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【鳥取寺社縁起シリーズ】「因幡堂縁起絵巻」(1)
【鳥取寺社縁起シリーズ】第二弾として、「因幡堂縁起絵巻」詞書部分の注釈・現代語訳をnoteで連載いたします(月1回予定)。
〔冒頭の写真は、鳥取県立博物館『はじまりの物語ー縁起絵巻に描かれた古の鳥取ー』の表紙(「因幡堂縁起絵巻」の一場面)です。〕
■寺社縁起の概要
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第1回は、鳥取県立図書館『はじまりの物語ー縁起絵巻に描かれた古の鳥取ー』に収録された「因幡堂縁起絵巻」の解説から、今回扱う資料の概要をまとめてみました。
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『因幡堂縁起絵巻』(京都市・因幡堂蔵)
万延二(1861)年に制作された因幡堂所蔵の三巻からなる縁起絵巻。
因幡堂の縁起は、鎌倉時代の制作と推定される東京国立博物館所蔵の『因幡堂薬師縁起絵巻』(国重要文化財、以下「東博本」)と、これとは内容が一部異なる応永三十二(1425)年の具注暦の裏面に記された東寺観智院所蔵の詞書のみの縁起(以下、「観智院本」)がよく知られている。
※具注暦(ぐちゅうれき)…奈良・平安時代に流行した暦本(太陰暦)。漢文で、歳位・星宿・干支・吉凶などを具(つぶさ)に注す。日ごとに空白2~3行を設けて日記を記すようにしたものもある。室町時代以後、庶民は代りに仮名書きの伊勢暦・三島暦などを用いた。
因幡堂(京都市)所蔵の資料は、観智院本と同内容の詞書に絵が付されたものであるが、絵については巻下の第二段が失われている。
「東博本」の『因幡堂薬師縁起絵巻』は「e國寶」で閲覧が可能です。
【 「東博本」と「観智院本」系の諸本の共通点 】
・薬師如来が賀留津(現・鳥取市賀露)に漂着した。
・都への飛来とその功徳で橘行平が因幡守となり、因幡堂も都の人々の信仰を集め大きく発展した。
京都の因幡堂(平等寺)の信仰は今も続いています。
【 「東博本」にはない「観智院本」系の場面や細かい設定 】
・薬師如来像は釈迦が造ったものである。
・海から引き上げるにあたり地元の漁師・安太夫の意見を参考にした。
・行平が因幡国内に寺院を建立し、その維持のために息子を残した。
・行平没後も薬師如来像の霊験で多くの人の願いが叶えられた。
【 縁起の内容 】
因幡一宮への神拝の勅使として、下向した橘行平は、夢のお告げに従い、賀留津(現、鳥取市賀露)の海中から薬師如来像を引き上げた。行平は、薬師如来像を祀るため、因幡国内に薬師寺を建立し帰京した。その後、薬師如来像が、台座と光背を残し行平を追って都へ飛び去ったため、薬師寺は座光寺と呼ばれるようになった。行平は、薬師如来像を祀った利益により因幡守に任じられた。以後、因幡堂は都の人々の信仰を集め大きく発展し、行平以後も薬師如来像は数々の霊験をあらわし多くの人の願いを叶えた。
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本シリーズにて「因幡堂縁起絵巻」の注釈と現代語訳を試みるにあたり、『はじまりの物語ー縁起絵巻に描かれた古の鳥取ー』での詞書本文の翻刻(原文を全文収録)を使用することとしました。
なお、巻上の見返しには以下のように記されています。
三巻之内
梅屋之絵
岡本主計正美之書
因幡堂【号平等寺】縁起 ※【 】……分かち書部分
〔「因幡堂縁起絵巻」(1)おわり〕