【『逃げ上手の若君』全力応援!】(55)なぜ…う〇こがぐつぐつと鍋で煮られている!? 楠木正成のマインドは現代社会を生きる私たちへのメッセージ
南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2022年3月27日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕
「しかし意外だ… 日本全国に武名が轟くあの楠木正成が」「あのような…時として卑屈さすら漂う男だったとは」
吹雪のこのセリフとかぶって、おにぎりをつまみ食いして奥方に怒られる楠木正成が、時行の手を引いて逃亡ーー子どもみたいですね。時行をして「汚部屋」とあきれられる部屋の中にあふれかえる物も、不思議なガラクタ(単なるゴミ疑惑も……)みたいな物ばかりです。
その汚部屋のコマのとなりのページのコマ、戦闘の場面が書かれているコマに、鍋でぐつぐつう〇こが煮られているのに気づきましたか。有名と言えば有名なエピソードを、こんな端的に描いてしまうなんてと、思わずくすりと笑いがこぼれました。
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楠木正成と言うと、戦前の教育で後醍醐天皇の忠臣とされたその影響が大きい人物です。1991年放映の大河ドラマ『太平記』では武田鉄矢さんが演じています。Wikipediaには[要出典]となってはいますが、「武田自身、忠臣のイメージが強いこの役の話が来た時は躊躇したが、本作品での扱いが「河内の気のいいおっさん」と聞いて承諾した」という面白い情報が掲載されています。
そんなことですから、奥方に頭が上がらない汚部屋の住人として正成を描くなんて、〝けしからん〟という声がシニア層を中心にありそうなのですが、幕末・明治期よりも前の人々は正成の活躍をかっこいいと思うと同時に、つっこみどころも満載と思って楽しんでいたようです。
楠は鼻をつまんで下知をなし
くその煮へたまで楠は知てゐる
※下知(げじ・げち)…指図をすること。命令。
これらは、江戸時代の川柳(出典:『誹風柳多留』)です。
赤坂もしくは千早城で、正成軍は熱糞を浴びせたという俗説あり。第二句、「芋の煮えたもご存じない」の俚諺のもじりで、聡明な正成は何でも知っていると言いたいための措辞。〔新版 日本架空伝承人名事典〕
※芋の煮えたもご存じない…物事に無知またはうかつなこと。
※俚諺(りげん)…俗間のことわざ。
※措辞(そじ)…言葉の使い方。詩歌・文章で、文字の用法と辞句の配置。
「正成軍は熱糞を浴びせた」というエピソードを江戸時代の人は皆知っていたので、おもしろおかしくネタにして笑い合ったのですね。
作品中の「熱糞」の右隣の絵は赤坂城の戦いのようです。
三十万騎の幕府軍の兵たちは、赤坂城を見て〝ショボ〟と思って攻め入るのですが、古典『太平記』ではそれを迎え撃つ正成の戦術が次々と語られます。
・城から飛び出した三百騎が軍を分断、そこへ二百騎が矢を連射した
・城を取り囲む塀から城へ進入しようとした兵たちを見て、二重になっていた塀の外側の吊り塀を支える縄を切り落とし、さらに大木・大石を投げ落とした
・堀に浸かったまま熊手で塀を引きはがした兵たちに向かって、巨大な柄杓で熱湯を浴びせかけた
百万騎の幕府軍を千人足らずの小勢で迎え撃った千剣破(千早)城でも、楠木正成の奇策は炸裂します。
・高櫓の上から大石を落とし、矢の雨を浴びせた
・水源の谷川に待ち伏せた兵を奇襲して撃退、さらに崖の上から巨木を落として圧死させた
・藁人形でおびき寄せて、巨石を落とした
・巨大な架け橋を作成して城内に侵入しようとした兵を、投げ松明に火をつけて橋の上に集中投下、水鉄砲で油を滝のように降らして注ぎ、数千の兵もろとも橋は燃え折れて谷底に落下
少ない兵と自然の要害を生かした城だけで大軍を撃破する様は、痛快ではありますが、やられた側はたまらないですね。
しかしながら、やられた幕府軍側には、正成が時行に説いた「囚われ」「固定観念」があったのです(北条推しの私としては、東国武士の戦闘の秩序やルールを無視した戦いを正成にされたという見方もしてしまうのですが、戦いは勝たねば意味がありませんので、ぐうの音も出ません……)。
「常識 伝統 美学 成功体験 大兵力… そういった檻に囲われたものは固く強いが 檻の隙を突かれると逃げ道が無くとことん脆い」
まったくもってその通りです。私たちは「常識 伝統 美学 成功体験 大兵力」で〝安心〟を得たいのだと思います。それが「檻」です。
ここにはお金は入っていませんが、お金も〝安心〟のために人々が欲しがるものでありながら、実際はあればあるほど〝不安〟になるらしいのです。だからあえて〝持たない〟というのは、中国や日本の昔の思想や文学でも示されてきた発想なのですが、現代ではミニマリストと言われる人たちがそれを実践していたりします。
『方丈記』を記した鴨長明は、災害や戦乱の世にあって、立派な家を建てたところでいつ失うかわからないからと、最低限の持ち物と簡素な庵だけで生活したわけです。
ーー確かに、こうした発想の転換と実践というのは、現代で言うところの〝負け組〟なのかもしれません。しかし、これまで言われてきたような〝良い学校に行って、良い会社に入って、良い人と結婚して〟といった価値観や社会モデルの崩壊にある現代です。
「弱者は檻に囚われるべからず 卑怯や臆病と言われようが自信をもって逃げるべし!」
この正成のセリフが胸に刺さります。
儒学者により正成は忠孝の臣とされ、とくに水戸学は南朝正統論と結びつけて、正成を称揚、崇拝の対象とした。明治以後、敗戦までの正成像は、その流れを汲んだ虚像であり、戦後、ようやく正確な実像が追究されるようになった。〔新版 日本架空伝承人名事典〕
「忠孝の臣」という「虚像」から解き放たれた『逃げ上手の若君』の楠木正成ーー江戸時代の人に負けずに、ユーモラスで強い正成を作品中からたくさん発見してみたいものです。
〔日本古典文学全集『太平記』(小学館)、ビギナーズ・クラシックス日本の古典『太平記』(角川ソフィア文庫)を参照しています。〕
私が所属している「南北朝時代を楽しむ会」では、時行の生きた時代のことを、仲間と〝楽しく〟学ぶことができます!
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