと妄想するのです。

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 第172話を読んですぐに、高田純次さんの『じゅん散歩』(テレビ朝日)という番組を見ました。その回は東村山を高田さんが散歩していました。東村山は、新田義貞の鎌倉攻めのルートにあたるというので、南北朝時代を楽しむ会のイベントで散策をしたことがありました。あの道も、お店も通ったななどと少し懐かしみながら番組を見ていたところ、黒い焼きそばが登場しました。その焼きそばの容器には「よしくん」というイメージキャラクターのシールが貼られていました。なんと「よしくん」は新田義貞がもとになっているということでした。
 義貞が「敵を警戒して、兵は夜食に炭をかけて食べたという伝説」から、「東村山黒焼きそば」と「よしくん」なのだそうです。
 

〔「東村山黒焼きそば」(東京都産業労働局『TOKYOイチオシナビ』の「地域資源紹介」記事)〕

 このエピソードを聞いた高田純次さんは〝スミって、あの炭ですか?〟みたいに反応して、〝(黒くするならば)海苔でいいんじゃないの?〟と、解説をしてくださった広報の女性に返していました。
 今のような薄い板状の焼き海苔は江戸時代に普及したようですが、確かに海苔(海藻類)歴史は古く、鎌倉時代にも食していた事実はあるみたいです。海のない地域出身の義貞だから仕方ないと思いつつも、〝白くて目立つから炭でもぶっかけて食え〟とか言ってそうな気もします(もっと「バカ」な理由の可能性も否定できない……)。
 現代のコメディアンにもツッコまれる義貞のブレないキャラクターぶりに、どうにもほっこりさせられるのでした。

〔『太平記』(岩波文庫)、日本古典文学全集『太平記』(小学館)を参照しています。〕

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 『逃げ上手の若君』の連載前から〝新田推し〟だったので、義貞や義助、その子どもたちと郎党たちについての過去記事がこのnote内にいくつもあります。そのうちのひとつを以下にお示ししますので、興味のある方はぜひご覧になってください(記事の中からさらに詳しい関連記事やYouTube動画(いずれも自作)に移れるようにしています)。

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