【『逃げ上手の若君』全力応援!】(180)「歴史」というフィールドを「理想」抱いて自在に駆ける魅力的な登場人物たちーー保科弥三郎・四宮左衛門太郎の再登場で『逃げ上手の若君』の本領は大徳王寺編以降にアリ!?
『逃げ上手の若君』初登場からしばらくは嫌味な目玉オヤジだと思っていた小笠原貞宗ですが、いつの間にかイケオジ枠入りしていて、今回も部下たちはともかく、貞宗自身は圧倒的な強さを見せつけた『逃げ上手の若君』第180話。
再び信濃と諏訪を舞台に、懐かしい顔ぶれと今後の展開にワクワクが止まりませんでした。その前に印象に残ったのは、時行と逃若党の成長でした。
「お前… でかくないか?」
「十四の女子だもん 成長期にもなるよ」
第179話の逃若党オールスター入浴シーンで、20歳と判明したシイナが他の郎党たちと頭一つ二つ抜けているのは納得しましたが、亜也子の等身って間違っているんじゃないか……などと思っていた私の方が間違いで、成長著しかったのですね。それにともない怪力も増し、もはや力むことなく「ポロリ」がいけそうです(「ポロリ」のコマで爆笑したのなつかしい……)。
「赤沢兄弟という使い手はいるけど 足利の豪傑と比べれば何枚も落ちる」
そうです、身体的な成長だけではなく、時行と逃若党は諏訪頼重とともに関東庇番を破り、その後、北畠顕家らとともに一度は高師直も破っている(『逃げ上手の若君』の作品世界では)のですから、武における成長も貞宗の期待以上であったかもしれません。
それにしても、私は亜也子には感心させられるところが多々あります。逃若党の郎党たちは基本、帰るところがない少年・少女です。ところが、亜也子だけは父親の愛情も存分に受け、いつでも時行の戦いから降りて家に帰ることもできたと思います。亜也子から父親に向ける愛情にもに屈折がない点で、「良家」の魅摩よりもずっと、現代的には望ましいお嫁さん候補の女性のような気がします。しかも、天真爛漫な性格の一方で、自分の分をわきまえて郎党に徹しているということもいじらしく、妬む要素なしなので、同じ女性としてはとても眩しい存在です(だからこそ、雫も魅摩はダメでも亜也子ちゃんならばという思いなのかもしれませんね)。
環境的な条件のみならず、時行の最初の郎党の一人として選んだのが亜也子であったことに、頼重の人を見る目の確かさもあらためて感じました。
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「俺が副将でいいのかよ 南条の兄さん 俺はもともと諏訪の者だぜ」
「駿河四郎の兄さんが抜けた次は… 北条重臣の子であるあんただろ」
「何を言う お前だって北条御内人の子なんだろ」
「あ」
忘れかけていたような孤次郎の過去(第75話「女影原1335」参照)が、思いがけない形で兵たちの口から出たことに孤次郎自身が驚いています。
ここで、復習です。
「御内人」とは、鎌倉北条氏(執権北条氏)の家督(惣領・家長)である「得宗」の従者のコトであります。
学術用語では、「得宗被官(被官は従者・家臣のコト)」と言います。〔細川重男『論考 日本中世史ー武士たちの行動・武士たちの思想ー』〕
駿河四郎は、御内人ナンバーワンであった「長崎氏」(平資盛の曾孫関実忠の弟平盛綱(『系図纂要』)が、伊豆国田方郡長崎郷(静岡県田方郡韮山町)を領して長崎氏を称したのに始まるという。〔国史大辞典〕)です。南条氏は、やはり有力な御内人であった「工藤氏」(藤原南家の流れをくむ為憲が木工助となり,木工助の〈工〉と藤原氏の〈藤〉をとって工藤大夫と称したのに始まる。〔世界大百科事典〕)の支流で、現在の伊豆の国市の「南条郷」に居住したということです。
「御内人筆頭の得宗家の家令は内管領(うちかんれい)と呼ばれて強力な権限を握り,評定衆以下の幕府の人事をも左右した。」〔世界大百科事典〕ということですが、この「内管領」の「長崎氏、尾藤 (びとう) 氏や安東 (あんどう) 氏、諏訪 (すわ) 氏、広沢氏などはとくに有力だった。」〔日本大百科全書(ニッポニカ)〕とされます。
弧次郎が「名前も知らねーな」とする「父親」はダメな奴で、弧次郎の母(根津頼直の妹)を不幸にしてしまいましたが、頼直の養育と自身の力によって父親は関係なく弧次郎が「北条御内人の子」であると認められたことは、大いに意味のあることだと思いました。弧次郎が全力でその生をまっとうすることは、母親は不幸であったという事実を塗り替え、父親のアドバンテージのみを弧次郎のものとして得ることができるからです。
弧次郎は、少年漫画にありがちな主人公を支えるキャラクターみたいなポジションだと決めつけてしまっていた私は、彼にはあまり魅力を感じないできてしまったのですが(ごめんなさい……)、乱世にはこうした子どもはけっこういたであろうし、弧次郎自身の成長と生存がどう展開していくのかに思いを致すと、ここにきておおいに気になるキャラクターとなったのでした。
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さて、第180話はアニメ第一期でも大活躍の保科弥三郎と四宮左衛門太郎とその郎党たちが再登場しました! ーーおや、いでたちが変わっている人がいます。私の推しの〝保科党の門番さん〟です。原作派の方は、結城三十郎さんでも通じますね。
父・結城宗広の死を知り、その供養のために出家したゆえの僧形と推測されます。でも、戦いにはもちろん参加(当時の武士あるあるです)。
そして、さすが頼重の孫と思わせる頼継の「聡明」な判断と示唆、保科と四宮の「友諠」(=友達のよしみ。友情。〔広辞苑〕)が熱い……。
「高遠」は、「当地は諏訪・伊那谷を結ぶ重要な拠点・要害地で諏訪勢力の強く及ぶ地であった。」〔新版 角川日本地名大辞典〕ということですが、「保科氏」の「一族は15世紀はじめに伊那高遠へ移った。」〔世界大百科事典〕とあります。
『中先代の乱』の著者である鈴木由美先生の講演会に参加した際に、信濃での挙兵のあと保科弥三郎と四宮左衛門太郎がどうなったかについて質問された方がいらしたのですが、鈴木先生は〝わからない〟とお答えになっていましたし、先月初めに諏訪で開催された南北朝フェスで講演された花岡康隆先生も〝保科弥三郎と四宮左衛門太郎の名前が出て来る書状はこれ(建武二年七月 日付けの市河文書のこと)だけで、あのような登場人物になるのかと感心した〟とおっしゃっていましたので、もともと記録の乏しい両党のこの時期の動向は不明ということなのでしょう。
ただ、創作作品はその空白を埋めてなんぼの世界です。〝まさか〟と思うような展開で私たち読者の期待を汲んでも裏切っても問題ないと思いますし(むしろそうあるべき)、多くの人々の心をとらえる素晴らしい作品ほど、〝こうであったらいいな〟という理想の声(これは、今を生きている人間だけの「声」ではないと思っています)を〝聞き取る〟と、私個人は考えています。そう考えると、『逃げ上手の若君』の本領は、まさにこの大徳王寺編以降に発揮されるのではないでしょうか。
〔細川重男『論考 日本中世史 ー武士たちの行動・武士たちの思想ー』(文学通信)、鈴木由美『中先代の乱』(中公新書)を参照しています。〕