【『逃げ上手の若君』全力応援!】(53)後醍醐天皇が食べる「哀れな蟹」を尊氏と道誉は横取りする?…佐々木道誉が口ずさんだ「我が目らに」の歌を『万葉集』に見る
南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2022年3月13日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕
「麻呂」こと「清原卿」は、尊氏に何をされてしまったのでしょうか。恐るべき尊氏のゲ〇…もとい、神力です。ちなみに神力というのは、神様・仏様の持つ霊妙な力だけではなく、たんに不思議な力や魔力の類もそう呼ぶようです。現代人から見ると、頼重や雫や魅摩の持つ力は「神力」と思えても、尊氏のそれは邪悪な匂いがプンプンして(ゲ〇だから匂うと言っているわけではありません…)、とても同じものとは思えません。
第53話の4ページ目で高師直が「…なんと腹黒い方だ」として佐々木道誉を評する背後で、アクティブすぎる無限ブリッジの麻呂が笑いを誘うものの、哀れでなりません。
「我が目らに 塩塗り給ひ 腊賞すも 腊賞すも」
「お 「万葉集」だね」
「…そ 帝のお役に立とうと馳せ参じたが そのまま食べられてしまう哀れな蟹の歌さ」
この歌は、『万葉集』の巻第十六に「乞食の詠んだ歌二首」(「乞食者が詠ふ二首」)として収録されています。
『万葉集』というと、現代の古典の授業でも〝なんじゃこりゃ、呪文か!?〟みたいな言葉だったのを覚えている方も多いと思います。作品の巻末で本郷和人先生がお書きになっている「解説上手の若君」でも、武士は文字が読めないとか学問は苦手とかいった話題が何度かありましたが、私たちだけでなく、当時の普通の武士たちにとっても、ハイレベルすぎる文学と言って間違いないでしょう。
それをすらすら暗唱してしまうという道誉(そしてそれにすぐさま反応する娘の魅摩)ーー古典『太平記』では、道誉が中国の古典を例にとって戦いの勝機を見出す場面などがあるのですが、『逃げ上手の若君』の中でも、単なるファッションかぶれの武将ではないことがわかるキャラ設定であることが伺えます。
一方で、魅摩への「すりすりすりすり」や「つんつんつんつん」とった愛情表現が、なんとな~く頼重とかぶると感じるのは、私だけでしょうか。ところが、キンキラキンに輝くことで本心を隠す頼重と違って、道誉は「真昼の日光に照らされても全く表情が読めません」(高師直)だというのです。
〝頭脳派神官〟の諏訪頼重と重なるところがありながら、足利尊氏を軸として対照的な描かれ方をしている〝婆裟羅大名〟佐々木道誉ーーとても面白いキャラ設定だなと思いました。
(前話で登場してもまだ顔が黒いのには、〝松井先生、やけにもったいぶるなあ〟と思っていたのですが、その真相に〝え~、そうだったの!?〟でした(笑)。)
さて、話を「万葉集」の「哀れな蟹」の歌に戻します。『日本古典文学全集』の現代語訳によると、蟹の独り言で歌は展開していきます。歌い出しはこんな感じです(『万葉集』の歌は、57577の和歌や575の俳句と違って、ストーリーになっていて長い物もたくさんあります)。
難波江に 住いして 隠れている この葦蟹を 大君が お呼びだとな なんで私は呼ばれるのだろうか 能なしだと はっきり私は知っているのに 歌い手として わたしを呼ばれるのだろうか 笛吹としてわたしを呼ばれるのだろうか 琴弾とて わたしを呼ばれるのだろうか
※大君…天皇のこと。
蟹が、不安ながらも、天皇が自分を必要としてくれているんだという期待が伝わってきます。
このあと蟹は「ともかくも 仰せを聞こうと」急ぎ天皇のもとへ向かいます。ところが到着して蟹を待っていたのは残酷な運命でした。ーー調味料を入れた壺を準備するので、お前はその中に入れと天皇は命じたのです。
わたしの目にその塩を塗ってくださり 塩漬けを賞美なさることよ 塩漬けを賞美なさることよ
この部分が、道誉のセリフに相当します。「腊」とは、「魚介類の内臓を出さない干物にした食品」だそうです。この歌の最後には「蟹のために悲嘆を述べて作ったものである」という説明が付されています。ーーいやこれって、明らかに麻呂のことですよね。
「父上が言ってた 帝は無駄に能力が高すぎる」「だから凡人や無能の気持ちがわからないし 全部一人で決めたがる」
魅摩は、時行たちにこう話をしています。
おそらく、麻呂以外にも「歌」や「笛」や「琴」で「お役に立とう」と望みながらも、「凡人」「無能」ゆえに、「腊」にされて後醍醐天皇に食べられた「蟹」がたくさんいるのでしょう。そして、尊氏と道誉は、帝の陰に隠れて、その「蟹」を横取りしている構図が見えてきます。
「表情ドス黒っ 今日も何か企んできたね父上」
「朝廷の蔵」から発見した物を持たせて、尊氏と道誉は、捨て駒として麻呂をまた信濃に向かわせる気なのです。ーー美味しそうに魅摩と蟹を賞味する道誉を描き、動乱の世を生きる強者と弱者の非情な現実を、松井先生は「哀れな蟹」の歌をもって重ねてみせているのでしょう。
ちなみに、魅摩は父に時行のことを話し、逆に道誉は「もしその子が敵方の諜者だったら?」と問われ、「八つ裂きにして液状になるまですり潰すから」と、〝え、そこまでする?〟みたいな返答をします。
どうもこれは、「哀れな蟹の歌」の中にある、調味料を作るのに「韓臼で搗き」とか「手臼で|搗いて粉にし」といった表現を意識しての返答ではないかと思いました。
「すりすり」「つんつん」だけでなく、教養の部分でも息の合った父娘であることがわかる、松井先生の憎い演出なのかもしれませんね。
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はてさて、西園寺公宗邸では、おでこに「大工」と浮かび上がった泰家が、とんでもない物を作っていました。
泰家は「刑部正輔時興」と名前を変えて、西園寺公宗と「明暮はただ謀反の計略をぞ廻らされける」のでした。ーーオッさん二人で濃密すぎだろって、この箇所を読むたびに苦笑します。
そして、二人で練りに練った「謀反の計略」がビックリ仰天なのですが……ネタバレになってしまうので、今回はここまでにします。ヒントとして、この謀反を描く章段の古典『太平記』の題名が「西園寺温室の事」となっているということでとどめておきます。
このシリーズの第49回で、私はこのように述べましたが、「西園寺温室」とは、西園寺公宗邸の新築のお風呂のことなのでした。
古典『太平記』によると、公宗と泰家は「にはかに湯殿を作られ」、「その上がり庭に、板を一間蹈めば落つるように拵へて、下に刀刃をぞ置かれける」とあります。
※上がり庭…脱衣所。
※刀刃…刀の刃。
思わず〝漫画かよ!?〟と突っ込みたくなる展開なのですが、これが少年漫画ゆえのネタではなく、当時の文学作品に書いてあるというのですから驚きです。
実際のところ、この計画というのが事実なのか、話を盛っているだけなのか、というところはわからないのですが……おっと、これ以上話してしまうとネタバレになるので、今回はここまでにしようと思います。
〔日本古典文学全集『万葉集』『太平記』(小学館)を参照しています。〕
私が所属している「南北朝時代を楽しむ会」では、時行の生きた時代のことを、仲間と〝楽しく〟学ぶことができます!
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