【『逃げ上手の若君』全力応援!】(126) ダンディな忠臣・春日顕国が図らずも語った北畠顕家の強さの理由とは?…「技」の背後にある人間力は「策」を凌駕する!
『逃げ上手の若君』第126話のタイトルは「絶技」。ーーこのタイトルに該当する技を披露したのは、秕(シイナ)と北畠顕家はもちろん、正宗もなのだろうなと思いました。
「泰家を人質は卑怯すぎるぜ 坊最後の肉親だぞ」と玄蕃が言ったとおりで、家長には「策」があるだけで、その策も顕家の「技」の一撃で打ち破られてしまったのです。
「顕家卿は私の策で戦を始めて」「最後は軽々と策を超えて行かれるのだよ」
春日卿は、顕家の人並外れた人間力と高い身体能力をともなう「技」の威力を前にして、「策」の限界をよく理解しているのですね。顕家は、登場以来かっこよさが毎号更新ですが、穏やかな物腰で顕家を支える春日卿にも魅力を感じます!
春日顕国(かすがあきくに)
? - 一三四四
南北朝時代、東国で南党の糾合に生涯をかけた武将。世系に諸説あるが、村上源氏顕行の子と見るのが有力である。侍従・少将・中将と昇進し、のちに顕時と改名。〔国史大辞典〕
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南北朝時代の武将。
南朝につかえ,建武(けんむ)3=延元元年侍従となる。北畠顕家(あきいえ)にしたがい,常陸(ひたち)・下野(しもつけ)で活躍。のち常陸の小田城によった北畠親房(ちかふさ)をたすける。〔日本人名大辞典〕
顕家・父の北畠親房はなかなか強烈な人物なのですが、その父も顕家も支えたという春日顕国……保科党の門番である三十郎さんの父・結城宗広と違って、ダンディな「忠臣」感が漂います(笑)。
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『逃げ上手の若君』で北畠顕家の名前が初めて登場したのは、魅摩が時行たちを連れて三十三間堂を案内した時でした(第52話「婆娑羅1335」)。華麗な伏線回収にも驚きですが、玄蕃と夏の訴えを聞き、瞬時に自分の技を組み込んでの作戦を立て、泰家との再会に涙する時行を見守る顕家の姿に心打たれました。ーー「技」の背後には必ず、計算を超える人間性が存在している気がします。
「戦闘狂」のシイナと「悪ノリ」の正宗は良いコンビで、思わず笑いがこみあげました。そして、正宗の「悪ノリ」があるからこそ、異形で最強の武器は生み出されると言えます。登場時のクールさとは打って変わって「バテるの早っ!」なシイナも同様です。人間的な弱点を持ってこその、「短時間のみどんな怪物とも渡り合える秘密兵器」、それこそがシイナそのものであると私は考えます。
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さて、個人的には戦闘や武器については詳しくないのですが、ちょうど面白い本を読んでいたところでの、今回の『逃げ上手の若君』でした。ーーその本は、鎌倉北条氏研究の大御所である細川重男先生の『論考 日本中世史 ー武士たちの行動・武士たちの思想ー』です。
「第十七話 太刀、あれこれ」から引用します。
古代・中世の武士が戦場に行く場合、ヨロイとカブトを身に着け、馬に乗って、持っていく武器は、基本的に、次の三つです。
[A] 弓矢 (ゆみや 弓と矢)
[B] 太刀 (たち 長い刃物)
[C] 刀 (かたな 短い刃物)
この中で、一番恐ろしいのは、弓矢です。ナニしろ飛び道具ですから。
だから、古代・中世の武士は、「弓馬の士」と呼ばれたのであり、弓矢と乗馬の技術が、最も重視されたわけです。
んで、太刀と後の日本刀は、「殺人用の長い刃物」という点で、見た目も用途も似てますが、直結しません。
日本刀は、刀(短い刃物、つまり、ドス)が超大化した「打刀」というモノです。
で、太刀と刀は、用途が違います。
一言で言えば、太刀は「打撃具」であり、刀は「刺突具」です。
つまり、簡単に言うと、太刀は「ブン殴る道具」であり、刀は「刺す道具で」です。
〝そうか、そうなのか、弓矢は「飛び道具」、つまり拳銃なんかと同じジャンルの武器なのか!〟ーーこの分野に疎い私にとっては、まさに目から鱗の用語使いでした(こんな感じで、細川先生の『論考 日本中世史 ー武士たちの行動・武士たちの思想ー』には、鎌倉・南北朝ファン必読の51話が収められていています)。
加えて思い出したのが、最近「元寇」に興味を持っていくつかYouTubeの動画を見た中で出てきた「重装弓騎兵」という語でした。これは、学術用語ではないのか、そんなあたりもよくわからず、ネット検索をして一番トップに上がってきたミリタリーショップのブログの記事を紹介したいと思います。
重装弓騎兵
〔「ミリタリーショップ レプマート」HPより〕
顕家が第52話「婆沙羅1335」で、シルエットだけですが初登場した意味がわかりました。奥州武士を引き連れて優雅に爆走する最強の美青年貴族って、『逃げ上手の若君』の中でも、相当にレアで贅沢な属性の詰め込み振り、規格外すぎますね!?
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「マジか」
先々週、家長の背後で晒される泰家の額に文字が無くて、〝これって生気がないってこと?〟と、私の妹がストレートな発言をしていたのですが、杉本寺の急坂を玄蕃と夏とともに猛スピードで滑り落ちる泰家の額には、文字が復活しました!
策に対して策を弄することなく、あくまでも自分と部下たちを信じて即決、各自が持てる力を最大限に発揮するというのが、卑怯な手を用いた家長に対する、顕家の〝答え〟でした(家長、普通の男の子の悔しそうな顔でしたね……背伸びしすぎなのでは?なんて思っちゃいました)。
この戦いの行方を知っている私ですが、それを教えた妹とともに、松井先生がどんな風にこの戦いの顛末を描くのかと、本当に楽しみにしています。
〔細川重男『論考 日本中世史 ー武士たちの行動・武士たちの思想ー』(文学通信)を参照しています。〕
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