【『逃げ上手の若君』全力応援!】(145)「青野原の祭事」は、北畠顕家が奥州の地で決意した国づくりの理想形「公武合体アキレンジャー」そのものだった!?
以前より私は、白目を剥いている北畠顕家が好きだということを言っておりましたが、「はははは」と白目を剥いて舞台装置(その中身は「櫓」だったという種明かしもあり!)と化している顕家で始まった『逃げ上手の若君』第145話は、冒頭から笑ってしまいました……。
※櫓(やぐら)…材木などを組み合わせて高く作った構築物。展望用。また、建築工事などの足場とする。
そして、第145話のタイトルは「公武合体アキレンジャー1338」です。私は最初、顕家の派手さを表現したものだと思い、深く考えもしませんでした。しかし、最後まで読んで、さらには日が経つにつれて、〝あ!〟となりました。順を追ってこのタイトルに込められたであろう〝真意〟を説明してみたいと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まずは、地味だけれども堅実に仕事をこなす伊達行朝が土岐軍を分断、そこに、宇都宮公綱が堂々と一騎で登場するのですが……おそらく、この行動が部下たちには想定内であるけれども、敵方にとっては理解不能で恐怖でしかないという心理の隙を突いて「再現性のある戦術として確立」(by堀口貞満)させていたという宇都宮軍には、笑いが止まりませんでした。
そして、おそらく家臣が止めるのもきかずに突っ込んだのではないかと想像される、新田徳寿丸の一撃!(よく見ると「?」があります。父・義貞を見ていると、どうやら考えて戦っている時には「?」がないか「!?」のようなので……。)
そして、頼遠に武器を破壊されてしまった南部師行は、おそらくこれ、拾った武器でしょう、大量の刀剣や槍の類をザクザクお見舞いして、頼遠ではなく時行に中指を立てるというヤンキーぶり……。ここで形勢逆転を見た楽隊が、雅楽から即興で曲調を田楽に変えます。
雫とシイナの〝手厚い〟もてなしで長山頼元も破られ(ここでの頼遠のセリフで、「残弾」に「むすこ」というルビが振ってあるのが、むごい……)、逃げようとする頼遠の兜と大袖を、顕家の命で結城宗広が七支刀で解体します。ーーこの七支刀、拷問具というだけでなかったのですね。しかも、「七度凌遅」なんて名前までありました。気になって「凌遅」の意味を調べたら、刀身にびっしり刻まれている「殺」の字と同じくらいヤバめでした(汗)。
凌遅処死(りょうちしょし)
中国,五代・宋以後行われた極刑の一種。刑場に立てられた柱に受刑者を縛りつけ,生きながら肢体を切りとる。清代の方法では,両乳に刃を入れ,両手足を斬り,腹を割いて臓腑をとり出し,喉を断って殺したという。簡単に絶命させないための死刑執行人(子手(かいししゆ))相伝の技術があった。加える刀の数によって等級があった。明代,宦官(かんがん)劉瑾(りゆうきん)は3日がかり4700刀を加えられたという。1905年(光緒31)に正式に廃止された。〔世界大百科事典〕
一体誰が宗広の刀を打ってくれているんでしょうね(ヘンなことが気になる性分ですみません……)。そして、宗広の「解体」技は、素顔をさらされた頼遠を怒らせて損害を増やす結果となってしまいましたが、顕家の強烈な一矢が炸裂します。ーー「倶盧舎羽飾」とは、かなりかっこいい技名ですが、長距離の射撃を意識したことがわかる語が由来でした。
俱盧舎(くるしゃ)
《梵 krośaの音写》
距離の単位。指二十四本を横にならべて一肘、四肘で一弓、五百弓で一俱盧舎。また、村から森までの中間の道程という。〔例文 仏教語大辞典〕
さて、この一撃は見開きになっていて、右1ページが顕家が弓を射る姿、左が1ページが頼遠が肩を射抜かれる姿です。この大胆な画面構成に驚かされましたが、私には疑問が生じました。古典『太平記』には「土岐も、左の目の下より右の口脇、鼻まで鋒深に切り付けられて」とあり、頼遠の面は顕家の矢でないと射抜けないと思ったのに、違うのかなということでした。
しかしながら、次のページをめくると、頼遠の顔の傷が時行の太刀だったのです。玄蕃は「逃若党でダメ押しだ坊!」と言って、時行に連れ立つ弧次郎とともに、主君の一太刀をサポートしています。
「皆の盛り上げ大いに結構!」「青野原の祭事 これにて御仕舞!」
そびえ立つ顕家のこの一言で、気づかされました。〝そうか、顕家だけが主役ではないんだ!〟と。そして、これこそが顕家が奥州の地で見出した「まつりごと」の姿なのだとも。ーーそうです、「まつりごと」には、現代でも使う「祭」(下記(1)の延長線上にある)の意味だけでなく、「政治」の意味(下記(2))もあるのです。
政(まつりごと)
(1)神を敬い慰撫・鎮魂し、祈願感謝すること。神をまつること。祭祀。
(2)(古代においては、神をまつり、神の意を知ってそれを行なうことが、そのまま国を統治することであったところから、転じて)君主・主権者が、その国の領土・人民を統一し治めること。政治。政道。〔日本国語大辞典〕
一人一人、そして、各武士団、公家衆の「百人百色」(第100話参照)の個性がそれぞれに生かされ、協力して国をつくっていくというのが、顕家の理想だったことを、青野原の戦いを通じて描いてみせているというのが、第145話「公武合体アキレンジャー1338」というタイトルに込められた松井先生のメッセージだったのですね!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここまで書いて、なんだか一人で感動してしまって、頼遠のことを書き足すなど無粋かなと思いましたが、桃井直常の名誉回復(?)のためにも、二人の退却の様子を古典『太平記』で見てみたいと思います。
土岐も、左の目の下より右の口脇、鼻まで鋒深に切り付けられて、長森の城へ引き籠もる。 桃井、 三十余ヶ度の懸け合ひに、七十六騎に打ちなされ、馬の三図、平頸二太刀切られ、草摺のはづれ三所突かれ、余りに戦ひ疲れければ、「この軍、これに限るまじ。いざや人々、馬の足ちと休めん」とて、墨俣川に馬追ひ漬し、太刀、長刀の血を洗うて、日暮るれば、野に下り居て、つひに川より東へは超さざりける。
※長森…岐阜市長森。
※三図…馬の尻の方の、骨の高くなっている部分。
※平頸…馬の首のたたがみの下、左右平らな部分。
※草摺のはづれ…草摺(鎧の胴の下に垂れて大腿部を覆う防具)のはずれの覆われていない部分。
※墨俣川…大垣市墨俣町を流れる長良川。
頼遠の生死を確認しようとする春日顕国に対し、顕家は「無用 ああいう輩はいずれ戦場の外で自滅する」と言い放ちます。まさに……ですね(〝何のこと?〟という方は、本シリーズの第142回と第144回を参照ください)。
そして、頼遠の「人間爆弾」にならずに済んだ下がり眉君には、〝生き残れてよかったね〟と、思わず声をかけたくなります。ーー顕家軍の「祭事」を目の当たりにした彼を縛り上げる必要も意味も、もはやないのではないでしょうか。
〔『太平記』(岩波文庫)を参照しています。〕