お気に入りの評論――河合雅雄「道具と文化」①(2018年5月13日)
先に私はメルマガを発行していたことをお知らせしましたが、廃刊にしたメルマガの中で、もう一度みなさんにも読んでほしいと思う情報をウェブリブログにて再録していました。
教科書に採用されていた評論の解説もそのひとつでした。しかしながら、それらの閲覧数が他の記事をはるかに上回っていることが大変気になり、いくつか思い当たることがありました。
noteにもそうした危険のある記事を収録するか、収録するにしても有料にしてしまうかで悩みましたが、結局そのまま掲載することに決めました。学校での宿題のためにこのページにたどりついた方は、どうか上で紹介した記事も合わせてお読みください。よろしくお願い申し上げます。
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発行人は古典が専攻ではありますが、評論についても古典と同じくらい(自分で読むのも、教えるのも)好きです。そこで、これまで扱ってきた評論の中で、気に入った作品を紹介し、考察してみたいと思います。
コーナーの第1回目は、河合雅雄氏の「道具と文化」です。河合雅雄氏については、先にブログでも紹介しました。
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発行人は最新の情報機器・電子機器には全く疎くて、CDはもちろんですが、いまだにカセットテープを現役で使用しており、何十年も前に購入したCDラジカセを愛用しています。使えればいいのです。何の問題もありません。
その一方で、新しい情報機器や電子機器、ソフトウェアやゲーム類が発売されるたび、秋葉原などで徹夜して並んでいる人たちがTVのニュースなどで報道されます。
河合雅雄氏の「道具と文化」を扱うたびに子どもたちにこう質問します。
――徹夜して並ぶ人たちの中で、本当にそれが必要で、ないと困るから並んでいる人はどのくらいいると思いますか?――
子どもたちは即座に“いない”“話題性やノリで並んでるだけ”などと答えます。
私もそう思います。
河合雅雄氏は、「チンパンジーの道具使用や製作は、ほとんど食物獲得の手段として発達してきたもの」という事実をとらえ、それを原初人類にも適用し、道具の使用と製作は「元来は食物獲得の手段として発達してきたもの」、「技術は人間生活を豊かにするため、また幸福を保証するために発明されたもの」という考えに及んでいます。
では、チンパンジーと人間はどこで分岐したのか。
チンパンジーの道具は「すべて歯や手で作られている」、つまり「身体要素を使って道具を作ること」しか行われていない。筆者はこれを「道具の一次製作」と呼んでいます。しかし、人類は「道具を使って道具を作ること」に成功した。筆者はこれを「道具の二次製作」と称しています。「現在のところでは、この点が人類とほかの霊長類を区別する大きな決め手の一つとなっている」ということです。さらには、「道具が道具を作る」「文化が文化を作る」という「自己増殖性」の問題に触れています。
つまり、“食べることで生き続け、幸せになる”という明確な目的を持たない道具が続々と生まれるということなのです。
そして、欲しくなくても、そういう“モノ”があれば“面白い”“使ってみたい”と思うのが人間であり、文化なのです。
もうおわかりですね。私たちは、もはや道具を使ってみること自体が目的になり、行列してでも購入したいという衝動に駆られるのです。
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次回は、上記の考察に基づき、河合氏が本文の中で重要視する「武器としての道具使用」の問題を考えてみたいと思います。
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